翡翠の勾玉2
「滑落したら単なる怪我じゃ済まないんですよ?! もう!!! 」
勢いが付きすぎて、幹が太い楢の木に危うく何度か衝突しかけながら、斜面を駆け下りていく中で、前を行く偕人と大和が足元の悪さをものともせず、目にも止まらぬような速さで、視界を遮る木々を根元から悠々と伐採していく。
一部は剣から繰り出される力が余りに強すぎるせいか、根元からなぎ倒され、地を這っていたであろう根が剥き出しになり、同時に泥が塊となって宙に散った。
しかも偕人に至っては、足は下駄履きだ。
あやめがその光景に唖然として、驚きながら叫ぶ。
「ふたりとも結構な太さの木を、剣で一振りですか?! 」
「はあ? 大したことねえよ、こんなもん。普通だろ? 俺と大和が育った山に比べれば、遥かに傾斜も緩いしな。ひょっとしてお前はまともに崖を上ったことも、山を下りたことすらないのか? 考えられないような軟弱な奴だな。鍛え方が足りないんじゃないか? 」
「な、何で急に幻滅したような目で見てくるんですか! 普段、街の中に住んでるのに、山を下りることなんてあるわけないですよ! 偕人さんの言う『普通』の基準は一般人より絶対にずれて間違ってますから!!!! 」
「だったら尚更黙ってついてこい。役立たずのお前の為に、稀少な聖域の一部と思わるような場所ですら破壊しても仕方なく二人で道を開けてやっているんだからな。本来俺達にとっては、こんな真似は別に必要ないしな」
「僕が思うに、偕人はもう少し言葉を選ぶことを覚えるべきじゃないですかねー。粗野で聞き苦しいですよー。何でこうなったんだろうなー」
「うるさいな! 黙ってろ! 」
牙を剥きだして飛び掛かってくる何頭もの狼達に向けて、偕人と大和が剣を振り回して蹴散らし、距離を取りながら、三人は息が切れるまで急斜面を転がるようにして走り続けた。
「それにしても、さっきから無限に沸いて出てくるような、この狼達は一体何なんだ? きりがないんだが」
「さっきから、僕も同じことを思っていたところです。かなり倒したはずなのに、数が多過ぎますしー。結界が綻んだ『礎』から出てきた者達でも無いような手ごたえですからねー」
「……」
「まあ、もう少しで尾根の裾に築かれた、墳墓に出る筈ですから、考えるのはそれからということでー」
「で、そこに何があるんだ? この状況を本当に打開出来る何かか? 案内人が大和では、辿り着く前から俺は最初から期待薄だがな」
「行けば分かりますよー。多分ですが。何せ僕もここへ来たのは初めてですからー」
「はあ?!!! 今まで実際の現地の状況が何も分からずに適当に指示を出してやがったのか、お前は! 」
「嫌だなあ、そんなわけないですよー。地図は全部頭に入っていますしー。一度見たら忘れませんから」
「本当にいい加減な奴だな! 」
斜面を下りきった後、三人の目の前には大きく口を開けた横穴が見えた。
「あれが玄室へと続く羨道か! 」
偕人の言葉に大和が頷いて応える。
「ええ、おそらく」
「この辺りで入り口にまともに覆いが設置されているのは、ここくらいらしいですからー。他に比べれば割と崩れもしてないし、頑丈だしー。多少くらいなら凌げるかなーと。その先のことはまた後で考えようかとー」
「何だ、そんな下らない理由かよ! 多少でもましな方へ期待を裏切ろうとは思わないのか、お前は」
「今すぐ出来る対処法が、他に何も思いつかなかったんですよー。こんなに大量の狼に追われるなんて思ってなかったしー。即時に獣に肉を食いちぎられるよりは、一時的にでも身を隠せるだけ、ここの方が幾らかましじゃないですかー」
大和がそう言う言葉を聞きながら、偕人が顔をしかめた。
「……俺はお前にはもう何も言わん」
ようやく辿り着いた古墳の玄室への、狭い入り口に屈みながら真っ先に走り込んだあやめは、背後が急に暗くなるのを感じ、思わず振り返った。
