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途切れぬ闇の先に

 闇に閉ざされし異界を、大和が空ろな眼差しで、サーベルを手にしたまま独り彷徨(さまよ)い歩いてた。

 ゆっくりと背後を振り返り、遠くなりかけた空間の裂け目に目をやる。

「……」

 人を喰らうことで、姿をいびつに、そして醜悪に変化(へんげ)させてきた、魍魎達が周囲を幾重にも取り囲んでいたが、大和が無感情な眼差しのままサーベルでなぎ払うことで、直ぐに完全に消失する。

 既に幾度こうして剣をふるい続けたか思い出せないほどだった。

 刃はこぼれるどころか、今しがた灼熱で(きた)えられ、研がれたばかりのように、次第に冴えわたり、今や剣全体がこれまでは無かったはずの微かな色を帯び始めていた。


 だが、自らに訪れたその変化にも気が付かぬまま、大和は剥き出しの岩が至る所から突き出した土くれの道を、求めるものも無いままに、ただ前に進み続ける。

 ここで気力が尽き、意識が途切れるまで斬り続けるのが、自分には(ひど)く似合いな気がした。

 ―幾ら進めど、この先に自分を待つ道は途切れぬ闇だ。戻る場所などとうに失われた。

「もうこのまま全て閉じてくれていい。偕人(あなた)ならそれが出来るはずだ」

 微かに祈るように眼を閉じかけた大和はただそう呟きながら、再び闇に向かって容赦なく剣を振り上げた。








 全ての部屋を確認した後、闇鋏(ヤミバサミ)を手にしたままの偕人は眼を見開き、疑いようが無くなった目の前の現実に立ち尽くしていた。

 眼前に現れたのはあの巨石の前で見たのと同じ、歪んだ空間の亀裂だった。

 しかも以前見たものとは比較にならない程の、倍以上はあろうかという大きさだった。

「……」

 偕人の背後からは菊乃に伴われたあやめが風丸と共に、駆け寄ってくる。

「偕人さん! 」

 偕人が硬い表情のまま、振り返らずに言った。

大和(あいつ)は……こんなことを俺にさせるつもりなのか……? 」

 愕然としたような偕人の言葉に、あやめの顔が強張っていく。


「この程度で、大和(あいつ)が『向こう側』に飲まれたとは考えられない」

「……」

「ふざけるな! 俺がここを閉じれば満足だとでも言うつもりか! 」


 怒りに身体を震わせながら偕人が叫んだ時、呼応するように木製の床板の一部が(きし)みを上げ、激しく上下しながら波打った。


 そのうねりは、やがて部屋及び廊下の床板全体へと広がり、立っていられなくなったあやめが必死の形相で手近な柱にしがみついた。

「な、何……? 」

 床板を内部から破壊しながら、直下から何かが這い出してきていた。

 バリバリと床材を裂きながら現れたそれは、身体中の至るところから人間の手が生えたような、おぞましい姿をした巨大な化け物だった。

 余りの大きさゆえに、部屋全体を破壊しかねない激震が、その場にいた者達全員を襲う。


 要が鋭い眼差しで、再び懐から出した、数枚の和紙の札を手に取った。

 その額と首筋には、うっすらと冷えた汗が浮かんでいた。

「処刑場の亡者達を喰らって肥大した化け物か……まさかここまでとは。自分がこの身と引き換えにしても必ず打ち倒してみせます。だから、どうかここから皆さまはお離れ下さい」

 一歩踏み出しかけた要からの言葉に、偕人が眼を見開き、その肩を掴んだ。


「お前……! 何言ってんだ! 」

「どんな状況下であっても、常に冷静に最善の策をとらねばなりません。あの方が戻らずとも……あなたならお分かりになるでしょう。開いてしまった(いしずえ)を閉じ、封じられる人間は、必ず最後まで残らなければならない」

「……」


「それに、短い間でしたが、誰よりもあなたが月城の当主には相応(ふさわ)しい。自分にはそれが分かる。あなたなら連綿と続いてきた宿業(しゅくごう)さえも変えられるかもしれない。だから、例えこの先に迷い、葛藤(かっとう)するような困難な道が待とうとも、あなたは答えを探し続ける為に、姫巫女様と共にこれからも先へ進み、生き続けていくべきだ。その為ならば、自分が何を惜しむことがありましょうか」


