表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

二十七歳の誕生日。

作者: 海田 陽介

 目を覚まして、ああ、明日は誕生日なんだ、と、彼女はふと思った。


 今年で二十七歳になる。


 二十七歳というのはちょっとした年齢だ。おばさんというほどの年齢ではないけれど、でも、もう若いという感じじゃいな、と、ぼんやりと彼女は思う。


 できることなら歳なんてとりたくない。自分がどんどん古くなっていくみたいで嫌だと彼女は感じる。


 だけど、それは避けようのないことだ。誰だって歳をとるし、それが嫌なら死ぬしかないのだから。でも、今のところ彼女はまだ死にたいとは思わない。


・・ただ、ほんのちょっと哀しい気がするだけだった。


 せめて、今年もあのひとがとなりにいてくれたら、歳を取ることもそんなに苦痛じゃなかったかもしれないな、と、彼女は考える。くだらない感傷かもしれないけれど、彼女はそんなふうに思わずにはいられなかった。


 彼女は別れた男のことを少し、思い出した。


 その男とは約四年半付き合った。


 結婚するつもりだった。実際にそんな話もしていた。


 だけど、些細なことが切っ掛けで喧嘩になって、別れることになってしまった。


 それまでもよく喧嘩はしていたけれど、でも、今回の場合は、もう、元には戻らなかった。


 だけど、そんな話はどこにでも転がっているし、少しも特別なことじゃない。わたしはたぶん、ちょっと大げさに悲しがっているだけだ。


 しっかりしなさいよ、と、彼女は自分自身を叱咤する。わたしよりももっともっと辛い思いや、哀しい思いをしてるひとはたくさんいるのだから。何をこれくらいのことでメソメソしてるんだろう。バカみたいだ。・・・ほんとにバカみたいだ。


 でも、いくらそう言い聞かせても、少しも心は軽くならなかった。彼女は重たい心をひきずるようにして、無理にベッドから身体を起こした。


 これから仕事に出かけなくてはならない。


 彼女は大学を卒業してから植栽関係の会社で働いている。


 仕事は楽しいような、楽しくないような、曖昧な感じだ。特別大きな不満はないけれど、でも、今の仕事をずっと続けていきたいといような気持ちにもなれない。とりあえず今はいいとしても、これから先どうするんだろう、と、ときどきそんなふうに考えることもある。


 だけど、その疑問に対して、はっきりとした答えを出すことではない。出せないから、ちょっともやもやとした気持ちになったりもする。


 部屋のカーテン開けると、明るい太陽の光が、彼女が一人暮らしをしている狭い部屋のなかに溢れた。


 浴室で顔を荒い、歯を磨く。それから簡単な朝食を作って食べる。トースト二枚と紅茶。


 服を着替えて、化粧をして、駅までの距離を少し歩く。そしてすし詰めの電車に三十分程揺られて会社にたどり着く。・・いつもどおりの毎日が過ぎていく。


 仕事を終えて彼女が家にたどり着いたのは、もう十時近くだった。今日はちょっと仕事が長引いて残業しなければならなかった。最近は毎日のように残業している気がする・・。


 とりあえずという感じでシャワー浴びる。シャワー浴びたあとに遅い夕食を取る。これから料理をする気にはとてもなれないので、夕食は帰りがけに買ってきたコンビニ弁当だ。


 テレビをつけ、それを見るともなくみながら弁当を口に運ぶ。弁当ははっきりいって、もう食べ飽きてしまったせいか、あまり美味しくない。ほんとうは食べたくはないのだけれど、でも何も食べないわけにはいかないから、無理に食べている感じだ。


 テレビ番組は退屈で、そのうち彼女はうんざりした気持ちになってテレビを消した。テレビを消すと、とたん部屋のなかはひっそりとして静まり返って、彼女は息のつまるような孤独を感じた。


 何か音楽をかけてもいいのだけれど、何も聞きたいと思う曲が思い浮かばない。


 彼女は諦めてまたテレビを点けた。テレビでは恋愛をテーマにしたバラエティ番組がやっていた。テレビに映っている俳優が、どことなく、昔好きだった男に似ているような気がする・・・。


 何となく部屋の空気が淀んでいるような気がして、彼女は部屋の窓を開けた。窓を開けると、夜の涼しい風が静かに吹き込んできた。


 微かに、夏の匂いがした。


 風と一緒に、アパートの外の、様々な音が部屋のなかに流れ込んでくる。


 車の走りすぎる音、電車の音、近くにある公園の木々が風にそよぐ音、虫の鳴き声・・。


 風に吹かれながらそれらの音に耳を傾けていると、それまで沈み込んでいた心が、少しだけ、穏やかになっていくのを彼女は感じた。


 彼女はふと思いついて冷蔵庫の前まで歩いていき、その冷蔵庫のなかから缶チューハイを一本取り出した。そしてそれを持ってまた部屋の窓の前まで歩いていくと、窓の外に見える街の光をぼんやりと見つめながら缶チューハイを飲んだ。


 気がつくと、いつの間にか部屋の時計の針は十一時五十五分を指していた。


 もうあとほんの少しで二十七歳になってしまうんだ、と、彼女は無感動に思った。


 そして、彼女はふと思い出した。別れた男が毎年、誕生日、十二時きっかりに電話をくれたことを。


 やがて時計の針は十二時ちょうどを指した。もしかしたら、と、彼女は期待したが、しかし、電話はならなかった。


 ケータイ電話を見つめる彼女の顔に、それとわからないほどの微かさで、悲しみが広がっていく。彼女は軽く瞳を閉じ、何かが通り過ぎていくのを待つように少しの間そのままでいた。

 

 そして、少し経ってからゆっくりと閉じていた瞼を開いた。


 それから程なくして彼女のケータイ電話が鳴った。それは友人からの電話だった。彼女は五秒間程、ケータイのディスプレイに表示された友人の名前を見つめていて、やがて電話にでると、すぐに笑顔で話し始めた。


「ハッピーバースデー。」と、友人が彼女のためにお祝いの言葉を述べる。

「ありがとう。」と、彼女は笑って答える。


 アパートの窓から風が入り込み、彼女の耳元をそっと吹きすぎていく。彼女は耳元を吹きすぎていく風の音を感じながら、これから訪れる夏を想う。そしてもう過ぎ去ってしまったいつくもの夏を思い出す。

 夏の高くて青い空。照りつける熱い日差し。蝉の鳴き声。夏の濃い緑の木々。海と線香花火、みんなの笑い声、それから・・。それから・・。彼女は考え続ける。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 自分も今年で27歳。 仕事はやりがいがああって楽しいが、具体的な目的が見えず複雑な感じが、なんか親近感を感じました。
[一言] ちょっとせつない誕生日。 文章がとてもキレイでした。 これからも頑張って下さい!
[一言]  彼女に伝えて欲しいことが二つあります。まず一つは、二十七歳の女性はまだまだ魅力的です。「もう若いという感じじゃいな」という考えは間違いです。そして二つ目が重要です。歯を研いた後に、朝ご…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