神域の者達
「大和……白兎達の態度に、俺は今、恐ろしく嫌な予感しかしないんだが」
「残念ながら、僕も同意見ですよー」
偕人と大和は、思わず後退りたくなる衝動を堪えながら、互いにそう言い合った。
「何か打開策は無いか? 」
偕人からの言葉に、大和が少し考えた後で、笑顔で口を開く。
「祠にいる神なんだから……何か供えてみる、とかですかー? 」
そう言いながら、大和が思いつきで小脇に挟んでいた、落雁を幾つか箱から取り出すと、祠の前に並べ始めた。
「おい、大和! ちょっと待て、そんな適当なものでいいわけが……! 」
「物なんて、どれも同じですよー。重要なのは心の方じゃないですかー? 」
唖然とする偕人の前で、大和がそう言ってのけた。
それから、二人は揃って、神社を訪れた際に、神の注意を自分に向けさせる時と同じように、柏手を打ち、目の前の神の怒りを鎮めようと一心に念じた。
次の瞬間、男の二人の間すれすれをかすめるように、白兎達が放った火球が恐ろしい速度で飛び、壁に衝突し地揺れが襲った。
思わず振り返った、二人の顔が見る間に更に青ざめていき、我先にと互いを蹴り合いながら、踵を返し全力で駆け出す。
「やっぱり失敗じゃねーか! どう考えても、今ので白兎達を、更に怒らせただけだろうが! 大体ついさっき人から貰ったものを、いきなり供えるとか、お前はどういう了見してんだ! 今すぐさっきの場所まで戻って、白兎達に誠心誠意詫びる為の、貴重な人柱の人材になってこい! 」
「おかしいなー。肝心なのは供え物の方じゃなく、清らかな信心深い心で、拝むことだとばかり思っていたんですけどねー」
釈然としない様子で、大和が言う。
「身も心も限界まで汚れきっているお前が言うと、俺には身体を張った冗談にしか聞こえねえよ! 」
掴み掛らんばかりの勢いで、次々と集中砲火のように飛んでくる火球を避けながら、偕人が叫ぶ。
「あの兎達……ここで忘れられ過ぎて、人と常世の向こう側の者達の区別がつかなくなったんじゃないですかねえ。私のことも、眷属なのに全く気が付いていないようですしねえ」
不毛な言い合いを続けながら逃げる、二人の男の前で、それまで黙って事の次第を見守っていた、朔夜がそう言った。
「だったら白兎達は何の為に、何故ここに自分達がいるのかすら忘れ去っているってことかよ! 」
「まあ、敵味方の区別がさっぱりつかなくなっている辺り、その可能性は有り得るでしょうねえ。こんなところ暗がりに忘れられたまま、閉じ込められていた事を考えれば、心の底から同情しますよ、私でも」
「朔夜の今の話を聞く限り、白兎達は闇が近すぎて狂っているらしい。ならば、大和とは似た者同士で気が合うだろ、だから、とっとと早く行ってこい! 」
「無茶なことを言わないで下さいよー。あんな相手に、話が通じるとでも思ってるんですかー」
「まあ、あの兎達にこちらの声が届いていないのは、明らかですねえ」
そう言いながら、三本足の烏が大きく翼を広げたのを目にして、偕人が驚愕しながら叫んだ。
「さ、朔夜、まさか、お前、俺達をこのまま見捨てて先に逃げる気か?! お前に慈悲の心は無いのか! 」
「残念ながら、私は元々が仏門の出ではなく、神道の神なので、急にそんな仏の教えを説かれて、それを勝手に期待してもらっても困りますけどねえ」
「日本は神仏習合だろ?! 」
「そんな明治以前の、とうに過ぎ去った、過去の話はやめてもらいたいですねえ」
「たかだか五十年ばかり前の話を、何千年も生きてるようなお前が、さも古いことのように語るのはやめろ! 」
「まあ、私を恨むより、神仏を分離させた、当時の政府を恨んだらどうですか? 」
「この局面でそんな取ってつけたような、不条理な理屈を振りかざすんじゃねええ!!! ただ俺が嫌いだから、力を貸したくないだけだと、素直に言えよ! 」
「だったら遠慮なく言ってあげましょうか? まさにその通りだと」
すげない言葉共に、あっという間に飛翔しながら遠ざかっていく烏の黒い影に、偕人が絶望的な雄叫びをあげた。