重い金属製の扉が閉められ、閉じ込められたと悟ったあやめは驚き、金属製の扉に駆け寄ると、外に向かって呼びかけた。
「え?!!! 偕人さん! 」
「いいからお前はそこにいろ! 」
厚い扉を通して、くぐもった男の声だけが聴こえてくる。
「どうしてですか! 何で私だけをここに……?! 」
あやめが切羽詰まった声で、扉に向かって叫ぶ。
「いいんだよ、初めからそのつもりだったんだからな! 大和も俺も」
「そうですよー。これが僕達の一族が貫かなければならない『掟』なんですからー」
「『掟』?!! 何の事ですか?! 」
「早い話が、お前のような力を持たない人間を、こういう状況になった時には何があろうが絶対に巻き添えにしないってことだ」
「……」
「俺達は自分達が長く『礎』と呼んできた結界を守り続けてきた者達の末裔だが、それ以上に大切なのは現世を生きる人間を守ることだ。そうでなければ、幾ら結界を守り続けても存在する意味自体が無くなる。人がいなくなったのなら、国自体が存続出来なくなるからな」
「……」
「俺達が狼に喰われて倒れたとしても、一族の他の人間が始末をつけに、必ず此処へ来るだろう。だから、それまでお前はそこでおとなしく待っていろ! 」
「そんな! 一方的に勝手なことばかり言わないで下さい!! 偕人さん達はどうなるんですか?! 」
「さっきも見ただろ? 俺達は元々こういう事態を収める為にいる者だ。お前が気にすることじゃない」
「でも……! 」
あやめが次の言葉に窮している前で、扉の向こう側からは獰猛な狼達が吼えかかる声だけが聴こえてきていた。
暫くあやめはそのまま動けずに、目の前の錆びた扉をじっと見つめていたが、やがて自分の中にある聞かずにはいられなくなった、ひとつの問い掛けを口にした。
「これは私のせいなんですか? 止められていたのに、言われたことも聞かずについてきてしまったから……。偕人さん達だけなら戦わずに逃げられたのに……」
「それは違う。ここまで多いとは読み切れなかった、俺が甘かっただけだ。判断を誤れば、自ら報いを受けるのは当然だ」
鋼鉄製の扉を通して、暗がりの中、偕人の声が再び不意に届いた。
「……偕人さん、どうして今はそんなことを言うんですか? 前は、私を囮にしても何とも思ってなかったじゃないですか?! 」
「言わせる気か? 俺の考え方を変えさせたのは、お前だと」
「……」
「俺はこれまで自分の生まれに関わる全てのものを、ずっと煩わしく思ってきた。強制されなければ、こんな面倒な立場になりたくてなる奴など誰もいない。押し付けや決まり事に従わされるのにも我慢がならなかった。……だが、無力なくせに見ず知らずの人間にさえ、我が身を省みずにあんな真似が出来る、あの時のお前を見ていたら、俺はこれまで自分がしてきたことを疑わざるを得なくなった。それだけのことだ」
そこで偕人の声は途切れた。
何と言葉を返せばよいか分からなくなったあやめは、暫くその場で立ち尽くしていたが、不意に暗がりの中、自身の片方の掌が、仄かに光を放っているのに気が付いた。
理由も分からぬまま、無意識に握りしめていた掌を開き、そこにあった光景に、あやめは思わず眼を見開き、声を張り上げた。
「か、偕人さん……な、何か変なんです!!! 」
「はあ?! 急に一体何だ?! 俺は今は狼達の相手でそれどころじゃ……」
あやめの声色に、ただならぬ何かを感じたらしい偕人が応える。
「ま、勾玉が……! 」
あやめの掌の腕では、偕人から渡された、あの翡翠の勾玉が碧い光を帯びながら輝いていた。
次の瞬間、あやめ自身は直にその光景を目にすることは叶わなかったが、長く人の手が入らぬまま放置され続けていた、周囲の遺跡群から一気に強く眩い光が集まり、雑木林のようになっていた墳丘の一角を包み込んだ。




