風丸、再び動く
その時、強面で凄みを利かせた憲兵団の男達が、境内に一斉に走り込んできたので、周囲の空気が一変した。
憲兵団を見た人々の表情からは、市中に広まっている彼等への悪評がよく窺え、最後に姿を現した大和に、偕人が苦々しく言った。
「……お前らはただ一か所に集まるだけでも、威圧感がありすぎるんだよ。もっと散開させておくべきだと思うが? 」
「偕人も目つきと柄の悪さじゃ、憲兵団に負けてないと思いますけどねー」
「……」
「管狐は要くんが捕まえててくれたんですかー」
即席の飴の檻を見上げながらの大和の言葉に、要が腕に抱いた風丸に視線を落としながら、首を横に振った。
「いえ、あれは自分ではなく風丸が……」
「ここからが憲兵団の本領発揮で、大活躍のはずだったんですけどねー」
「……活躍どころか、憲兵団は活動停止処分の方が妥当だと、いい加減自覚しろ」
偕人が呆れたようにそう言った後、改めて飴の檻に目をやりながら続ける。
「それにしても、水飴を使うとは、風丸のやることは奇想天外だな。人間の概念がまるで通じねえ」
「……確かに奇抜ですね。自分も驚きました」
偕人が何かに気が付いたように横を見た。
「……大和なら、あの飴の檻を風圧で落とせるだろ? 」
「多分可能ですけど、この人前で僕がサーベルをかっとばして大道芸披露ですかー? 的を絞るのは苦手なので、多分やれば、もれなく管狐ごと木端微塵になりますけどーそれでも良ければ」
「……却下だ。もっと穏便に済ませる方法を言えよ」
偕人がげんなりしながらそう言った。
「朔夜」
偕人が次に自分の頭に乗ったままの八咫烏に声をかける。
「……は、役にたたんな。聞くだけ無駄か」
身体の大きさから言って、管狐を持ち上げる腕力は到底期待出来まいと、偕人は自分の言い掛けた言葉を、途中で諦めて打ち消した。
その横では、要がしゃがみこんで、足元に寄ってきた風丸に小さな声でそっと話しかけていた。
「さっきは困った神様だなんて言ってごめん。あんなことは人間じゃ絶対できないよ、やっぱり風丸はすごいんだね」
そう言って要が毛並みを撫でると、風丸が『気にするな』とばかりに、ワンと一声鳴いた。
「お詫びに飴はちゃんと買ってあげるからね。あの金魚でいいかな? 」
そう言い終えると、未ださっきの『奇跡の飴細工』に呆然自失状態の飴屋の男に声を掛け、店の前に並んだ様々な動植物の形をしたものの中から、さっきの金魚を選び出すと、少し高めの十銭で買い取った。
手にした飴細工の金魚を見せながら、要がもう一度風丸を優しく撫でる。
風丸の温もりに、要の表情が自然と柔らかく緩んだ。
一方、偕人と大和は高い位置にある飴の檻を眺めながら、ここへ来るまでに体力を消耗しすぎて、余程動きたくないのかぼんやりと突っ立ったままだ。
そのふたりの背中に向かって、要が声を掛ける。
「梯子をかけて、ひとまずあの檻を下ろしましょう。自分が何処かで借りてきますので、月城様方はこのまま少しここでお待ち下さい」
「要……お前、さっきの風丸に喋ってた感じで、俺達にも話せよ」
偕人の不意の言葉に、歩き出しかけていた要の足がぴたりと止まる。
振り返った時、偕人と大和が自分の見ているのに気が付き、要は気まずそうに何と言えばよいか分からなくなった様子で、俯きざまに黙り込んだ。
「また、そう真剣に考え込むな。まあ、今まで変わらなかったものを、無理に直ぐに変えろとまでは言わん」
「元々、威厳も何も無いと思うんですけどねえ、偕人には」
朔夜が偕人の頭の上でしみじみとそう言ったので、偕人が眉を吊り上げながらその足の一本を無理やり引っ張った。
「……要、俺が思うに、お前はただ他の人間より自分に言われたことを、人一倍真面目に受け止めて考え過ぎているだけだ。それが別段悪いこととは思わんが……」
