薙刀(なぎなた)使いの少女あやめ
―全ての始まりは、あの魑魅魍魎と闘うという変な男、月城偕人がうちの前で行き倒れになっていたことからでした。
大正某年の夏。
女学校に通う十六歳の美月あやめは、その日の夕方近く、自宅前でとんでもない光景に出くわした。
「……え? 」
家の前に着流し姿の男が一人、うつ伏せに倒れている。
その身体を踏みつけるように、一羽のカラスが派手に暴れていた。
「クエーッ! 」
「ひっ、人がカラスに襲われてる! 助けなきゃ! 」
矢絣の薄紫の着物を身に着け、海老茶色の女袴姿で濃い茶色のブーツを履いたあやめは持っていた風呂敷包みを投げ出すと、肩からかけていた薙刀を構え、カラスを追い払おうとまっしぐらに駆け寄った。
カラスはあやめの薙刀の一振りを難なくかわし、飛び上がった。
あやめは薙刀を放り出し、男を抱き起すと呼びかけた。
「だっ、大丈夫ですか?! 」
男の顔は青白く、まるで生気が無かった。
「ち…血が足りない……使い過ぎた」
「血?! 」
男はうわごとのような言葉を吐いた後、がっくりと動かなくなった。
あやめは思わず悲鳴をあげそうになった。
「ど、ど、どうしよう! 早くなんとかしないと! うちの前で死なれたら困ります! 絶対死なないで下さい!! 」
あやめは慌てたが、人を呼ぼうにも、周りには誰も見当たらない。
自分の家族も皆不在だ。
だからあやめは悟った。
―ひとまず、この男を自分がなんとかするしかないのだ、と。
汗をびっしょりかきながら、あやめは昏倒したままの男をひとまず家の中へと運び込んだ。
「何か飲ませた方がいいのかな、この後どうしよう……とりあえず、怪我とかはしてないみたいだけど」
その時、背後の廊下で足音がして、あやめは振り返った。
「あやめ……お前! 」
そこには、かっちりとした詰襟の黒の学生服を着たあやめの兄、十八歳の美月颯弥が慄きながら立っていた。
「その男は何だっ! 」
「兄様……! 帰ってきてたんですか! 大変なんです! 」
「大変なのは見りゃ分かる! お前が見覚えの無い、若い男と二人きりで家に。うわあああああ! 」
「はぁ?! ちょっ何言ってんですか?! 何か全然次元の違う誤解してませんか? 落ち着いて下さい! 」
「これが落ち着けるかぁ! 」
颯弥がバシーンとちゃぶ台を盛大に叩きつけたので、あやめがすかさず後ろからその後頭部を殴った。
「え……? 」
「よく見てください! この人具合が悪くなって倒れてたんです! 何、血迷ってるんですか! 」
男を引きずって運んだ時に出来た、床の汚れを指差してあやめが言った。
蛇行した汚れはしっかり玄関先まで続いている。
「そっそうか。俺はてっきりこの男にお前が……それならいっそその前に俺が……いや」
「はぁ……? 」
「いやっ、何でもない気にするな! なんだ、お前は人助けをしたかっただけなんだな! 」
「だからそうだと」
その時、あやめと颯弥のいる居間に面した縁側の庭先に、何かがバサーッと音を立てて落ちてきた。
「えええ?! さっきのカラス?! 」
あやめと颯弥が恐る恐る庭に下りて、カラスに近付く。
「えぇ……! このカラス、足が三本ありますよ、兄様! 」
「奇形か……? ん……? 」
「兄様、なんですか? 」
「三本足のカラスって、何処かで聞いたことあるような無いような……」
「……? 」
「うーん、なんだったか、思い出せんな」
「それより、このカラス怪我してますよ。可愛そうに。羽が折れたりしてないといいけど」
あやめが手を伸ばして、そっと抱き上げると、カラスが弱々しい声で、微かに鳴いた。
「さっきの男といい、今日はなんなんだ……あれ? 」
颯弥の声に反応したあやめは居間の方を見やった。
「どうしたんですか、兄様……? え……ええ?! 」
そう言い掛けたあやめも、そのまま言葉を失い固まった。
そこには先刻まで倒れていた男の姿が、影も形も無くなっていたからだった。
矢絣とは矢羽を図案化した文様です。(wikipediaより)
多くの方にとってお馴染みの、矢がたくさん描かれた、着物のあの文様のことです。