プロローグ
水平線の向こうへと沈んでいく太陽は目につくものすべてを赤く染め上げていた。
凪いだ海を順風の追い風を帆に受けて進んでいく交易船ディアノーグからも、紅葉のように色づけられた木々が蒸し暑い夕暮れの中にたたずんでいるのが見て取れた。
サカイの港で文字通り山のような荷を積み込んだそれは、誰もいない海に彼らのブランドを精一杯誇示していた。舷側に施されたエンドレス・ダブリューは、とりもなおさずヤマトの西にある交易船の大半を牛耳るウェストランデ廻船の威光を示すシンボルマークなのだ。
船員たちはそれを喜んでいるわけではなかったが、赤い夕暮れに照らされた海面はどこまでも穏やかで、ほどよい風が帆を強く後押ししていくのは船員たちの安堵感と幸運を象徴していた。
大地人たちにとって、海とはいつでも畏怖と恐怖そのものだった。自然の猛威やモンスターに支配されたエルダーテイル――セルデシアの海を前にして、彼らの持っているものはあまりにも無力だった。
だからこそ、彼らが海に出る際には絶対に守るべきことがあった。沖に出ないこと、夜に出ないこと、がそれだ。羅針盤も海図もないのだから沖へ出ればすぐに迷ってしまう。当然、目印は陸地に求めることになる。
そのせいでディアノーグ号はキシュウの沿岸を望みつつ陸地に沿うように進んでいた。最短コースである沖合の航路が使えないので単純な距離は大きくなるが、確実な方法はこれしかなかった。それに、沖合に行けばいくほどモンスターとのエンカウント率が上昇してしまう。沿岸を進むというのは、嵐やモンスターからすぐに港や入江に身を隠せるためでもあるのだから、わざわざ沖を通るものは皆無といってよかった。夜に航海を進んで続けようとする者も同様だった。
セキュワはキシュウ地方の南端に釣り針のように突き出た砂州の上につくられた漁村で、針の先についた餌玉のように島が佇んでいた。それがちょうど釣り針の入り口に防波堤となって立ちふさがっていて、この地を有望な避難港にしていた。ほとんどは嵐を避けるためだったが、今はそれにもっと切実な事情が付け加えられていた。
見れば、離れの島の影にある泊地には、大小さまざまな商船が思い思いに碇を下ろして腰を据えていた。釣り針の餌を飲み込んだのだ。たくさんの帆船が、帆をたたみ、かがり火や松明で船を夜から守っていた。まるで祭りでも行われるかというぐらいに煌々ときらめいていた。
そこにはさらに、周りの船とは趣が違って浮いている船があった。船首から大砲を突き出したそれは水軍の軍艦だった。それも二隻。
このあたりはそれが必要な場所なのだ。今この海には、どこからか現れた蜥蜴人が大量にうろついていた。
中央甲板にいたシーザは、父親からもらったおさがりの単眼鏡から目を離した。古くなった子供のおもちゃのようなそれは、シーザの首に吊り下げられて揺れた。軍艦かぁ。ぼくだって、本当なら水軍の大将になってやりたかったんだ。海賊団の親分でもいい。とにかく、こっち側じゃなくて向こう側にいれば、いつ襲われるかびくびくしないでよかったんだ。逆に、モンスターをぶっ倒して、普段は偉そうにしている船の奴らに大威張りできるのに。シーザはつまらなさそうに船を眺めまわした。
船は順調に航路を進み、セキュワ港の明かりをとらえていた。そのたびにどんどん憂鬱になっていった。
彼らは突如として危険地帯になったセキュワ沖をさっさと抜けて夜通しの航海をするようにと、ウェストランデ廻船の本部から通達が届いたことを知っていった。
船長が船員たちに今度の航海について説明するときには一言も本部のことは触れなかったが、それは出港する前から噂にされていた。実際にはどうするんだろう、とみんなが気を揉んでいた。本当なら寄港して一晩過ごしたほうが絶対にいい。でもそうなったら、貴族たちはいったいどうするだろう?船員たちにはそれがやけに恐ろしかった。
急に沸々と怒りが込み上げてきた。あれもこれも、貴族のせいで、貴族のせいで、貴族のせいで!
