決着
「くそっ、どこまで行くつもりなんだっ!」
バレンツの叫び声もむなしく大海原に飲み込まれてしまう中、ニョルズと軍用帆船の計三隻は必死にイラプレシオンに追走していた。よみがえったその恐竜モンスターは首をのばし、真っ直ぐ矢のように海中を泳いでいた。
すでにセキュワの存在した陸地は水平線の向こうに消えてみえなくなっていた。
氷雨は使役し続けているサラマンダーにもっと激しく燃え上がるように指令を出し続けていたし、バレンツはどうやってイラプレシオンの注意をこちらに向けようかと思案していて、デボンの事は頭から消え去っていた。
もともとデボンが海路で脱出する事を防ぐために出動したはずだった。だが、その事はもうムルムルに預けてしまったという意識、ボスモンスターは倒すべきモノという刷り込み、そして水軍という不安定要素――もっとはっきりと言えばお荷物を抱えているという思いが、デボンよりもいかに目の前のボスを対処したものかと悩ませていたのだ。
これが冒険者だけで戦いを進めるなら、話はもっと簡単だったと思う。たとえニョルズには劣るとはいえ、水軍の軍用帆船も多少のダメージには耐えられるはずだ。バレンツの受け持っている班には守護戦士や武士といった挑発系特技の使える戦士職がいないが、かわりにカルートやペテロの班を差し向けることになんの遠慮も無かっただろう。
だが今は。水軍は無事に連れ帰らないといけない。できれば送り返すかでもしたい。冒険者だけ返してもらって、デボンの追跡を任せても良い。もちろんそんな時間はないし、水軍だってそんなあからさまな戦力外通告を突きつけられたらどう感じるかを想像してとてもそんなことはできなかった。
『バレンツ、こっちで鋼尾翼竜を呼び出してみる!魔法を落として妨害させるつもりだ!』
その声にバレンツはドキリとした。カルートの奴、全力で追いかけてもいっこうに魔法の射程圏内に入らないからって先走ったのか?
もうすでに笛を吹いたらしく、それらしい影が向こうからやってくるのが見えた。そして海中でも動きが発生していた。
彼方からのささやかすぎる増援に冒険者と大地人が見守っている中、イラプレシオンは静かに首を曲げて深く潜り、その勢いを海面に向けて力強く飛び出した。すぐそこには呼び出しに応えようとする鋼尾翼竜がおり、イラプレシオンは大きく牙をむき出しにしていた。
動揺が漏れる。当然だった。イラプレシオンは鋼尾翼竜にしっかり噛みつくと、そのまま自分の重みで再び海中に引っ込んでいった。そう遅くない後で鋼尾翼竜の体力値が全損した。
『鋼尾翼竜を食うとか、マジかよ……信じられねえ』
呆然とつぶやいた。ショッキングだったがついに海竜の興味がバレンツたちに戻った。どうやらここを戦いの地と定めたらしい。
海中で急旋回を決めたイラプレシオンは海面に戻り、爆ぜる炎の咆哮を大海原に轟かせた。焚き火に青々とした植物を投げ入れた時のような、思わず後ずさりしてしまう迫力を持っていた。
「ようやくやる気になったか!早く……こっちに来い……!」
バレンツは祈るようにつぶやいた。ルーシィたちに攻撃の準備を指示する。おそらく、このエリア移動の間にいままでの敵愾心はリセットされてしまったはず。相手は一番手近にいるニョルズへ向かうに違いない。
だが現実はバレンツの思うようにはいかなかった。イラプレシオンはもういちど海の中に潜ると、全速力で三角形を組んだニョルズたちの戦隊に突撃してきた。カルートやペテロの報告が飛び込んでくる。
『……!水兵から報告だ!あいつ俺たちの方にいる!』
『いやぁ、待ってくれよ?こっちにも来た!あいつ、戦隊の周りをぐるぐる回ってるぜ!』
あたりの海は高速で泳ぎ回る巨体に揺り動かされ、大きな泡を大量生産していた。細かな泡の大群が尾を引いて泳ぎ回っている。まるで海が沸騰しているような有様だ。
「なにがしたいんだコイツは……?」
バレンツは海面を見回しながら悩んだ。せっかく近づいてきても海中に潜んでいては意味がない。
その時、同じように海を見張っていたルーシィが気味悪そうに言った。
「ねぇ……なに?あの黒い跡……」
ニョルズに乗り込んでいた冒険者が全員が舷側の手すりを掴まって食い入るように海をみた。