偕人はそこまで言った後、緩い息を吐き出してから言葉を続けた。
「……だが、お前のその何かある度に全てを自分のこととして捉えようとするところが行き過ぎると、何もかもを省みずに突っ走ろうとした、前回の詰所の時のようにまたなりかねないのではないかと思う。それに何よりそんな思考のままでは、お前自身が息苦しいんじゃないのか? 俺はただそう言いたかっただけだ」
要はじっと偕人の言葉を聞いていたが、一度だけ深く頷き、踵を返すと雑踏の中に姿を消した。
暫くしてから、要は自分の身の丈ほどもある木製の梯子をかついで戻ってきた。
それから直ぐに、木の枝に梯子を引っかけて、花の蕾を模したような飴の檻を外しにかかる。
難無く手にすることに成功した飴の檻を持って、梯子を伝って下りてきた要が、それを偕人に向かって差し出した。
言葉を発する時に、どう言うべきか、要が一瞬露骨に迷うような表情を見せたが、思い直したようにようやく口を開いた。
「……この檻自体にさほど重さは無いのかも……しれません。ですが、元の素材からは考えられない程、頑丈にはなっているのかも……」
言いずらそうにたどたどしく言葉を発する要に、偕人が思わず苦笑いした。
「無理をさせたならもう忘れろ。俺は別にお前を追い詰める為に言ったんじゃないんだからな」
「……それは分かっています」
飴の檻の中では、観念した様子の管狐がこちらをじっと窺っていた。
「わたくしの管狐の毛皮が汚れなかったようでよかったですわ! 」
横から割り込んで来た菊乃が、管狐を眺めながら言った。
「勝手に管狐を私物化するな! 菊乃にこいつを譲り渡すことについては、俺はまだ同意してないんだからな! 」
「それなら蓬莱の玉の枝か、龍の頸の五色の玉くらいを持ってくるのなら、この狐の毛皮を、わたくしが諦めないこともないですわよ? 」
「何で俺が条件を付けられる側になってんだよ」
余りの不条理さに耐え兼ね、偕人が唖然としながら言った。
要が梯子を返しに行ったのと入れ替わるように、今度は風丸が嬉しそうに寄ってきて、その場に残っていた全員を見上げた。
「風丸……檻が作れたということは、壊すことも可能か? まあ、無理だろうな」
思いつきのような言葉を、偕人が言う。
「まさか、そんな都合よく自在に出来るわけがー」
大和が続いてそう言い掛けた時、瞬間的に飴が硬さを失い、ぐにゃりと曲がりながら散り散りになった。
「ぬわっ?! 」
真っ先に、異変を察知した朔夜が変な声をあげながら空中に飛び上がり、すんでのところで難を逃れた。
だが、避けようもない位置に立っていた、偕人と大和には溶けた飴が身体中の至る所に直撃した。
「……」
突然のことに、偕人と大和が絶句しつつ硬直する。
飴の檻から抜け出た管狐が優雅な毛並みを風になびかせながら、ふわりと地に降り立った。
そして、管狐は真っ先に菊乃を見上げた。
お互いの目が合い、菊乃が微笑む。
それから菊乃が、偕人と大和の男二人に目をやった。
「あら、お前達、その最低な汚れ具合では、もはや管狐どころではありませんわね? 」
「ああ、そうらしいな……」
菊乃の言葉に、偕人と大和は揃って肩を落としながら、さえない顔でため息を吐いた。
一方、風丸は、さあどうだ自分を褒めろと言わんばかりに、偕人を嬉々として見上げた。
偕人は顔中に付着したべたつく飴を拭いながら、げんなりしつつ口を開く。
「……ああ、確かに褒めてやってもいい。管狐を捕まえたことに関してだけはな……! だがな、風丸……! お前はもっとやり方を考えろ、やり方をな! 」
飛び散った水飴だらけのどうにもならなくなった身体で、怒り混じりに偕人が叫んだ。