「ああ、もう!」
ウェストランデ廻船はこの国唯一絶対の海運業者で、その効率は良くなく、利益のほとんどは貴族がとる。今回の命令だってそのせいだ。そこにいるのが危ないなら、さっさとそこを離れればいいではないか。
あいつらはきっと真夜中の海を渡る怖さを知らないんだ。ぼく……おれでも知ってることなのに。
シーザは足元にあった木箱を蹴り飛ばして山へと戻した。シーザは運が悪かった。
「おい、シーザ!てめぇまた積荷を蹴りやがったな!」
「いぃってぇ!?」
頭がつぶれたような鈍い音がした。すぐさましゃがみこんで両手を頭にやる。頭はつぶれていなかったが、大きなこぶができているようだった。力加減って言葉を知っているのかな、とシーザは心の中で毒づいた。
「な、何するんだよおっちゃん!」
「水夫長と呼べ!まったくお前ってやつは口の利き方もなってねぇ」
そこまで言うと、日焼けした巨漢は忌々しげに蹴り飛ばされた木箱を見やった。
「大事な積荷になんてことしやがる」
その言葉にシーザは裏切られたような感じがして体がびくっと震えた。
「なんでだよ!それはあのくそ貴族の……」
「積荷を足蹴りにしやがった野郎が何言ってやがる!役立たずは船から叩き落とすからな!」
シーザは水夫長の懇願を混ぜ込んだような怒気を見た。そうだった、とシーザは思った。船長も事務長も、今回から廻船本部の、貴族の言いなり連中に変わったんだ。もごもごと不満そうにわかったよとつぶやく。
「ははっ、見ろよ!シーザの奴、どうせまた貴族がどうのとかいって荷物を蹴っ飛ばしたんだぜ!」
「まじだあいつ!あんなんじゃ船長にもなれねえぜ!」
おちょくるような会話は頭上を飛び交っていた。キッと顔を上げた。アントンとベルタだ。二人は一回り高くなった船首と船尾の甲板の手すりに立って、シーザをちらちら見ながらバカにしあっていた。
「くっ……うるさい!ぼっ、おれはそんなことねぇっつーの!」
「ははっ、ぼぉっ、だってよ!」
「まじだ、もうあきらめてぼく、って言っとけよ!」
「っ~~~~!」
「俺の前で駄弁るとはいい度胸だな!!晩飯の後で用があるから覚悟しておけよ!わかったらさっさと持ち場に戻れ!」
二人は口々に冷やかしながら自分の持ち場の方へと戻っていった。ぎろりとした目がシーザの方にも向けられる。背筋に寒気が走った。
「おい、シーザ。おまえもだからな。ったく、餓鬼どもがはしゃぎやがって……」
どすどすと水夫長は船首楼に設けられた水夫室の方へと戻っていった。舷側階段から降りてきた他の水夫が調理室へと食事をもらいに入っていった。もう夕飯の時間だった。いつまでたっても港には入らなかった。
今頃あのかがり火のところにいる連中はおれたちのことを言ってるに違いない。こっちの気も知らないで。
シーザはそれでも単眼鏡から見るセキュワの景色に未練がましく見つめた。あの二隻の軍艦は助けを呼べば来てくれるだろうか?
貴族たちがあんな突拍子もない命令をしてきた理由のひとつにはあの軍艦たちがあてにならないとみなされているからだ。
フォーランド。死国と呼ばれるあそこのモンスターは並みの大地人じゃ手がだせない。
どういうわけか、そんなとこから来たらしいと噂になるほど強い蜥蜴人がうろついているのだ。
それに、もともと貴族は兵士が嫌いだ。
事あるごとに貴族――の家来だか下っ端らしい船長や事務長――が、セキュワにいる水軍が港に入り込む蜥蜴人を追い返すのがやっとだと馬鹿にしているのを見たことがあった。
銅鑼の音が甲板に響いた。交代の時間だ。憤激を食欲が打ち消し、調理室へ夕飯をもらいにかけていった。
見習い水夫は水夫たちからいろいろな雑用を押し付けられる。たいてい身売り同然で廻船に引き取られた子供である彼らは、下積みといって見張りや使い走り、荷物運びから、港での荷役や後輩いじめまで幅広い苦難にもまれる。アントンが夕食の前にランタンに火を入れるようロウソクを持たされたのもそのせいだ。
(くっそ、あのヤローども……へらへらと俺の飯取り上げやがって!)