白い泡と強い日差しに紛れて海面に海洋汚染の現場であるかのごとく真っ黒いコールタールが浮き出ていた。すると、海水の奥のほうでチカチカッと赤い瞬きが見え、それは見る間に海の中で炎となって噴き上がってきた。
「嫌らしいことしてきやがる」
忌々しげにバレンツがつぶやいた。
海面を覆うコールタールはもちろんイラプレシオンが海中で泳ぎ回っているときにばらまいたモノだった。重油のようなそれはしつこく残って海を燃やしている。
だが――本当に、なんのために?海の奥から突き上げるような火柱は一見すると驚異だが、自分たちは環境保護のためにいるわけでもないし、ちょろちょろと燃える炎など船首で踏みつぶしていけばいい。燃え移ったとしても航行している間に自然に消えるだろうし、そうでないなら召喚獣に消させればいい。
その疑問はすぐに明らかになった。波濤の侵入者たちは火に炙られて驚き、あわてて手近な逃げ場へ――戦隊に避難しようとしていた。
カルートの乗り込んだ軍用帆船にはセヴァスト大尉と二人いた小隊長の片割れ、リンガー小隊長が乗り込んでいた。
「蜥蜴人だ……!それも多数!」
リンガー小隊長が船首へ届くような声で報告を叫ぶ。
「全員よくきけ、特に水兵!無理に戦うな、上ってくる奴は槍でつつき落とせ!」
セヴァスト大尉が命じた。すぐに了解の返事がもどってくる。
甲板上では水兵たちが数名ずつに分かれて配置され、海を監視する役、指示を出す役、槍で突き落とす役が何人かで、船をよじ登ってくる蜥蜴人に対する防波堤を担っていた。
一方のセヴァスト大尉は討伐班を率いて甲板の中央部で待機し、いつ蜥蜴人が侵入してきても対応できるようにしていた。だが今のところ、その心配はなさそうだった。リンガー小隊長ともう一人のもとで集団戦法を重視して戦った白兵隊はその役目を十分にこなしていた。
「セヴァスト大尉!いい調子だ。奴が接近してくるから、この後はニョルズを待って俺たちも攻撃に参加する」
カルートが同乗人にそう教えた。セヴァストもうなずきを返す。だがセヴァストは自分がその戦いに何の貢献もできないだろうことをしみじみと感じていた。蜥蜴人との戦闘にようやく慣れてきたというのに、あの首の長い海竜の相手は白兵隊の能力を超えていた。だから、この海面炎上と蜥蜴人襲撃という事態に直面して、甲板の一段下に作られた、まるでテラスに砲台を並べたような船首砲座と船尾砲座の人員を収容させて封鎖していた。 ひとまず砲撃は中止ということだ。
「分かった。蜥蜴人の相手は任せてほしい」
「もちろん。頼りにしてるぜ」
カルートはそういってニッと笑った。カルートも安心していた。全力をボスに注げるというのは嬉しい。
だが余裕を持っていられたのはそこまでだった。
「おい、おかしいぞ!?ボスがこっちに向かってきてる!」
神祇官が叫んだ。
カルートとセヴァストたちが一斉に振り向く。水兵たちまで振り向きそうになるのをリンガー小隊長や軍曹たちが怒鳴り声をあげて必死に引き留めていた。
ついに顔をだしたイラプレシオンは天を仰ぐように長い首を空に向けていた。ニョルズから魔法や戦技召喚が飛んできて敵愾心を稼ごうと試みるが見向きもしていない。予備動作の中断もしない。それもそのはずで、ニョルズとイラプレシオンの間にある距離は一部の長射程魔法がぎりぎり圏内に入るようなところで、再使用制限時間の壁に阻まれて手持ちのカードがすぐに消耗してしまうようだった。予備動作を中止させようとカルート班の妖術師や各班にいる弓使いがなけなしの攻撃を放つが焼け石に水だった。砲撃ができればまだ違ったかもしれない、とカルートは思ったが、封鎖されたそこは蜥蜴人がたむろしているはずだし、狙いも不十分だろう。
そうして妨害をものともせずにイラプレシオンは喉もとが脈打たせた。液体を飲み込んでいるシーンを逆再生するように。どんどんと溜めが長引き、体の振動が波に伝播する。
「……!全員っ!何かにつかまれぇ!」
イラプレシオンが圧力に耐えかねた風船のように息を――飲み込んでいたらしい海水を噴射した。丸太のような極太の水のレーザーはカルートたちの乗り込む軍船を直撃し、甲板をなめるように襲いかかった。津波のように、猛烈な勢いを持った海流は細々としたものすべてを叩き割り、押し流していった。
