眩い月灯りの下で
「大丈夫? 」
あやめは助け出した少女の肩を優しく揺らして呼びかけた。
暫くの後、少女の瞼がうっすらと開いた。
「よかった、気が付いたんだね」
あやめはほっとしたように微笑んだ。
少女は意識が混濁しているのか、ぼんやりとした眼差しで周りを見ていた。
「あなたはここで倒れていたの、立てる? 」
そう言って、あやめが差し出した手を少女は取り、ふらつきながらも立ち上がった。
「もう大丈夫? 」
「……はい、少し頭痛がしますが平気です。私、どうしてこんなところに? 」
「よく分からないけど、ここに倒れてたの。早く家に帰った方がいいよ。あなたの家はどの辺り? 」
いたわりを向けるあやめの言葉に、少女は俯いた。
「随分長い夢を見ていたような気がします、でももう現実に戻ってしまったんですね」
意気消沈したような少女の表情に、あやめは戸惑った。
「内なる闇を払わない限り、どうせこいつはまた何度でも別の何かに喰われるぞ」
偕人があやめの耳元でそっと囁いた。
「……! 」
「おい、お前。何故この場所に来た? 」
偕人は少女の前に立つとそう告げた。
少女はぼんやりとした眼差しのまま応える。
「うちが借金を抱えることになってしまって、親にお金の為に、人の妾になれと言われました。でもどうしても嫌だったんです。親の言うことなら、どれほど嫌なことでもきかなればならないのかと、そう考えているうちに気が付いたら此処に……」
あやめは驚き、立ちすくんだ。
その時、偕人が言った。
「お前の中で答えは出ているんじゃないのか? 」
「……」
「いいか、己が踏みにじられ歪められる時には、何処まででも徹底的に抗え。もしそれが出来ないというなら、それは己の無力のせいだとせいぜい諦めることだな。自分の道を決めるのは自分でしかない。誰かのせいにするような無様な真似は決してするな。それが最も己を惨めにする」
あやめにはその言葉を語る偕人が普段とはまるで別人のように見えた。
偕人の言葉に女学生は何を感じたようだった。
「徹底的に抗う……」
反芻するように少女がそう呟いた時、校門の辺りから誰かが叫ぶような声が聞こえた。
それと同時に四十代くらいと見受けられる男女がまっしぐらにこちらに駆け寄ってこようとするのが見えた。
「お父さんとお母さん……? 」
少女が呟いた言葉に、あやめが微笑んだ。
「よかった、きっとご両親があなたを心配して探しに来たんだね」
三人の親子は肩を寄せ合い月明かりの中、帰路についた。
その場にはあやめと偕人と朔夜だけが残された。
偕人は目を細め、空を見ていた。
「ほっとしました。あの子のご両親が考え直してくれるといいですね」
「……ああ、そうだな」
あやめは不意に自分の足元を見た。
何処かで草履が脱げ、泥だらけになってしまっていた。
それを改めて目の当たりにした瞬間、まるで何かの糸が切れたかのようにあやめの両眼から涙が次々に零れ落ちた。
「お前、急に何泣いて……! 」
偕人が面食らったように言った。
「よく分かりません……でも、さっきまで怖かったんです、とても。……嫌だな、草履も無くなってしまったし、すごくお気に入りだったのに……足も着物もこんなにぐちゃぐちゃになってしまって……」
嗚咽を漏らしながら、あやめはしゃくりあげて泣いた。
「当たり前です! 偕人、あやめさんは女の子なんですよ?! あんな恐ろしい目に遭わせて巻き込んでおいて! 」
「いや、それはこいつが自分から囮になるって言うからやったまでのことで……」
「いいんです、朔夜さん。私が決めたことなんだもの。偕人さんは何も悪くないから」
あやめは一生懸命涙を拭いながらそう言った。
「……」
暫く偕人は黙って傍らに立つあやめを見つめていたが、不意に何かを思ったように腕を伸ばし、あやめを自分の腕の中に抱き上げた。
「……! 」
「動かずにそのままじっとしてろ、どうせそんな足じゃろくに歩けないだろ。俺のような嫌いな男が相手でも今は我慢していろ。その方が得策だ」
「……」
あやめは抱き上げられたまま、真っ赤になって動けないまま微かに震えていた。
薄い着物を通して、偕人の体温が直に伝わってくる。
「さあ、帰るぞ」
そのまま偕人は歩き出し、不意に上空の月に一瞥を向けた。
煌々とした満月。
その光が柔らかく道の上に落ちていた。
「あやめ、さっきのことは忘れてくれ」
偕人がひどくばつの悪そうな顔で言った。
「……? 」
「俺がさっきあの生徒に言った言葉のことだが……柄にも無いことを言った」
偕人は顔を背けながらそう言った。
「別の人かと思いました」
「……嫌なことを思い出しただけだ。だから忘れろ! いいな! 」
居心地が悪そうな、悔いるような言葉を吐いた偕人の様子が、余りに似合わないように見えて、あやめは思わず噴き出した。
「お前、何笑ってんだよ! 」
「だって、偕人さんなんか変だから」
「だからもう忘れろって言っただろ! 」
あやめは半分泣き笑いで頷いた。
それを見届け、偕人はあやめを抱き上げたまま、ゆっくりと歩き出した。
「……あのな、朔夜。俺の頭は止まり木じゃないんだが? お前、なんか間違えてないか? ……まぁいいか」