もちろん不機嫌だった。燭台を持って足で床を小突いて行きながら、ふてくされていた。中央甲板のほとんどを占拠する木箱や麻袋の山の横にできた小道を通り、舷側階段をのぼって船首甲板に上がったそこにはロープやタルが置かれ、マストや帆から伸びた縄が舳先や帆柱受けにつながっていた。ごちゃごちゃとしたそこはもうすでに暗くなっていた。
舳先にランプが取り付けてあった。そこに燭台を入れようと舳先へ身を乗り出した時だった。波の音に乗って、警戒心に満ちた蛇のような鳴き声が下の方から聞こえた。アントンは年上とはいえ子供らしく、それを特になんの疑念も持たずに覗き見た。
そして、舳先のすぐ下にしがみつき鋭いかぎづめを食いこませている蜥蜴人と目が合った。
悲鳴と爬虫類の咆哮は同時だった。蜥蜴人が鉤爪に力がこもり、三体の侵入者は一斉に跳躍した。
鱗が月光を照り返し、弾丸のような勢いで目の前を掠めた鈍い灰青色の物体はアントンの顎にぶつかってなお速度を緩めなかった。アントンが痛みと衝撃で甲板の上に落っこち、ランプに入れるはずだった燭台はロウソクごと船首甲板に落ちて木の板をあぶった。それを拾い上げるはずの見習い水夫は、向かってくるリザードマンに恐れおののき、助けを求めて去っていた。後にはただ、炎に照らされた蜥蜴のモンスターだけがいた。
「あれがモンスター……?」
シーザは呆然とつぶやいた。こんなにもあっさりと海の死刑執行者にとらわれてしまうとは思っていなかった。足元の明かりから照らし出された蜥蜴人は普段船に襲撃するようなサファギンとは全然違って見えた。無駄をそぎ落とし、筋肉と固い鱗でできた天然の鎧、雑なつくりだが分厚い刀身の蛮刀を携えている。彼らとは対極にあるような水夫長やベテラン水夫たち――贅肉と筋肉でできた巨体、申し訳程度の皮鎧、ところどころ錆が覆っている長槍。水夫長は長槍ではなく、昔から愛用しているという戦斧を持っていた。アントンは彼らの後ろへと泣きながら戻ってきた。水夫長は見るなり大声で怒鳴った。
「アントン!てめぇ、ありゃなんだ!もしかしてロウソク落としたんじゃねえだろうな!?」
船首の方の炎の姿、は少し低くなっている中央甲板からでもわかるほどになっていた。それが分かって、ガキ大将はたちまち青くなって返すべき言葉も見当たらないようだった。年増の水夫たちが隠そうともせずに逃げ場を埋めるような視線を投げる。誰かが、「おい、あれ早く消さねえと船が燃えちまうぞ!」と叫んだ。船尾の方にある部屋から船長と事務長が出てきた。二人とも貴族側の人間で、船の指揮と会計を握って絶対にディアノーグ号が本部の言うとおりにするように見張っているのだ。悪代官のような印象の太った男が喚いた。
「お前ら絶対にそいつらを追い出すんだ!たかが三体だぞ!商品に万が一にでも傷がつくようなことがあったら、たとえくたばらなかったとしてもてめえらを海に突き落とすからな!本当だぞ!」
「そうだ、積荷には手を出させるな!お前らなぞ足元にも及ばんようなお方の所有物なんだからな!」
メガネをかけた神経質そうな事務長が追従して声を荒げた。水夫長の舌打ちが聞こえた。見習いたち三人へがなる。
「水だ!俺らが相手してる間にお前らで火ぃ消すんだ!分かったな!」
そう言うと水夫長は鬨の声を上げ、舷側階段を二手に分かれて駆け上がっていった。そのすきにシーザ達は船首楼の真ん中の扉を開けて物置に入った。バケツを取るためだが、ついでに全員分用意してある槍に触るチャンスだと思っていた。だが、真っ先に部屋に入ったベルタから落胆の声が上がる。
「まじかよ!ねぇ!槍がもうねぇよ!どうなってんだ!」
たしかに武器棚には人数分あるはずの長槍はもう無かった。いくら子供だからといって、人数をケチっているウェストランデ廻船では、襲撃にはみんなが対応できるようにするのが決まりのはずなのに!誰かが――いや、あの事務長が屁理屈をこねて売り飛ばしたんだ!自分たちの武器は部屋に飾ってあるくせに、こういう時は人任せにする奴らときたら!