「ぶはっ、くっ!あっぢぃ!全員ぶじか!?報告あげろ!」
カルートは理不尽な暴力に対する罵詈雑言をぐっとこらえて、塩で粘つく熱水を振り払いながらもっとも重要なことをたずねた。すこし間をあけて我にかえった班員から順に 無事を伝えてきた。聞き終わったカルートは周囲へもきこえるように声に出した。
「よし、カルート班に落伍者なし!だが――」
水兵たちはそこまで運が良くなかった。誰々が流されたという叫びが複数ゆきかい、セヴァストはそれに非情な対応策を示した。
「手の空いている者は落下者用に縄ばしごを掛けてやれ!他の者は蜥蜴人の相手に戻れ!自力で上がれない者はほうっておくんだ!」
その後で蜥蜴人に襲われた悲鳴が遠くに聞こえた。結局、自力で這い上がってこれたのは一人だけだった。がちがちに震えたその水兵にしても、早く医務室に行けという罵声いがいに手当はもらえなかった。
それくらい甲板上は混乱していた。備品が流され、窓が水圧に負けて床に散らばっていた。水兵が持っていた槍も散乱していたり、紛失したりしていた。なにより水兵自身が海流に押し負けて乱され、もとの班の集合にもたもたしているうちに蜥蜴人が甲板に侵入し始めていた。
カルートはその情景を悔やむような険しい目で見つめた。ぎりぎりと歯を食いしばりたくなる。
(クソっ、こうならないように努力していたってのに)
お腹のあたりが重くなるのを感じながら、カルートは船首の方へと向き直る。
イラプレシオンはどうやら完全にカルートたちに狙いをつけているのか、敵愾心とは無関係なようにどんどん近づいてくる。相変わらずニョルズは魔法を撃ち続けている。その合間を弓矢が飛んでいく。やけに接近がゆっくりに感じられた。
「班長、どうしますか?」
武士のメンバーが訊ねてきた。
「どうするもねえだろ。お前があいつの注意を引いて全員で殴る、それしかできねえ」
そういっている間に神祇官がダメージ遮断障壁を武士やカルートの順に付与していく。カルートは妖術師を呼んだ。
「なんや、カル兄?」
「お前、特技がほとんど炎属性だったろ?白兵隊のほうにいって手助けに行ってきてくれ」
合間を縫ってこっちに属性攻撃してくれればいいからな、と付け加えた。妖術師は表情を曇らせて言った。
「でもカル兄。あっちは大地人さんにまかせるんとちゃうんか?」
「そうですよ、班長。全力で相手したほうが奴も早く離れます。こいつにはこっちにいてもらった方が……」
そばにいた武士も反対に回る。カルートは苦々しく言った。
「さっきのボスの攻撃、みただろ?俺たちは障壁もあればまあ落ちやしないが。もっとダメージのでかい範囲攻撃に白兵隊が巻き込まれると……なんて言うんだ?……帰った後で困る」
それを聞いて二人はポカンとした表情を浮かべた。当然だ。指揮班や班長ふたり以外のメンバーにはこういうことをするクエストなんだ、としか言っていない。相乗りさせてもらっている大地人たちが、ミシェッド侯爵には欠くことのできない手駒だと知らない。
「とにかく、あの大地人たちには死なないようにしてもらわないといけねえ。全員で船内に退避してもらって、湧きの処理はお前に任せる」
だからカルートは根本的な理由を省いて説明するしかなかった。もともと、マルヴェス卿へ漏れないようにと聞ける者を絞っていたのだ。自分ひとりで勝手に教えるのは気が引けたし、別に教えなくとも納得してくれるだろうという予感があった。
カルートの予感は当たった。妖術師はこくりとうなずき、セヴァストたちが対処しようとしている蜥蜴人の背後へ転移魔法を使って回り込み、〈フレアアロー〉を叩き込んだ。一撃で二体の蜥蜴人が倒れる。セヴァストの引き連れている白兵隊員たちは突然あらわれた冒険者の姿に驚きを感じていたが、セヴァストは別のことに、カルートとの決まりを破られたことに驚いていた。
「どういうことなんだ、これは」
セヴァストはぎりっと睨みつけた。カルートは居心地の悪さを感じながらも言った。
