織姫の雛飾り
管狐の騒動から、暫くが過ぎ、木枯らしが吹き荒れ、冬が近付いてきたのを肌で感じられるようになってきた、晩秋のある日の夕刻。
戸棚に仕舞い込んだままになっていた、古い着物を解いた端切れを取り出し大量に畳の上に山積みした偕人が、片付け途中の洗濯物を手に、部屋に入ってきたあやめに声を掛けてきた。
「猫の手も借りたい状況で、丁度いいところに来たな。あやめ、お前も手伝え」
「……何をやるんですか? 」
「雛祭りの吊るし飾りを作る。新年が明けたら、節分の後は直ぐに桃の節句だから、時期的には悪くないし妥当だろ。銀河織姫の仕事の締切が近いからな。何年も原稿を書いてると、書くことがなくなってくるんだよな……この元々無いところから、毎月何らかの知恵を絞り出さなければならない、俺の苦労がお前に分かるか? 」
偕人が苦々しい表情で言う。
部屋の隅に置かれた文机の上には、偕人の言う『無い知恵を無理に絞り出した』末の残骸と思われる、書き散らかした鉛筆画が、何枚も散乱していた。
細部まで拘って詳細に記された、それらの原稿からは普段の当人の立ち居振る舞いとはまるで異なる、その人物自身の隠された側面が浮き彫りになって現れているように、あやめには感じられた。
「……? 吊るし飾り、ですか? 」
聞き覚えの無い言葉に、不思議そうにあやめが訊き返す。
「ああ、『あれ』にはここら辺りの人間には余り馴染みが無いのか。全国的な風習ではなかったな、そういえば」
そう言いながら、偕人が同じく文机の上に置かれたままになっていた、厚紙で出来た箱を持ってくると、あやめの前で蓋を開けて見せた。
中には様々な動物や果物や野菜の形をした、色とりどりの小さな人形が詰まっていた。
「わあ! 」
あやめが可愛らしい人形の数々に感嘆の声を上げる。
「退屈しのぎに、時間があった時に見よう見真似で作っていたんだが、お前の反応を見る限り、別段悪くはなさそうだな。毎月のこととはいえ、嫌になる程に苦労させられる。だが、今度の原稿も何とかこれで凌げそうだな」
偕人はあやめが見せた反応とは対称的に、徹底的に冷めた無感動な眼差しで、人形を眺めつつそう言った。
ちりめんで出来たお手玉のような人形達の中から、小さな鶏の形をしたものを取り上げながら、あやめが微妙な顔をした。
「作った本人が全然楽しく無さそうなのに、人形だけがこんなに可愛いなんて」
「……仕事でやっていることが楽しいわけないだろ」
「……」
「俺は毎年春が来る度に、今年こそはいい加減辞めさせろと再三に渡って伝えてあるが……希望が通らないどころか、俺が加わって以来、急激に部数が伸びたことを盾に、未だに離脱が許されない。関わったこと自体が、既に間違いだったと言う他ないな」
部屋の隅に置かれた、月刊誌『少女のゆめ』の最新号を憎々しげに眺めつつ、偕人が言った。
「辞めてしまいたいんですか? 織姫先生のこと」
「当たり前だ! 俺はこんな仕事からは早く解放されたいとしか思ってねーよ! 誰が他の人間に言えるか、こんな日銭稼ぎの為だけの、情けない裏稼業をな! 」
あやめはちょっと考えた様子で間を置いてから、
「私……偕人さんが織姫先生だと知って、最初は複雑な気分にもなりましたけど、今は出来れば、これから先もずっと続けてほしいと思っていますよ、読者として」
あやめが文机の上に、散乱したままになっている紙を、大切そうに集めながら言った。
偕人がやや面食らった様子で、あやめを見た。
「……お前、俺の事をそんな風に思っていたのか? 」
「何時だって本当はそう思っていますよ! 毎月苦心しながらも、原稿を書いているところを、もう何度も見てきましたから……。でも、何か力になりたくても、私は無力だから、こうやって片付けくらいしか手伝えないのが、とてももどかしいんですけど……! 」
