翡翠の勾玉
「一応、ここらで念の為に確認しておくが、この周辺にはおかしな化け物の類いが出るらしいが、お前は本当に俺達にこのまま着いてきてもいいのか? 」
墳丘の中枢とも言える玄室へかなり近付いたと思われた頃、偕人がぐるりと周囲を見回しながら、改めてあやめに訊いた。
「ば、化け物……またですか!? 」
あやめが驚いている前で、偕人が再び事も無げに言う。
「俺と同行するんだから、当然だろ? 」
「……」
「それから大和、俺は斬るのは、お前ほど得意じゃないから、全く役に立たんぞ」
「最初からそこは偕人には期待していません。逆に僕には斬るか燃やすくらいしか出来ないので、こういう文化財の扱いには不向きなんですよー」
「ふーん、なるほどな。で、あやめ、さっきの話に戻るが、お前が俺達にこの先まで本当に着いてくるということは、化け物に喰われても、別に後悔は無いということか? この状況が想像出来ただけに、俺はお前に家で待てと言ったつもりだったんだがな……。戦闘要員にはなれそうもないのに、大した度胸だな」
「何言ってるんですか! あんな誰もいない人気の無いところに、あのままほったらかしにされるより、偕人さん達と一緒にいる方が、幾らかましだと思ったからですよ! 」
「偕人……少しは『自分が守ってやる』くらいは、あやめさんに言えないんですか? 全くあなたという人は……」
朔夜がため息混じりに言った。
「お前、俺にそんな風に言ってほしいのか? 」
偕人は横のあやめに顔を近付けると、そう訊いた。
「……! 」
あやめはみるみるうちに赤面して、顔を左右に激しく振った。
「そっ、そんなこと言わなくていいです!!!! 絶対しなくていいです!!! 守ってもらいたくなんかありません! 」
「……朔夜、どうやら俺は嫌われているし、この通り必要とされてないらしいぞ」
そう言った偕人に、朔夜が再び盛大なため息を吐き出す。
偕人は不意に何かを思ったように、着物の袂を探ると、あやめに向かって何かを差し出した。
「お前にやる。持ってろ。多少の守りにはなるだろう。『そいつ』からは嫌な気配はしない。近くに何か気配がする」
偕人はそう言い終えると、朔夜を呼んだ。
「え?! あ! これ、あの剣についてた勾玉ですか?! 」
あやめは驚き、慌てて自分の手の中に落とされた勾玉を握りしめた。
朔夜は偕人の呼び声に応え、その姿をみるみるうちに闇鋏へと変えた。
「久しぶりに見ましたよ。その八咫烏の変化した『影斬り(かげぎり)』の剣もどき」
大和が感心したように呑気に言う。
「感心してんじゃねえ! なるべく使いたくねーよ! また血が無くなって倒れたら、今回はお前が何とかしろよ! 月城の家に連れてく以外の方法でな! 」
「幾らの僕でも、そんな一族同士が血を見るような嫌がらせはしませんよー」
「念の為だ! お前は昔から全く信用出来ねえんだよ! 」
偕人が若干苛立ち混じりに、大和に言った。
その次の瞬間、木立の間から何かがあやめ達の目の前に勢いよく飛び出してきた。
大和は腰に帯刀していたサーベルを一気に引き抜くと、その『何か』を斬りつけた。
サーベルからは幻の紅蓮の火焔がゆらめきながら立ち昇る。
「獣……? 」
現れたその『何か』は、瞬間的に大和とあやめの間をかすめるように飛び、直ぐに見えなくなった。
「お前、あんな動きの速い奴を目で追えるのか? 」
偕人が呆れたように言う。
「火神の人間にとっては、斬ることが最重要事項なので眼が良くないと許されないので。……ですが、捉えきれませんでした。でも全て無駄だったわけではなさそうです。見てください、さっき現れた奴の毛の一部が此処に残っています」
「青い毛か……」
偕人が指で落ちた体毛を何気なく持ち上げ、そう言った時だった。
「……おい、大和。お前本当は眼が良いなんて嘘だろ? 俺にはとっくに囲まれているように見えるが? 」
偕人の言葉に、あやめは周りを見回し、息を呑んだ。
周囲の鬱蒼と茂る木立の間からは、無数の獣の眼が覗いていた。
「だから、大和の持ってくる話は最初から嫌だったんだ! 毎回ろくなことがねえ! 」
偕人がげんなりしながら嘆く。
木々の茂みの中から現れたのは、青い毛を持つ数えきれぬほどの数の狼達だった。
