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私、強くなりますね

 あやめの中に最悪な思い出を残した晩から、一夜明けた翌日。

 女学校に登校した睡眠不足のあやめは朝から殺気立っていた。

 その雰囲気を敏感に察知した友人達からは既に露骨に距離をとられている。

 そんな中、空気をあえて読まないのが自慢の咲子だけが声を掛けてきた。


「どうしたの? なんか最近そういうの多くない? 」

「聞く? (かわや)に顔突っ込んで朝まで寝てた最悪の酔っぱらいの話だけど? 聞いても何も面白くないと思うけどね、ふふ」

 あやめが何人かメッタ刺しにした後のような物騒な表情で、狂気に満ちた(わら)いを浮かべながら言う。


 教壇には、二日酔いでこれ以上は不可能なほど青白い顔をした偕人が立っている。

 足どりがどうにもあやしい。

 今にも倒れそうなのが見て取れる。

 どうやら視界にも、見えてはいけない幻が、時々見えているようだ。

 ―常世(とこよ)にでも召し上げられて、もう二度と戻ってこないでほしい!

 あやめは怨念を込めながらそう念じた。

「今日の月城先生、変じゃない? 」

「何時もと同じだと思うよ……」

 咲子の言葉に、あやめはやる気が無さそうにそっぽを向いた。

 偕人の体調不良の理由が何であるかについては、あえて指摘しないことにして。





「……ようやく収まったか、今日は最悪だったな。二日酔いの後は、二度と酒が飲みたくなくなるな」

 体調不良を全面に出した偕人が、夕暮れ時の帰り道を辿りながら前を行く。

 後に続く、薙刀をかついだあやめが呆れたように返す。


「二日酔い以前にもう呑まないで下さい! それに元はと言えば、限度と節度を考えて呑まないからだと思います! 」

「いいだよ、あれは俺にとっては一種の投資だ」

「はあ? 」

「俺は鍛錬(たんれん)の為に酒を呑んでいる。そうすれば、いずれ耐性がついてどれだけ飲んでも吐かなくはずだ! 」

 あやめは偕人の持論に思わず、顔に縦線が入りそうになった。


 ―もう駄目だ、この人。全然反省してない。


「……それは、単に若いからなんですけどねえ」

「……? 何の話だ、朔夜」

「それは耐性がつくとかつかないとかいう類いの話では無く、単に若いからなんだと言っているんですよ。年を取れば人の身体は酔っても吐けなくなるものです」

「なんでお前にそんなことが分かるんだよ! 」

「私がどれだけの数の人間を見てきたと思っているんですか? それくらい知っています。その根拠なき鍛錬ははっきり言って無駄です! 覚えておきなさい! 」

 ばっさり斬り捨てるように、朔夜が言った。

「何だよ、そんなこと聞いてねえ……」


 露骨に不満げな表情の偕人を見ながら、あやめは昨日の言葉を思い出していた。

 ―死んだ俺の双子の弟だけど?

 多胎で生まれた子供が、古い因習の中では余り良く無いことと受け止められていることは知識としては知っていた。けれど、誰もが生まれたくてそう生まれるわけではない。

 ―こういう街の中にいると、もう最初からそんなものは無いから知らないんですね。

 何時か朔夜が言っていた通り、この大きな街の中ではどんどん過去のものが塗り替えられて変わっていく。

 空前の大戦景気によって国全体が活況を呈しており、街の風景も随分面変わりした。

 けれど、確かに因習めいたものも依然色濃く残っているのだ。


 その時、四つ角の影から、茶色い塊が転がるようにこちらへ向かって走ってくるのが見えた。

「風丸、お迎えにきてくれたの? 」

 あやめが手を伸ばして、嬉しそうに風丸を抱き上げる。

「そうしていると、本当にただの犬だな」

 背後でしみじみそう言った偕人の前で、不意にあやめが小さく呟いた。

「迷惑な人だけど……偕人さんを助けられるように私、強くなりますね」

 けれど、微かなその声は風に紛れ、かき消えた。

「ん……? あやめ、何か言ったか今? 」

 顔を上げて偕人が訊く。

「いいえ、何も言っていませんよ、全然! 」

 あやめは振り返りざまに、夕陽の中、笑顔でそう言った。

 ―何時も大切なことには口を閉ざし、言葉にも換えようともしない男に、ただ一言そう言った。

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