「参ったなー。この火球の嵐じゃ、避けるに精一杯でサーベルを抜く暇も与えてくれそうにないなー。この局面で一番役に立つはずの、けったいな神憑りの何処かの当主は、神に助けを借りるどころか、見放されて孤立無援で、完全に見捨てられていて役に立たないしー」
「深刻に考え込むようなふりをしながら、さりげなく俺の悪口を混ぜて、傷口に更に塩を塗るような真似はやめろ! 」
偕人が顔を真っ赤にしながら叫んだ。
その時、突然思ってもいなかった人物の声がした。
「月城様! 」
それと殆ど同時に、再び偕人の間近に飛んできた火球が、呪符によって相殺されて掻き消えていく。
隙をついて大和が一気にサーベルを抜き、火球を強烈な風圧で一気に押し戻す。
「要! どうしてお前がここに?! 」
偕人からの驚きの言葉に、要が一瞬戸惑ったような表情を見せた。
「……風丸が教えてくれました」
要が足元にくっつくようにしながら、自分を見上げてくる、風丸の毛並みを撫でながら言った。
「間一髪でしたね……。さっきの揺れに、嫌な予感がしたんです」
懐から取り出した呪符に念を込めて放ち、飛んできた火球を次々に捌きながら、要が何時も通りの穏やかで落ち着いた口調で言った。
サーベルを抜いた大和の風圧が、白兎達へ危うく直撃し、そのまま吹っ飛ばしかけたのを目の当たりにして、偕人が叫んだ。
「大和、やめろ! まだ白兎達を叩くな! やればここ自体が崩壊する! 」
「その理屈は分かりますけど、このままじゃどうにもならないじゃないですかー」
「……」
「上で見た通り、外側の結界が崩れている状況では、ここも長い間は持たないですから、どちらにしろ同じだと思いますけどねー」
荒ぶる神と化し、手が付けられない状態になっている、二匹の白兎達から辛くも離れ、偕人達三人は答えを見いだせぬまま、妓楼の廊下に戻っていた。
「何時もの事とはいえ、今日もまた最悪でしたねー。花街が崩壊した後の事は考えたくないですけどー」
大和が壁に背を預けながら、げんなりしながら言った。
「まだある程度の猶予はあるだろう。どうするかはまた後日出直す時に考えればいい。今日はここの店で、少し飲み直してから帰るか」
偕人から提案に、大和も苦々しく頷く。
「でも、ここに長居でもすれば、あやめさんが心配するんじゃないですかー。こんなことになってるなんて思わないでしょうから。今日はおとなしく引き上げた方がいいんじゃないですかー? 」
「……そうだな……帰るか」
偕人が顔をしかめながら、渋々、同意した。
風丸だけは唯一楽しそうな様子で周囲を跳ね回っていたが、不意に何かを感じ取った様子で、ぴんと両耳を立てると、廊下の奥の方に向かって、まっしぐらに駆け出していった。
「待て、風丸! また猟銃で追い回されたいのか、お前は! 」
その時、廊下の奥の方からそっと顔を出しかけていた娘に、風丸がじゃれつこうとした。
「……! 」
それに気が付いた要が慌てて走り出して、止めに入る。
「雪椿! 」
そこにいた娘、雪椿が要の呼び声に顔を上げた。
「時政様……部屋で待っていたのですが、お戻りにならないから、何処かで迷われたのではないかと、気掛かりでお探ししていたんです。この迷い犬は……」
風丸が嬉しそうに尻尾を振りながら、雪椿が羽織った、丈の短い外套の匂いを嗅ぐ。
「ああそうか、風丸、僕の服に気が付いたんだね」
安心して力が抜けたように、要が肩を落としながら言った。
ようやく要の後方から追いついてきたらしい、偕人と大和が不思議そうに顔を見合わせた。
「要……? 」
その背後からの呼び声に、要の身体がぎくりと大きく揺れた。
そして気まずそうに振り返り、事情が把握出来ていない偕人と大和を前にして、言いづらそうに口を開いた。
「実はこれには深い事情がありまして……」
廊下でそのまま話を続けるわけにもいかず、ひとまず雪椿の部屋に移動した一同の前で、要は躊躇いながらも、此処を初めて訪れることになった日の、事の次第をたどたどしい調子で、ようやく語り始めた。




