わたくしの麗しい蝶
―数日前。
「大和が変……? あら、そんなの何時ものことではありませんの? 」
実姉、月城菊乃からの素の反応に、偕人ががなった。
「それは分かってんだよ! そういう意味で言ってんじゃねえ! 人の話をきけ! 」
「で、何が変なんですの? 」
「それは……」
偕人がそこまで言い掛けた時、あやめが足元の落ち葉を踏み分けながら風丸を伴って、満面の笑みで背後から走り寄ってきた。
「偕人さん! 見て下さい、立派な栗がこんなに! 」
裾を若干の短くした普段着用の、淡い色で着色された着物姿のあやめが手にした籠を見せつつ嬉しそうに言った。
そこにはイガから出したばかりの、艶々とした栗が山のように盛られている。
数ある月城家所有の山のひとつの、その裾野に当たる場所で、今三人は立っていた。
周囲が傾斜のある山肌に囲まれた盆地帯になっており、自生した多種多様な落葉樹が見せる趣のある紅葉の風景が、秋の雲一つない青空と相まって清々しい。
今日の菊乃は洋装ではあるが、前回とは雰囲気が変わって流行りの釣鐘型の帽子を被り、細めの膝下丈のスカートを身に着けている。
「……お前、嬉しそうだな。こんな何も無い退屈極まりないだけの、山に来るのがそんなに面白いのか? 」
偕人が栗の山を眺めながら、あやめに言った。
「そりゃそうですよ! これで栗きんとんがたくさん作れますからね! あと、栗おこわも! もう、楽しみで楽しみで! ……それに」
「それに、何だ? 」
「うちは後先考えない寛容過ぎる両親のせいで、食い扶持が増え過ぎて、今や食材の確保は危機的な至上命題なんです。家計はもはや火の車も同然……。食べられるものなら、この際、何が何でも持って帰らないと……」
あやめが語尾をやや強め、顔に陰を落としながら呪詛を吐くようにぶつぶつと呟く。
「おい……まさかまた、俺が穀潰しだとか言いたいのか? 」
偕人が顔を青ざめながら思わず訊いた。
「え……? 何も言っていませんよ、まだ」
「まだって何だ! 」
それから偕人は思い直したように、更に言葉を続けた。
「まあ、剥く手間やらを考えると、俺は栗にそこまでの情熱をかけたいとは思わんが」
「手間がかかるから、余計においしくなるんですよ! 後で偕人さんも手伝って下さいね! 」
そう言い残し、あやめが風丸と一緒に、栗の木が生えている場所まで再び連れ立って戻って行っていこうとする背中に、菊乃が声を掛けた。
「あやめさん、これを大和に渡していただけるかしら? わたくしから渡しても、あの男は何かしらの理由をつけて、絶対に素直に受け取らないんですの」
そう言って菊乃が差し出したのは、小さな簡素な茶色の紙袋だった。
あやめは素直に頷き、それを受け取った。
菊乃が微笑を浮かべて、更に言葉を続けた。
「向こうに赤松の林がありますわ。また今年も多分、この弟だけが好きな松茸がそこらじゅうに生えていると思いますわ」
あやめが思わず偕人の顔を見た。
「松茸好きなんですか、偕人さん? 珍しいですね、皆きのこなら椎茸や、しめじの方が好きなものなのに」
偕人が戸惑いながら、応える。
「ああ……そうだけど? 」
「じゃあ、たくさん取ってきますね! 風丸早く行こ! 」
そう言って、あやめが風丸と共に楽しげに赤松林の方へ走っていくその姿に、菊乃の眼差しが思わずとろんと甘くなる。
「わたくしの麗しい蝶、あやめさんが妹になる日を、こんなに待ち焦がれているというのに、この甲斐性無しのせいで……本当に情けない限りですわ」
「……姉上、誰が甲斐性無しだと仰りたいのでしょう? 」
「当然のことながら、お前に決まっていますわ」
「……」
偕人がげんなりとしながら、あくまで冷静さを装いながら口を開く。
「俺は甲斐性無しではありません。それに、あいつのことは何とも思っていませんから、そういった方向性を見誤った、一方的な決めつけはおやめ下さ……」
偕人が目を逸らしながら言う言葉を菊乃が遮った。
「お前が誰を好きかくらい、わたくし知っていますわ。見れば露骨に分かりますもの。だからお見合いの話を強制するのもやめることにしましたし」
「はあ?! 」
「それにめでたきことにどうやら最近、わたくしは新たな能力に目覚め、遂に千里眼までもが身についてしまったようですわ。だからお前の情けない求婚未遂の顛末についても、全てお見通しですのよ」
「……大和に聞いただけだろ」
「あら、どうして分かるんですの? おかしいですわね」
「分からないわけねーだろ! 逆にそうならねえ方がおかしいわ! 」
ご存知の方も多いと思いますが、戦前は松茸が国内の何処の山でもたくさん取れ、価格も今とは比較にならない程安く手に入った為、全然希少価値がありませんでした。当時の方からすれば、その後の時代での値段の高騰はとても考えられないことでした。