 要はそう言うと、掴まれた肩を振り解き、殆ど同時に偕人が手にしていた翡翠(ひすい)()め込まれた、あの剣を強引に奪い取った。

 そして、剣の柄に手を掛け、(さや)から一気に引き抜くと、更に数枚の札を口に(くわ)えたまま、化け物へ向かって迷うことなく全速力で駆け出した。

「要! 」

 偕人の呼ぶ声にも構わず、要が化け物へと向かい容赦なく弾丸のごとくに突っ込んでいく。

 要のぎらついた両眼からは残影が生まれ、翡翠の短刀を化け物へと突き刺した時、札ごとその傷口へ自らの腕を突っ込んで、己の身体もろともに爆破させた。


 化け物の一部だった肉片が散り散りとなり、砂埃が巻き上がる中、脆弱(ぜいじゃく)な人間の生身の身体が形作る影が力を失い、のけ反っていくのを目の当たりにして、あやめが泣きながら絶叫した。

 そして、その次の瞬間、化け物は受けた余りの痛みゆえか、蔓のような(おびたた)しい数の腕を自在に伸ばし、発破するようにその一部が天井や壁を貫き、木造の建物に、次々に風穴(かぜあな)を開けていった。


 直後に、至近距離で何かを引き裂くかのような音がして、あやめは涙で濡れたままの両眼を開いた。

 化け物の腕の一本が深々と脇腹に刺さったままの菊乃が、あやめを庇いながら抱きしめていた。

「よかったですわ……あやめさんに傷がつかなくて。わたくしの大事な……」

 菊乃が手にしていた弓が、音を立てながら床に落下し、転がっていった。

「菊乃さん……! 」

 あやめの呼び声にも応えることなく、菊乃の両眼が閉じていき、その口の端からは鮮血が(したた)り落ちていく。


「俺は許さない、お前ら……こんなことが認められるか! 」

 偕人が眼を()いて、闇鋏で化け物に斬りかかった。


 だが、直後に、他方の化け物の何本かの腕が、偕人の左肩を深々と貫き、そのまま壁に容赦ない力で叩き付けた。


 あやめの目前で、化け物の腕の先端が、刃のように姿を変えていく。

 それがぐったりとした偕人の上半身目がけて突き立てられようとしていることを悟った瞬間、あやめが訳の分からぬ叫びと共に、化け物へ薙刀(なぎなた)を向けながら駆け出した。

 風丸が従うように、周囲を()びながら、その姿が無数の狼達の姿に分裂し、変わっていく。

 のたうち回りながら(うごめ)く、化け物の腕に叩き落とされながら、狼達の姿が次々に雲散霧消していく。

 あやめはそれを目の当たりにし、心痛め、顔を歪めながらも、躊躇せず薙刀を振り上げた。

 だが、時既に遅く、化け物の第二陣の鋭い刃の先が躊躇なく、あやめもろともに偕人を貫きかけた瞬間、突如、(くう)を斬り裂くような苛烈(かれつ)な風音が響き、巨大な化け物の腕の何本かを引き千切(ちぎ)りながら、その身体ごと吹っ飛ばした。

 直撃を受けた化け物の身体が壁に激突し、地響きと共に、再び建物全体が大きく揺れた。


 あやめはその目の前の光景を、呆然としながら見つめた。

 身体の奥から形容出来ぬ、抑えがきかなくなった震えが込み上げてくるのを感じながら。

 剣から放たれた『単なる風圧』だけで、巨大な化け物があっけなく弾き飛ばされていったさまを。


「……」

 そして鮮やかに自分の前に現れた、軍装で鈍い光を帯びた刃の長いサーベルを手にした長身の男の広い背中に、あやめの両眼から止めどなく流れ出した幾筋もの涙が、土埃で汚れた頬を伝い落ちていった。

「遅くなってしまったようですね」

 落ち着いた男の声が届いた時、あやめがその名を嗚咽(おえつ)混じりに呼んだ。

「大和さん……」


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