しかも狼達は揃って威嚇しながら鋭利な牙を剥き出しており、今にも飛び掛からんばかりに、じりじりとこちらへと距離を詰めてくる。
「すごい数だなー。しかも全然友好的じゃないしー。僕達、彼らからは完全に不審者扱いですよー」
大和がサーベルの柄を握る手に、力を込めながら言った。
「あやめ、俺と大和で出来る限りこの狼達を抑える。だからお前は逃げろ! 」
闇鋏を構えた姿の偕人が、背中を見せながら言った。
それに対して、大和が気に沿わぬというように片眉を上げた。
「偕人はやり方が間違っていますよ。この程度の数なら、僕だけでもさして問題は無いですからー。むしろ偕人では僕の足手まといにしかならないしー。ここは僕に委ねて、とっとと先に行ってくれませんかー? 」
大和はそう言って、地を蹴って狼達に斬りかかった。
サーベルが空を斬る音と共に、さっきと同じように刃の先が幻の焔を浮かべながら発光する。
狼達が畏怖したように、一瞬ばらけながら散開しつつ後退した。
「誰が足手まといだと? お前こそ虚勢も大概にしたらどうだ、大和? しかも、この俺がお前に庇われるだと? ふざけんなよ! 」
「自分で役に立たないって、さっき自分で言ったばかりなのにー」
「俺はお前に言われるのが我慢ならねえんだよ! 」
「益体も無い私情を挟んで、それに拘ってる場合ですかねー? そういう浅慮で直情的なところは改めるべきじゃないですかー? 月城の当主としては」
皮肉混じりの大和の言葉に、偕人の表情に露骨に怒りが浮かぶ。
双方剣を向けあったまま、偕人と大和の間にあからさまに険悪な空気が流れ始めた。
冷めた眼差しのまま、お互いを牽制しながら見合う、偕人と大和の剣呑な様子を前に、あやめが我慢出来ずに叫んだ。
「もう、二人ともやめて下さい! 何でいきなりこの状況で仲違いしてるんですか?! 」
「こいつとは昔から合わないんだよ! 」
「そんなこと言っている場合じゃないですから! 」
「じゃあ、あやめ、お前はどうしろと? 」
「決まっています! 皆で逃げるんですよ! 今すぐに! 」
「……まあ、今回ばかりはその意見に賛成しておくか。目的の玄室には辿り着けんが」
「僕も同意しますよー。僕らの中じゃあやめさんが一番まともですねー。だったらやることは……」
「狼達には引いてもらうまでだが! 」
偕人と大和はそう言うと、幾度か二人で目配せしあい、剣を振り回し威嚇して、狼達を怯ませて遠ざけた後、
「とっとと、言い出したお前も来い! 」
偕人が未だ目の前の状況を受け止めきれず、適応しきれぬままの、あやめの腕を強く掴むと一気に走り出す。
優しさが欠片も込められていない力で、いきなり引っ張られたあやめがつんのめりそうになりながら、悲鳴を上げた。
「また無理やりですか?! 何時もこんなことばっかり!!!! もう、いやああ!!!!! 」
大和も二人に続こうとしたが、これまで歩いてきた道は引き返そうにも、既に八重垣のようになった狼達に阻まれていた。
それを見て考えを変えたのか、大和はふたりに向かって、登り坂になっている斜面の更に先を指差して言った。
「じゃあ、この先へ向かって下さい。更に道が続いている筈ですからー」
大和が自らサーベルを振り上げ、狼達を怯ませ開いた道を、暫く走り続けた後で、偕人が何か思い至ったように口を開いた。
「なあ、大和? 既に随分上ってきていることを考えると、この先は結構な崖じゃないのか? 」
「よく分かりますねー。僕が見た地形図でも、確かそうなっていましたよー」
「ここのような古墳時代前期の墳墓は高台に立っていることが多いだろ、どうせ」
「えええ?! 今何て?! 崖?! 」
「驚くようなことか? 上に作れば統治した人間が下を見渡せるし、下から見上げる下々の人間にとっても威圧的だろうが。簡単な理屈だろ? もっとも造る時に駆り出される側にとっては迷惑でしかなかっただろうがな」
「問題はそこじゃないです! 崖を下りるなんて! そんなこと……! 」
「崖って言ったって、どうせ大したことねーよ! この高さじゃ! 」
「偕人さんが言うと、絶対大したことありますから! 」
「いいから、このまま滑り降りるぞ! 」
そうして三人は、多数の木々が斜めに自生した急斜面へと一斉に飛び出した。