「状況が変わったんだ。レイドボスはこっちに近づいてる!あんたたちはずいぶん良くなったけど、あいつの攻撃に巻き込まれたら生き残れない。だからその前に」
「その前に避難してくれと?」
カルートは首を縦に振った。二人はしばらく視線でつばぜり合いをしていたが、やがてセヴァストが口を開いた。
「私たちの事を気にしているんだろう?」
「そういってるだろ!俺たちには時間が有り余ってるんじゃ――」
「聞いてくれ。別にさっきの指示が不服な訳じゃない。もちろん面白くはないが、納得している。奴と我々では次元が違う」
「だから?なにが言いたいんだ」
「君たちはそれだけじゃないだろう?あの精霊船――ニョルズ号だけが熱心に攻撃しているが、本当ならこの船も近づいて攻撃に加わりたいんじゃないか?あるいはすこしでも敵の注意を引きつけるような」
カルートは渋い顔をした。強がるように言い返す。
「考えすぎだ!ニョルズが引きつけた方がいいに決まってるんだよ!」
「そうかもしれない。そこはどうでもいいんだ。私が言っておきたいのは、あまり私たちに遠慮しすぎないでほしいということだ」
セヴァストは続けた。
「白兵隊のうちの誰かが倒されたとしても仕方がない。私たちはそういうものだ。冒険者の争いに巻き込まれたとは思っていない。そもそも最初から命がけだったのは変わっていないんだ」
カルートは驚いていた。目の前の大地人の洞察力もそうだったが、今の今まで、大地人にとって戦いがいつでも命がけなことを忘れていた。頭に無かった。自分たちの保護下にあるからと、命の危険はないんだと思いこんでいた。パーティチャットを通じて、冒険者たちはみんな話を聞いていた。カルートからも自分の班員が、単なるイベントの演出以上のものを見いだして感じ入っているようだった。
「分かった」
カルートはつぶやくように言った。
「でも、レイドボスの相手をしている間はちゃんと避難してもらう」
そのあと迷ったようなそぶりを見せながらも一言付け加えた。
「そのとき以外なら、正直あんたたちがいてくれると助かる」
セヴァストは安心させるように笑った。お互いの班員もつられるように笑いあった。
「たしかに。隊のものにはそう伝えておこう」
そしてようやくのようにイラプレシオンが軍船にのしかかる衝撃が全員をふるわせた。
セヴァストが叫ぶ。
「白兵隊、船内に退避!あとのことは冒険者に任せるんだ!」
甲板はあわただしく動き始めた。カルート班は攻撃方向がわずかにでも甲板からはずれるように飛びかかるように接近戦を挑んでいた。水兵たちが下に降りる間、セヴァストたちとカルートたちは次々に上がり込んでくる蜥蜴人の相手をしていた。バレンツやペテロたちも負けていなかった。二人はイラプレシオンの横合いから殴りかかるように移動し遠慮なく接近していた。
ほどなく、HPを大幅に失ったレイドボスはエリア移動を始めた。真北へ進むような方向だった。戦っている間にどんどんセキュワへと近づいたことに気づいたのは少数だった。
二之丸とシルキィは鋼尾翼竜に乗ってセキュワの西方の海を舞台にデボンの船を捜索していた。ムルムルは救援隊から召喚術師を引き抜いて、抗議に行く水夫たちといっしょにデボン所有の船を奪い、いや拝借して追走する手はずになっている。
「シルキィさん!デボンを水夫室に閉じこめました、水夫長たちが見張っています!」
「そうか、分かった。ありがとう」
シーザの子供っぽい報告をシルキィが受け取る。
デボンの船を制圧するのは簡単な事だった。鋼尾翼竜から飛び降りて船に着地するのを助けてくれるマストや空中線が船にいくつも張り巡らされており、サーカスのような体さばきはシルキィたちの十八番だ。デボンとついでに船長や事務長まで縛って水夫室に放り込まれたのは、他の船員ややたらと協力的おかげでもあった。問題なのは、シルキィも二之丸も召喚術師でも単なる魔法職ですらないということだった。
船長に無理矢理つれてこられたディアノーグの船員が言うには今のところお手上げ、という事だった。
「早くこっちまで迎えに来てくれないか?」
『これでも急いでるんだよ、こっちは?』
「しまらないっスね。まさか無風で身動きできないなんて」
