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決別の時

「……で、俺の意志はお構いなしに、この大量の見合い写真を置いて、菊乃(あいつ)は帰ったと? 」

 絶望的な偕人の問い掛けに、あやめが(うなづ)いた。

「はい、大和さんと共にお帰りになりました」

 あやめは既に化粧を落とし、普段通りの海老茶(えびちゃ)色の(はかま)姿に戻っている。


「……で、この惨状では、今夜、俺の寝る場所が無いわけだが」

「そうなりますね」

「……」

「でも(かわや)で夜を明かせるくらいだから、こんなのどうってことないですよ」

 目の前の偕人の部屋の中には、見合い写真がうず高く積まれている。

「……」

「そんな残念な顔をしなくても、外へ移動させるのはちゃんと手伝いますよ」

「……」

 精神消耗が著しく激しく、顔色が芳しくない偕人の前で、あやめは何気なくお見合い写真の幾つかを手に取り開いて見た。


「……! 」

「なんだ、何か珍しいものでもあったか? 別に面白くも無いだろ、そんなもの」

 偕人の問い掛けに、あやめは写真に目を(みは)り、戸惑いながら言った。

「すごく良い着物をお召しの方ばかりですね」

「……だろうな」

 偕人が鬱陶(うっとう)しげに、髪を()き上げながら(こた)える。

「……実は偕人さんってすごい人なんですか? こんな上流階級の方達となんて」

「そんなわけねえだろ! 」

 ひどく不機嫌そうに偕人が返す。

「……」

 お見合い写真を手にしたまま、あやめが黙り込んだ。


「何だ? 」

 偕人の問い掛けに、あやめが首を横に振って見せた。

「何でもないです! 今夜は街中に燈火(とうか)が灯される日なんですよ! 後で高台に行ってみませんか? 」








「私、燈火(とうか)を眺める時は、ここからが一番好きなんです」

 足元の風丸を()でながら、あやめが言った。


 眼窩(がんか)には何時もの街の街の()に加えて、今日は色とりどりの灯りが見えた。

 この街では毎年盆が近付いた頃に、祖霊(それい)(まつ)る為に、和蝋燭(わろうそく)に火を灯した行燈(あんどん)を道に幾つも置いて並べる。

 大きさが様々な行燈には色とりどりの和紙が貼り付けられ、そこから漏れたぼんやりとした灯りの帯が道に沿って長く続いていた。

 その灯りが家々の屋根上に据えられた、屋根神の祠に灯されたかがり火と相まって、より一層、幻想的な風景を(かも)し出していた。


「いい風景ですね」

 朔夜が近くの木の枝に下りてきて、しみじみ言った。

 その時、不意に何かに気が付いた偕人があやめの背後を見つめたまま、大きく目を見開いた。

和稀(かずき)……」

「え?! 」

 あやめが驚いて振り返ると、そこにはあの幾度かあやめの目の前に現れては消えた、あの少年が立っていた。

 その瞬間、偕人が腕を振り上げ、闇鋏(ヤミバサミ)で斬りかかった。

 (くう)を斬る衝撃波が、波状紋のように一気に周辺の木々をなぎ倒しながら広がっていく。


「……! 」

 少年は憂いを帯びた眼差しで、身体を背後に軽々と反転させて、難なくそれをかわした。

 鮮やか過ぎる少年の動きの前で、興奮状態に陥った風丸が唸りながら牙を剥き、激しく吠えたてた。

 偕人は舌打ちすると、下駄を脱ぎ捨て裸足になり、更にもう一度激しく斬りかかった。

「偕人さん! 和稀さんは弟さんなんでしょう! どうして……! 」

「だから斬るんだよ! こいつの姿を見れば分かるだろう! まともじゃ人間じゃないってことがな! 」

「……」

「あやめ、どうせお前が遭遇したとかいう子供は大方こいつだろう。……こういう最も役に立ちそうな時に限って、大和(あいつ)がいないとはな。俺とあいつなら簡単に仕留められただろうに」


 驚きの余り立ちすくんだあやめの脳裏に、偕人の言葉が(よみがえ)った。


 ―和稀……俺が代わりにあの時、死ねばよかったんだ。……なんで俺なんかが生き残った。


 次の瞬間、あやめは意を決したように駆け出していた。

「風丸、おいで! 」

 風丸がその声に応え、あやめの周囲を回転しながら素早く宙を翔び回る。

 あやめが息を弾ませながら、追いついた偕人の腕を強く掴んだ。

「お前……! 」

「止めなければいけないような気がするんです! 」


「こいつを斬るのは、俺の当主としての務めだからいいんだ。弟だろうが関係は無い。俺が道を見誤ったことから、こんなものを生んでしまった。現世と常世(とこよ)の狭間に漂う者は、そこにいるだけでも、壊れかけた(いしずえ)を更に不安定にさせる。見過ごすことは出来ない。だから俺がけりをつけるだけだ! 」

 偕人はあやめの腕を(ほど)くと、そう言った。


「どうして……」

 あやめが呟く前で、偕人が執拗(しつよう)に和稀に斬りかかり続けていた。

 その時、不意にぽつりと何かがひとつあやめの頬に落ちてきた。

 直後の叩きつけるような猛烈な豪雨となった夏の終わりの雨が、あやめ達の上に一気に降り注いだ。


 息苦しいほどの雨でずぶ濡れになりながら、裸足の偕人がぬかるんだ地面の泥を()ね上げつつ、狂ったように和稀に刃を向け続けるのを、あやめが目を見開いて見つめていた。


「何があったかのかなんて分からない。でも……偕人さん全然納得してないじゃないですか! さっきの顔……何時も家には戻らないって言うのに、こんな時だけは自分のことを『当主』って言ったりして……」

 あやめがそう呟いた瞬間、空から(あお)い稲妻が、地上へ向けて幾筋もほとばしった。


 偕人が愕然(がくぜん)とした表情で振り返ると、あやめの元へ狼達の集団が一斉に直滑降で降りてくるところだった。

 狼の集団は偕人と和稀の間に勢いよく割って入り込む形で、雪崩(なだれ)をうって押し寄せてきた。

 偕人が肩で息をつきながら、狼達を前に叫んだ。

「邪魔をするな! どけ! 」

「巫女があなたを止めてほしいと願った。我々はそれに従う」

 狼の一匹がそう言った。

 その直後、和稀の身体が霞に溶けるように瞬く間に闇の中へと消え去った。

「……」

 肩から力が抜け、闇鋏を下ろした偕人が、あやめの方を振り返った。

「俺はあいつを斬らなければならない。もう二度とこんなことはするな! 」

 偕人が声を荒げながら叫ぶ。

 あやめはその声に満足に応えられず、ただ(うつむ)くことしか出来なかった。


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