「ははっ、くそっベルタ、もうねえもんはしかたねえし……ここは暑い。きっと上の火が燃え広がってんだ。早く……行こうぜ」
アントンの癖になっている笑い声はすっかりかすれていた。涙は乾いているがまた泣き出してしまいそうになりながらバケツを三つ持って立っていた。二人は声も出せずにバケツを取った。
船に積んである水は貴重な真水だ。三人は取っ手に荒縄のついたバケツを海へ放って水を汲みだした。シーザが重くて持ち上げられないのをベルタがむっつりと黙ったまま手伝った。
三人とも用意ができてから船首甲板への階段を上がった。
船首甲板にはすっかり床に火が燃え移り、手近なものをどんどん火あぶりにしていた。その炎は皮肉ながら水夫たちに光を与え、夜に戦う不利を補っていた。それが分かって三人に迷いが少し湧き上がったりもしたが、さっきの部屋のことがあっては消火しようとしないなんて思いもよらなかった。三人は一斉に容器の中をぶちまけた。火は一度では到底消えないところまで広がっていた。船首の縁をなぞるように広がっていく火の手は、制御不能になる一歩手前で何とかとどまっていることが分かって見習いたちを恐々させた。だが、このまま続けられるなら、十分消火できそうだった。三人は先ほどよりよほど高くなったところから縄を垂らして水を汲み上げようとしていた。そして、破局は真後ろで発生した。
「うわぁぁぁ!くそトカゲがぁ、槍を離せぇぇっ!」
シーザ達とは反対側の隅で蜥蜴人を囲い込んでいた水夫たちの中の一人が、あいつらが何より嫌って蔑むはずの女っぽい金切り声をあげた。長い槍の動きに慣れ切った蜥蜴人はグイッと槍ごと水夫を手前に引き寄せると、それまでのうっぷんを晴らすかのように体重の乗った斬撃を巨漢の胸に叩き込んだ。断末魔を漏らすこともなく倒れこむ水夫を尻尾で海へと跳ね飛ばし、彼と組んでいた相手していた片割れに容赦ない猛攻をあびせていた。一人になった水夫が長く持ちこたえられそうにないのは明らかだった。互角に戦えるのは水夫長だけなのだ。その水夫長にしたところで、防戦以外になすすべがない。水夫長が倒せないものはないという信頼がもろく崩れ去っていく。
「ちくしょう……やっぱり港にいるべきだったんだよ」
「あの噂、本当なのか……本当にフォーランドから来たのか……?」
口々に水夫たちから動揺が漏れあふれた。取り返しがつかない、という焦燥感で体力がすり減る。セキュワ沖はすっかり夜の帳が下りていた。ディアノーグだけが不自然に明るい。消火の手は鈍り、火は勢いを強めていく。ベルタから絶叫が響いた。爬虫類の声はシーザのところにも聞こえてきた。
「う、うわぁ!」
いつの間にか船縁に立っていた蜥蜴人はシーザを苦も無く跳ね飛ばした。続々と積荷の山へと向かっていく。木箱の山を縛っている縄は火炎より大きくて確実な脅威にさらされようとしている。
「くそったれ!もうだめだ、港に引き返せ!こんなんじゃ無理だ!」
誰かが声を上げた。すでに針路は再び港へ向こうとしていたが、誰もがオオトカゲたちの相手をしなければならないみたいだった。風をとらえることができず、今やディアノーグ号はふらふらと暗闇をさまよっていた。セキュワ港にいる二隻の帆装軍艦には本当に動く様子がないように見てとれた。船尾の方にいる船長だか事務長から罵声が飛んだ。だがその時、北西の方から強い光が降り注いできた。海を渡ってきた聞こえてきたものは、笛を甲高く鳴らしたような高い音でありながら妙に人間味がなく、平坦だった。存在を強烈にアピールするその何かへ顔を向けた。それは強い光を発する輝く精霊に付き添われた一隻の船だった。その船の側面には巨大な水車がついていた。自然のさじ加減から解放されたような動きだった。
