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最低教師との再会

 翌日、あやめは普段通り女学校に登校した。

「昨日のあれは何だったのかな……うーん」

 机でそんなことを呟いていたあやめに、隣の席の桐生咲子が声を掛けた。

「あやめさん、聞いた? 」

「何を? 」

「今日から和裁の先生が変更になるんですって」

「そうなの? 」

「しかも若い男性の先生らしいの。珍しいけど、何だか苦手だと思って、ちょっと心配で」

「若い男?! 和裁なのに!? 」

 あやめが驚きの余り、そう言い掛けた時だった。


 教室の前の扉が開いて、一人の男が入ってきた。

 男は着流しに下駄履き姿で、教壇に立った。

「どうも、俺は月城偕人(つきしろかいと)と言います。今日からここで皆さんの和裁の授業を受け持ちます。前の先生が体調を崩されて、急遽(きゅうきょ)退職されることになったためです。まあ、俺は見て分かる通りこういう人間ですので、最初は抵抗があるかもしれませんが、そこはおいおい慣れていって下さい」


 突然現れたその細面の造作の整った若い男に、教室内の女学生達の視線が一斉に集中する。

 一部はほのかに頬を染めている者までいた。

 だが、あやめは男の顔を見て、思わずその場に立ち上がった。

「あー―――――! 昨日の行き倒れの男っ! 」

 教壇の偕人の顔が明らかにそれと分かるほど、強張った。

 だが、その引き攣った顔を抑えつつ、偕人が言った。

「俺には何のことかよく分かりませんが……」

「なんで知らないふりするんですか?! 突然いなくなって! 」

 そう言ったあやめのところへ偕人はつかつかと近付いてくると、その耳元で言った。

「後で説明するから、頼むから黙っててくれ」

 偕人は無理やりな作り笑いをしながら、あやめを強引に座らせた。

「どうやらただの人違いだったようですね。では、授業を始めましょう」

「……? 」

 あやめは釈然としない気持ちを感じつつも、仕方なくそれに従った。






 ―放課後。

「後で説明するって自分で言った割に、授業が終わったら逃げるようにいなくなって……あの先生なんなの。絶対人違いなんかじゃなかったのに! 」

 あやめはぶつぶつ不満を口にしながら、校舎を出て校門近くまで出てきていた。

 そこに門にもたれかかるように、あの行き倒れの男、月城偕人が立っていた。

 あやめの姿を見つけると、偕人が即座に言った。

「おい、お前。美月あやめ、だったな? 俺様を何時まで待たせるつもりだ。とっとと行くぞ」

 授業中とはまるで違う口調で偕人が言った。

「は? 何処へですか? 」

「決まってる、お前の家に帰るんだよ。他にあるか! 」






 あやめと偕人が揃って帰宅すると、既に先に帰宅していたらしい、あやめの両親がにこやかに出迎えた。

「お父様、これは一体どういうことなのでしょうか? 説明していただけませんか? 」

「今日からこの方に、この家で暮らしてもらうんだよ」

「え、なんでですか? 意味が分かりません」

「前に私がとてもお世話になったことがあるんだ。これからお前の通っている女学校の講師をされるということだし、うちに下宿してもらえばと思ってね」

 あやめの父がそう言い終わると、偕人はあやめの方に顔をずいと突き出し、鋭い眼差しで口を開いた。


「そういうわけだ。言っとくが、俺は教師を好きでやってるわけでもないし、お前らみたいな、さえない不器用どもの集まりになら本気を出さずとも適当に教えてりゃ、一応、金にはなる。だから、あの学校からの赴任の打診を引き受けたのも、単なるそれだけの理由からだ。だが、俺が受け持つと決めた以上は、一定以上の成績を上げることを必達事項とする。落第なんざ絶対に認めねえから、よく心得えとけ! お前らが散々な成績だったせいで、優秀過ぎる俺が他の教師に馬鹿にされるなんざごめんだからな! 」


「な、思わず胸を打たれるほど教育熱心で立派な御方だろう? 」

 あやめの父が笑顔を崩さずに言う。

「お、お父様?!!! 今のこの人の話を、ちゃんと一から十まで聞いてましたか?!!! 教師というか、どう考えてもただの人間失格の(クズ)じゃないですか……!!! 」


「教育熱心な余りに力が入って、ついきつい言葉が出る事は往々(おうおう)にしてあるものなのだよ。目上の方に口を(つつし)みなさい」

「それは違うと思います!! って、なんで唯一まともなこと言ってるはずの、私がたしなめられる側みたいになってるんですか?!!! 」

 あやめは不条理さの余り、思わず立ち上がって叫んだ。

 その腕を偕人が強引に掴んで座らせた。


「いいか、俺の話はまだ終わってねえんだから、最後まで聞け! 今日はお前の手つきを見せてもらったが、お前はあの烏合の衆の中で最も駄目な部類だ。もっと真剣に和裁の手習いの練習をしろ。あんな不器用な手つきで俺の教えを請えると思うんじゃねえ! 」

「……」

 あやめは自分の心が氷点下まで冷え切っていくのを感じた。


「おいこら、ちょっと待て! 」

 その時、あやめの兄の颯弥が飛び込んできた。

「父さん! 一体どういうつもりなんですか? こんな素性も知れないような明らかに怪しい奴をうちで住まわせるとか?! 」

「おお、颯弥も帰ってきたのか。丁度良かった。もう決めたことだから、皆で仲良くな」

 実の父親からの最後通告にも等しい言葉に、颯弥は絶望的な顔をした。

和裁とは和服を制作することやその技術のことです(wikipediaより)

太宰先生の「人間失格」は学生時代に何度も読んだ思い出の一冊です。

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