海面はまさに凪、だった。ちいさなうねりが船を揺らすだけで、ほかにはなにもない。
見張りをしていた水夫の一人が、何かを見つけた。シルキィがそちらへ目を向ける。ほっとため息をつく。
「なんだ、もうすぐそこだったじゃないか。それじゃあ水夫のみなさん!迎えがきたので初めて会ったときのように、ロープで船をつなぐ準備をしてください!」
その号令を聞いて、甲板上で動きができた。しかし、二之丸はどこか別の方向を向いていた。シルキィが呼びかける。
「二之丸、どうしたんだ。船はあっちだぞ?」
「シルキィには……みえるんスかね?南のほうにある、あれっス」
シルキィは二之丸が指を指して示すほうに目を凝らした。少しというには長い間をあけて、ようやく気づいた。
「あれは……レイドボスとバレンツたちか!?なんでここに!」
「たぶん、戦ってる間にああやって移動されてるからだと思うんスけど」
シルキィは苛立ったように怒鳴った。
「聞いてるのかムルムル!」
『聞いてるし、急いでる!連結係はロープを船尾に結んでるところだけど、そっちと繋ぐにはボートをおろして海でお互いに結びあわせないといけないし、それができてもすぐに離脱できる訳じゃないよ!』
ムルムルは言い返した。
『とにかく、今はバレンツたちが時間を稼いでくれることを祈るしかないよ』
「急げ!やつはもう残り一割もない!俺らの火力なら十分もありゃ削れる!」
「次は、ペテロたちが、前衛に向かって。……シルキィから、守護戦士を預かってたと、思うけど?」
『その通りだぜ、氷雨!任せろ!』
すぐさま動き出す軍船。守護戦士が引きつける間に他の二隻が挟み込むように動きだす。イラプレシオンから目の焦点をはずした先には寄り添う二隻の交易船。
「あいつらはなにしてるんだ!?」
「今、確認したわ!デボンの乗ってる船と、連れ戻しにきた船だ、って!」
ルーシィが片手で電話のジェスチャーをしながら伝えた。
改めて見やる。二隻の船はやっと綱が張ったあとものろのろと進むだけでなく、連結した電車のように大きなカーブを描こうとしていた。
距離を測っていた吟遊詩人のメンバーが声を張り上げた。
「攻撃圏内に入りましたぞ!」
「全員、かかれぇ!」
最後の突撃、だった。三班から一斉に近接主体のメンバーが飛びかかり、魔法を打ち込んだ。再使用制限時間から解放された〈ミョルニルの鎚音〉の稲光が雷鳴とともに振り下ろされ、〈アサシネイト〉や〈メイレイン〉がイラプレシオンの体力値を奪い尽くした。
「よし。……倒した!」
体を空中で回して勢いを殺し、ニョルズの甲板へ戻ってきたバレンツはいましがた倒した敵が消滅するところを目にするべく振り返った。そして目を見開き、直感した。気づけば指示を叫んでいた。
「ニョルズをボスと軍船の間に入れろ!」
イラプレシオンは岩のような皮膚の亀裂から化学反応をおこしたように強い光をほとばしらせていた。自分でも制御できないかのように苦しげな声をあげている。固くなって弾力性のなくなったゴム風船と同じように、腹部がふくらむにつれてボロボロと体が崩壊し――一気に爆炎をまき散らした。その時にはニョルズは外輪を盾に立ちはだかっていた。ちょうど反対側では、デボンの乗った船が今まさに連れて行かれる真っ最中だった。
肉体と血液が化石となった恐竜は砕け散った皮膚の破片を伴いながら爆圧でニョルズの外輪の片方をひしゃげさせた。
ながめの良くなった海上の反対側では、船尾をごっそり吹き飛ばされた交易船から水夫たちが逃げ出していた。
「これで全員なのかな?」
ムルムルが誰にともなくたずねた。返事はかえってこなかった。あの首長竜が突然のように起こした爆発のせいで舵を失った船っから逃げ出したシルキィや二之丸、デボンや水夫たちは、ロープをつなげるために海におろされたままのボートに拾い上げられ、また船に収容されていた。連結用の綱はムルムルが斬り離していた。
「まったくひどい有様っスね、これは!けっきょく証拠もなんも全部海の底じゃないっスか?」
二之丸がタオルでからだを拭きながら近づいてきた。
「いや、そうとも限らないかもしれないぞ?」
シルキィが後ろから声をかけた。
「どういうことなんだい?」
