風丸と夕涼み
今日も偕人は何時も通りに、縁側で夕涼みをしながら気ままに寝転がっていた。
遠くからは毎日決まって同じ時間帯に自転車でやってくる、豆腐売りのラッパの音が風にのって聴こえてくる。
この家の住人達にとっては、そのどれもが既に見慣れた夕暮れ時の風景だが、そんな偕人の顔面を今、ふんふん鼻を鳴らした小さな塊が果敢に横断していこうとしていた。
「おい! 」
偕人がその塊に手を伸ばし、忌々しげに脇へと退かせながら言った。
「あやめ! こいつを何とかしろ! また俺の顔の上に! 」
「風丸はまだ小さいから分からないんですよ。もしくは偕人さんだけへの限定的な愛情表現じゃないですか? 他の人には誰もそんなことはしないし」
「いやー犬って序列を重視しますからねー。ま、それなら無理ないかもしれませんねー。あれ、本当は真神って狼でしたっけ? 」
「……向こうに行っちまえ! 俺はお前に懐かれても絶対に構わんからな! 」
偕人はそう言いながら、目の前のつぶらな眼をした、茶色の狼の仔『風丸』を追い払った。
その時、縁側に面した狭い庭に三本足の烏、朔夜が降りてきた。
しかも足元には、野菜のこんもりと入った、生活感がありありと伝わってくるような使い古した籠がぶら下がっている。
「神域のありがたい八咫烏様に、虫食いだらけの野菜を、裏の畑から持ってこさせるとか、お前おかしいだろ! 」
「私を誰よりも崇めない、偕人に言われるのは心外なんですけどねえ……自分で言ってて、矛盾してる自覚無いんですか? 」
「うるさいな! 朔夜は黙ってろよ! 」
「お願いするのが悪いのは分かっていますよ! でも朔夜さんが手伝って下さるのが、有り難くて……。私、すごく忙しいんですよ! 皆のご飯の準備もしなきゃいけないし! そろそろ兄様も帰ってくるかなぁ」
そう言いながら、あやめはあれこれ献立を考えあぐねながら割烹着を身に付けると、いそいそと台所へと入って行った。
それと入れ替わるようにして、今度は風丸が激しく尻尾を振りながら、細い紐を咥えて嬉々として戻ってくる。
「これは……また散歩に行きたがってますねえ」
朔夜がしみじみ言った。
「絶対、行かねえ! お前はあやめに憑いてるんだから、あっちに行ってろ! な! 」
偕人が台所を指差しながら、風丸に向かって言う。
「そうは言っても、台所仕事の最中には毛が落ちるから、絶対に中に入らないように、あやめさんが普段からきつく言い聞かせてますからね。示しがつかないとか何とかで……。その辺り、きっちりされていますよね」
「……」
「じゃあ僕が散歩に連れていってあげようかなー。動物を可愛がるのは好きだし」
大和が紐に手を伸ばすと、風丸が明確な意思表示でもするかのように、それを勢いよく身体全体を使って振り払った。
「え……速攻拒否? 」
「大和、お前の信用ならなさを、風丸はよく分かっているらしいな。感心した」
「そう言う、偕人も間違いなく大差無い扱いです……しょっちゅう顔面を踏まれてる人間が、一体何を言ってるんでしょうねえ……」
朔夜がため息混じりにそう言い掛けた時、あやめが台所から顔を出して言った。
「あ、偕人さんと大和さん、風丸の散歩に行くんですか? ちゃんと晩御飯が出来る頃には家にいて下さいね! 余り遠くに行っちゃ駄目ですよ! 片付かなくなっちゃいますから! 」
「……ちょっと待て、今気が付いたが、俺は何で大和なんかと風丸の散歩を? 」
風丸の首輪に結わえた紐を持ちながら、偕人が漠然と言った。
「……そこには疑問を持たない方がいいでしょう。それに気が付くのが既に遅いです」
朔夜が二人と一羽が歩いてきた道を振り返りつつ、ため息混じりに言う。
「うあああ! ってか、お前憲兵の仕事しろよ! 気が付くとあの家に入り浸りやがって! 大体この界隈はお前の管轄じゃねえだろ! 」
「嫌だなぁ、仕事はしてますよ、大人ですから。……で、これからどうする気ですか? 」
不意に大和が改まった口調で訊いた。
「何がだ? 」
偕人が不機嫌そうに聞き返す。
「偕人が今、最も直視したくないと思っている、その『現実の問題』についてを、僕はお聞きしたいと思っているんですけどねー」
「……」
「あやめさんはご自分のことをちゃんと分かっているんですか? 偕人のことですから、どーせ説明なんかしていないだろうとは思ってましたけど」
「……」
「僕の話を適当にはぐらかしたり、無言で無かったことにしようったって、そうはいきませんからねー」
「……」
「だんまりを決め込むつもりなら、うちの血走った屈強な奴らに、最高に危険な尋問をさせますがいいですね? 」
「……やめろ、分かった、話は聞いてやる」
「現実逃避したところで何も変わりませんよ? 僕は一応、今のところは偕人との約束通りに他言はしていませんが、このままで済むわけがありませんし」
「だからって、俺にどうしろと言うんだ!? あいつが数百年ぶりに現れた『神憑りの巫女』だった、だなんて言えるがわけないだろ! 」
偕人が渋い表情で、半ば叫ぶように言った。