素直に自分の気持ちを伝えることを、若干、躊躇しながらの、あやめの言葉を聞きながら、偕人は多少なりとも考えを変えたらしかった。
「そうだな……常に何らかの他の道を持ち続けなければ、終わりの見えない化け物の討伐に終始しているだけでは、薬物依存同然な大和と、俺もいずれは同じになりかねないかもしれない」
そう声を潜め、呟くように言った偕人に、あやめが何気なく訊いた。
「……何か言いましたか? 」
「いや、何でもない。俺のような人間が、本筋とは全く違う副業を持つことに関して、悪くはない気がしただけだ。これまでは考えたことも無かったが」
「……? 」
「だったら尚更、俺に今後もこの仕事を続けさせる為に、今回はお前も協力しろ。これを大量に作ってまとめて吊るすには、人形がまだまだこれだけでは足りん。一度くらいは実際に実物を作らないと、原稿の続きも書きようがないからな」
「え……? ええええ!!! 」
あやめが驚愕の余り、無意識に後ずさった。
「何だ、そのさっきまでの言葉とは逆行したような反応は! おい、いきなり部屋から出て行こうとするな! 待て! 」
偕人が無理やり、あやめの矢絣の着物の袖を掴んで引き止めた。
「わ、私がやると、絶対にこんなに綺麗には作れませんから!! 」
箱の中に詰まった人形を指差しながら、あやめが慌てながら言った。
逃げ腰になったあやめの腕を掴んだまま、偕人が呆れたような眼差しを送る。
「あのなあ、元々の手先の不器用さは埋めようがないかもしれんが、やらなきゃ何時まで経ってもそのままなんだぞ、お前は。最初から例え無謀だったとしても、せめて俺を超えてやる、くらいの気概を持てよ」
「うっ、わ……分かってますけど! でも……」
「それにこういうものは、上手い下手で計るものじゃねーんだよ。大体子供やら孫の良い嫁入りや成長を願って、雛人形の横に飾るものなんだから、大勢で作った方が、むしろご利益が期待出来るだろ、特にお前に関しては必要だと思うが? 」
「……私に特に必要って、何がですか? 」
「幾ら見合いの釣書の文言が、絶望的に貧相なお前でも、何処かで嫁の貰い手が一人くらいは見つかるだろ。この俺が作ってやったもので祈願すればな」
「……偕人さんはやっぱり喋らない方がいいと思います、絶対に」
あやめが青ざめながら、語尾を殊更に強調し、心の底から幻滅したような眼差しを偕人へと向けた。
「偕人さん、私のことよりも、由緒正しいご自分の家を継ぐ為の、お見合いのことは本当にもういいんですか? 有耶無耶にしたままで」
思ってもいなかったらしいあやめからの返しに、偕人がぎくりと身を強張らせた。
「……何だ、いきなり嫌なことを思い出させるなよ! 家に押し付けられるような結婚をさせられるなら、俺は死んだ方がマシだと思っているような人間だぞ」
偕人は渋い表情で、端切れ同士の柄を重ねて、色合いを確かめつつ何枚かを選び出すと、さっきのあやめの言葉を綺麗さっぱり無かったことにして、手慣れた調子で針仕事の支度を始めた。
その傍らで、普段の言動が相対的な評価をただ下がりにしているが、改めて見ると見慣れてしまった今でさえ、油断すると見とれてしまいそうな程、端正な偕人の横顔を、あやめがじっと物言いたげに見つめた。
「……」
そして、あやめの中には数日前、女学校の級友の咲子から言われた、忘れられなくなった『あの言葉』が、再び改めて蘇ってきた。
これまでも思い返す度に、何度も『そんな事があるわけがないのだ』と自分の心の中で打ち消してきたが、どうしても自分がこの男と近い位置に居過ぎるからこそ、心から完全に消し去ることが出来なくなってしまっていた言葉だった。
―ねえ、もし月城先生から望まれて、正式に結婚のお願いがあったら、あやめはどうするの?