「な、なんだあれ……」
シーザは初めて見る異形の船に唖然としてただ立ちすくんだ。
「はっ、シーザ、ぼさっとすんな、左だ!」
「え、うおわあ!」
爬虫類的な鋭く吐き出された息とともに振り下ろされた剣を隣の床へ身を投げることで危うく避けた。アントンはシーザの首根っこを引っ掴んで積荷の影に逃げ込んだ。海を眺めていた時に思い描いていたヒーローのような活躍は頭から消え去っていた。
シーザは途方に暮れて再びセキュワの海を見やった。そしてまた驚きに遭遇した。その水車船は加速してもう目前にまで迫り、その乗組員が見える。舳先から船首にかけて十数人の男――じゃない?女もいるし、法衣を着た魔術師のような奴もいる。なんだろう?兵隊じゃない。あんな豪華そうな鎧や剣は誰も……。
「あっ、あれまじで冒険者じゃねえか!?あの変な船も、きっとそうだ!行商のおっちゃんが言ってたんだ!」
ベルタが指差して叫んだ。その声を待っていたのかのように、あの憎っくき大トカゲ以上の驚異的な跳躍力で冒険者たちが海を越え、一斉に船全体が場違いな光に照らし出された。シーザは衝動的に空を見上げた。そして見た。マストの先端、そのさらに上空に、黄金に輝く竜のような精霊がいつの間にか幾体も現れ、光を地に向けて放っていた。さらに船首を包み込んでいた炎は謎の水車船に乗った冒険者が放った水の魔法で、焼かれてもろくなった建材を砕きながら荒々しく消火していった。まだ小火がところどころで残っていたが、それはもうシーザ達の仕事だった。
船尾に飛び移った冒険者たちは蜥蜴人たちを圧倒していた。水夫たちから歓声が上がった。波のように向かってくる蜥蜴人の前に立ちはだかった大男が身の丈ほどもある両手剣で向かってくる爬虫類の波を斬り払ったのだ。アントンもベルタも、積荷の影から顔を出して見入っていた。後ろで扉が軋んだ。見れば、船首楼に閉じこもっていた船長と事務長がそろそろと様子をうかがっていた。突如として現れた援軍が信じられないようだ。だが二人は突然顔色を変えると勢いよく扉を閉めてしまった。理由はすぐにわかった。
蜥蜴人の一匹が喉の奥から粘液を飛び散らせながら剣を振りかぶっていた。いつの間にか紛れ込んでいた最後のモンスターは一矢報いようと跳びかかった。
「うわああああああ!」
金切り声をあげてシーザは飛びのいた。しかしアントン達の背中は。肩口を掴まれてデッキに押し倒される。鋭利なツメが食いこんで肩の肉をえぐっていたのだが、シーザの注意は今にも突き出されようと引き絞られた蛮刀に向けられていた。その先の展開は悲劇性に溢れ、誰もが簡単に予見できるものだった。もちろん、悲劇は現実にならなかった。船尾楼の壁を蹴って矢のように飛来した冒険者の細剣の長細い刀身が蜥蜴人を串刺しにしていたからだ。思えば、何も心配することはなかったのだ。シーザに細剣の冒険者がかけた安否の問いかけもよくわからなかった。シーザには、精霊の光の先導のもと、煌々と照らされたセキュワ港へ曳航されていくのを確かめることで精一杯だった。