「ディアノーグの水夫たちも 、おまえにつきあってここまで来た水夫たちも、デボンの悪事を言い立ててやるって血気盛んなんだ。そのほうがよほどいい証拠になるかもしれないぞ」
「それでいいのかな」
「それしかないし、仕方がないんじゃないっスかね。ニョルズは……外輪を海に捨ててるっスよ」
「みんなボロボロだな!だが、セキュワの住民たちはこれですこしは水軍のことも認めるんじゃないか?」
困ったように三人は苦笑しあった。やがて、ニョルズが使うことはないだろうと思っていた帆がマストからおろされると、バレンツからセキュワへ帰還の号令が下された。
バレンツたちがセキュワでの一件からシクシエーレに戻ってきて数日が経っていた。
オスカーは一人、鋼尾翼竜を操ってシクシエーレを出発した。ノルディックはこれからのレイドチームだったから、攻略最前線の最高級アイテムを誰も持っていない。鷲獅子を持っているのはサーバーで200人ほどなのだ。
オスカーが向かっていたのは、plant hwyadenの誰もがギルドの中枢がおかれていると思っているミナミのギルド会館ではなかった。本当の本拠地へ、イコマのギルドホームへと。
「ずいぶんと派手なことをしてくれましたね。ニョルズはマルヴェスに与える餌だったというのに」
オスカーの前を行くインティクスは、オスカーのことなどなんの興味もないという事をハッキリと示すように顔を向けることもなくそう言った。吐き捨てるような感じだった。もちろん、そうしたものは露骨には見せず、ただ雰囲気として発散していた。
「すいません、マーム。思い描いていた筋道とは違いますが、ミシェッド侯爵は自分の海運を設立したようです。シクシエーレ海運と名乗っています。バレンツたちが連れ帰った水夫を雇い入れたようですね」
「知っています」
それは後に続く会話を断ち切るものだった。とりつく島もないとはこのことだと、オスカーは内心でため息をついた。
「あなたたちには精霊蒸気船二隻でミシェッド派閥の相手を受け持ってもらおうと思っていましたが……事情が変わりました」
「はい」
「ニョルズはマルヴェスに与えます。あなたたちの予算で改修してから。言うことはないわね」
「ええ、もちろん」
「ニョルズは、確かエーギルという名前で引き渡されます。マルヴェスが使うときは、あなたから人員を呼びますからね」
「心得ています」
オスカーは答えた。
今日呼び出しを食らったのはこうしてバレンツたちの過誤の埋め合わせを聞かされる為ではなかった。そういったことはまえもって知らされていた。オスカーは、今から部下のツケを支払わされるのだった。
「ゼルデュスは最近、冒険者の能力値を強化する技術を開発しました」
インティクスが話を続ける間に、周囲の風景は和風の屋敷から地下実験室へと姿を変えていた。
「何度か実験をして相応の安全は確保してあります。が、冒険者へ実際に魔術回路を施すのは初めてです」
それだけで今まで誰を相手に実験をしていたのかがわかるな、とオスカーは思った。
やがて、二人はある扉の前で立ち止まった。ここまで来てようやく振り返ったインティクスは、オスカーを見据えながら片手で扉を示した。
「入りなさい。あとは中にいる者が進めます」
こういう時の心情をどうやって表せばいいんだろうか、とオスカーは考えた。初めての歯医者で自分の名前を呼ばれたとき?いや、抜歯をされる時かな。その時がいちばん似ている。皮膚と心臓になにか黒い重力がかかるあの感じ。
歯医者はまだいいか、とオスカーは思い直した。抜歯は少なくとも自分を直そうとしてくれているが、こちらはただ自分で実験しようとしているだけだ。
インティクスは苛立ちを表す様子もなく、無表情にこちらを眺めていた。目だけが冷たく、鋭い。
オスカーは扉に向き直るとドアノブを握った。せいぜい怯えないように努めながら、せめて役に立つ代物であってくれと祈った。
これにて今作は終了です。ここまでお読みいただきありがとうございます。
初めての投稿で全体的に構成や見込みが甘く、自己満足が強い作品になったと思います。今回の反省を元にしながら、今度は7、8月ごろを目処にリベンジしたいです。
三月二十九日、脱字を修正しました