揺るぎない証
―小一時間程前。
「もう機嫌を直して下さいよー。無理やり連れてきたのは悪かったとは思ってますからー」
大和が悪びれもせず、笑顔でそう言うのを聞きながら、偕人は花街の中にある、茶屋のひとつの奥座敷で、実に不機嫌そうに胡坐をかいていた。
風丸は流石に座敷に上げるわけにもいかず、外で繋いである。
「ふざけんな! 俺の意志を無視して、こんな場所に連れてきやがって! 」
「そう堅物にならなくても、たまにはこういうところで遊ぶのも、それなりに楽しいですよー。息抜きにもなりますしー」
「お前は気を抜き過ぎだろ! 師走の慌ただしいこの時期に、何で俺がわざわざこんなところへ来させられる羽目に……! 」
「いいじゃないですかー。書記官の要くんが有能だから、仕事も任せっきりで、何時も暇を持て余しているんだしー」
「人聞きの悪いことを言うのはやめろ! 」
偕人が限界を超えた様子でそう叫んだ時、襖が開いて、年の割に派手な着物の女が一人、しずしずと入ってきた。
「火神さん、今日は随分と珍しいお姿ですね。最初来られた時には、どなたかが分からなかったわ」
「……? 」
要領を得ず、偕人が大和と入ってきたばかりの女の、両方を見やる。
「憲兵さんの時よりも、そのお姿だと怖い印象が減りますわね」
現れた女が、この場所に似合いの色香と妖艶さを漂わせながら、くすくすと笑った。
「最近余り様子を見に来られず、ご無沙汰しております。今日は近くを通ったもので……何か変わったことはありませんでしたか? 」
大和が笑顔のままで訊く。
「何時も色々見逃して下さってるから、この辺りの店の者は、火神さんに皆感謝していますわ」
そう言って、女がうやうやしく、側で控えていた幼い少女に、小さな化粧箱を持ってこさせた。
「どうか、これはまたお収め下さいませ」
軽く会釈しながら、大和が遠慮する様子も無く、当然のように箱を受け取る様子を、偕人が愕然としながら見つめた。
「……」
女が部屋から去ったのを見届けてから、偕人が侮蔑の眼差しを送りつつ、声を低くして大和に言った。
「……俺が知らないところで、お前は普段からこんな真似を繰り返していたのか……! 」
慄然とした様子で怒りに震える偕人の前で、大和が今しがた貰い受けたばかりの化粧箱の蓋を開けた。
箱の中身を直視したくない余りに、偕人が顔を険しくしながら目を逸らす。
「んー、偕人も『これ』が欲しかったんですかー? そんなに欲しいなら、今日は此処に付き合わせた以上は、仕方がないから、少しくらいは分けてあげてもいいですよー」
「いらねえよ、そんな汚れきった不愉快な金なんて! 二度と見たくもねーよ! とっとと早く俺の目に入らないところへ片付けろ! 」
吐き捨てるように言い放った偕人に、大和が怪訝な顔をした。
「金……? 金って、一体何の話ですかー? 」
話が通じない大和に苛立ちを覚えながら、偕人が忌々しげに言う。
「だから、それは下らん袖の下か何かなんだろ? 一体何の見返りだ? 俺は心底お前と関わるのが嫌になったが……」
声を潜めながら、睨み付けてくる偕人に、大和が肩を震わせながら笑った。
「何だその態度は! 俺を馬鹿にしてんのか! 悪ふざけも大概にしろ! 」
偕人がそう言い掛けた矢先に、大和が箱の中に入れられていたものを鷲掴みすると、偕人の口に無理やり突っ込んだ。
「ぐ?!!! 」
強引に自分の口に押し込まれた物を、偕人が反射的に吐き出して盛大にえづいたが、その苦悶する顔を、横から大和が無言で拳で容赦なく殴った。
「?!!! いきなり何するんだよ、お前は! やってることが無茶苦茶じゃねーか! 」
むせ返りながら、偕人が叫ぶ。
「残念ながらこれは見ての通り、ここに来る客用の余り物の、ただの落雁なんですけどー」
「はあ?!! 」
「以前、ここに最初に来た時に、ちょっと怖い人が暴れていたんで、僕が懲らしめてあげたんですよー。そうしたら、ここの人達にやたら有り難がられてしまいましてねー。そこまで詳細に説明しなきゃならないのが、僕からすれば情けなくなりますけどねー」
襖で隔てられた、周囲の部屋からは三味線の音色と、酔客達のざわついた声が聴こえてくる。
二人の男の話し声も紛れて、かき消えてしまいそうな、様々な音が混じり合う喧噪の中、無表情になった大和が、更に言葉を続けた。
「この局面では、絶対に誤解を解いて、実力行使をしてでも分からせないと、と思いましてねー」
偕人が顔をしかめながら畳の床に転がった、花の形の干菓子を拾い上げた。
「何だ、賄賂じゃなく、本当にただの菓子か! だったら最初からそう言え! 」
「随分、下衆で不愉快な事を言ってくれますねー。勝手に一方的に決めつけてきたくせにー」
冷ややかな眼差しで、大和が返す。
「説明するにしても、もっと他にやり方があっただろ! いきなり俺の口に落雁突っ込んでくるとか、お前何考えてんだ! 」
「この、他ならぬ金に全く興味が無いような、僕に下らない疑いを持つからですよー。まあ、僕の立場だとやりようによっては、幾らでも偕人が危惧するような真似は可能でしょうから、気にするのも無理はないのかもしれませんけどー」
「……」
「だが、僕は何があろうが、睡蓮を穢すような真似はしませんよー」
鋭い眼差しで、大和が低い声色で言った。
「ついこの間まで、管狐の奴に、証ごとくれてやるつもりだった、破滅願望にとりつかれたような奴が、何言ってんだ! 」
「まあ、それはそれ、これはこれですよー」
「都合良すぎだろ、お前! 」
「そんなことより、こんなにしょっちゅうこき使われてるのに、ちんけな疑いを向けられる、討伐者の僕のことは考えてもらえないんですかー。嘆かわしくなりますよー。それが月城家の当主としての、相応しい行動には、とても思えませんけどねー」
大和が呆れつつ、責めるように口にした言葉に、どうにもいたたまれなくなったらしい、偕人が悔いるように目を逸らした。




