何が当主だ、下らねえ!
「あいつ、また面倒事を俺に持ってきやがった! 」
憲兵の大和と別れ、二人と一羽はちょうど家に戻ったところだった。
生け垣の脇を通り過ぎて裏口から縁側へ出ると、即座に偕人が憤慨しつつがなった。
「……とかなんとか言ってるだけで、本当は前科者の犯罪者なんじゃないんでしょうね」
あやめはじろりと疑惑の眼差しを偕人へと向けた。
「それはもうやめろって言っただろ! 俺は犯罪なんて犯してねーよ! 」
偕人が叫んだ姿を尻目に、縁側に下りた朔夜が器用にくちばしを使って剣に結わえてられていた布を外していく。
やがて平たいその剣の全体の様子が露わになった時、その高貴さを感じさせる姿に、あやめが思わず感嘆の声を上げた。
「すごくきれいな剣ですね! 」
「ああ、これはまた見事な蕨手刀ですねえ……。大和も珍しいものを……。刀剣自体がさして珍しくない私でも、これを目にするのは流石に久しぶりですねえ」
心なしか朔夜の声は嬉しげで、滅多に目にすることが無いものを目にしたことで、気持ちが高揚し抑えきれない程らしい。
「わらびてとう……ですか? 」
聞き慣れない言葉に、あやめが不思議そうに朔夜に訊き返す。
「柄の渦が蕨に似ているでしょう? 日本刀の始祖みたいなものですよ。元々余り出てこないものですし、これが出てくるのは北方の蝦夷の方が大半で、この本州の真ん中辺りでは辺りでは遺跡から出土することはおろか、そもそもお目にかかれることすら稀な筈なんですけどねえ」
「そんなに珍しいものなんですか、これ……! 遺跡や古墳から出てくるものって普通はもっとぼろぼろなのかと思ってました! あ、横のところに何か緑の飾りのようなものがついていますね」
あやめは手を伸ばすと、蕨手刀の柄に開けられた穴に、金属製の輪で取り付けられていた石を手に取った。
「……なんだろう、これ? 」
「翡翠の勾玉ですね」
「へー! 勾玉って私、本物は初めて見ました! 古代の飾りですよね。すごいですね、こんなものを見られるなんて! 」
「あやめ、悪いことは言わないから、いいからそれを触るのはやめておけ。高確率で呪われる可能性がある」
「は……? 」
「俺の経験から言って断言するが、大和が持ってくる話は常に胡散臭く、ろくなことがない! 今回も間違いなくそれだ! 」
「誰よりも存在自体が胡散臭い人に言われても説得力が……いえ」
「……あやめ、お前、今なんか言ったか? 」
「いいえ何も! 」
あやめは満面の笑顔で返した。
「これはおそらく特別な剣ですね。普通の副葬品ではないでしょう。何らかの力があるのは強く感じますが、よく分かりませんね。それにたった今作られたばかりのようにすら見えますね」
「だから、なんかの呪いなんだろ」
「あなたはどれだけ大和が嫌いなんですか。幾らなんでも装備したらいきなり呪われるようなシロモノを自分の一族の当主に届けるほど、あの方も暇じゃないでしょうに」
「一族の当主……大和さんもそう言っていましたね」
あやめの言葉に、偕人がぎくりとした。
「そんな話はどうでもいいだろ! 何が当主だ、下らねえ! もう忘れろ! 」
そう言いざまに、偕人は立ち上がった。
「またそうやって自分勝手に逃げる気ですね! 」
「うるさい! 黙ってろ! 」
そう言うと偕人は、奥の自分の部屋に引っ込んでしまった。
「もう……本当に自分の言いたいことだけ言うんだから! 」
あやめはむっとしながら不満を口にした。
「あやめさん、私は決して偕人を庇いたいわけではないが、そのことだけは余り聞かないでおいてやってもらえませんか」
「朔夜さん……? 」
あやめは自分の横まで寄ってきた、三本足のカラスをそっと抱き上げた。
「偕人は十二歳まで座敷牢に閉じ込められて育てられました。それを思い出したくないんでしょう」
「……座敷牢って何ですか? 」
あやめが不思議そうにきいた。
「こういう街の中にいると、もう最初からそんなものは無いから知らないんですね。偕人の生まれた土地は古い時代からの因習に縛られたようなところでした。元々この国の礎になるものを直してきたということは、前にお話ししましたね。その末裔である彼らはその能力を継いでゆくため、家の没落に繋がるようなことは最も忌まわしいことと捉える。その為ならばどういう形も厭わない。一族の中に生まれた者でも縁起が悪いとなれば容赦はしない。忌み嫌われた人間を閉じ込めておくための、そういういわば閉鎖された部屋のことです」
「……! 」
「偕人は本人がまるで望まない繰り上がりのせいで、当主にさせられてしまった。なるはずのない立場と逃れられない理不尽、そういうものを年以上に知り過ぎてしまった。私もその意味では同情しています。周りの人間の身勝手さに我慢ならないんでしょう。さっき私が迂闊に口を滑らせてしまったせいなので申し訳ないのですが、だからどうか忘れてやってもらえませんか、この話だけは」
「……」
「すみません、つい余計な重い話までしてしまったようですね」
朔夜の言葉に、あやめは何度も首を横に振った。
「私、そんな風に思ったりしません! 」
あやめはそう言って、真っ直ぐに朔夜を見た。
―あいつが何故到底似合わないとしか思えない和裁教師なんか、やっていると思いますか? 閉じ込められている間、奥向きの女中だけは偕人を不憫に思っていて、陰で世話を焼いていました。その時の名残なんですよ。
あやめは独り家から外へ出ると、自宅の一階の瓦屋根の上に取り付けられた祠を仰ぎ見ると手を合わせ、それからそっと眼を閉じた。
この地方独特の、土地の者の間で長きに渡り『屋根神様』と呼ばれてきた、小さな祠に向かって。
紫に染められた幕が張られ、野菜と果物が供えられた祠の前には、今夜も夕闇の中、かがり火が焚かれている。
この地区は他にもこうした家が数多く立ち並び、時代は移り変わっていっても、どの家も大切に守り続けてきた。
あやめの自宅もこれまでに幾度となく増改築を繰り返してきたが、この屋根神様の祠がある棟だけは大切に残してきた。
その家々の屋根の上にまつられた幾つもの祠に灯されたかがり火が、宵闇の中、陰影のあるここにしかない風景を生み出す。
この辺りの土地ではごく当たり前の、けれどあやめが子供の頃からずっと好きな風景だった。
再び両眼を開いてから、あやめがじっと祠を見つめた。
「……」
心の奥が少しだけ痛かった。
それと同時に、酔った偕人のあの時の姿が蘇ってきた。
「和稀さんって、誰だったんだろう……」
もしかしたら、朔夜にきけば教えてくれたかもしれない。
けれど、躊躇われ、自分にはどうしても出来なかった。
―知りたいと思うことを全部きいてしまったら誰かが傷付くなんて嫌だ。
不意に少し涼しさを感じられる風が、路上を吹き付けてきた。
着物の裾がはためき、通り抜けて行った一陣のその心地良い風の感覚があやめの心の中に在った、もやのようなものを消していってくれるような気がした。
自分勝手な行動を繰り返す男にすら、ほんの少し身の上話らしきものを聞いただけでも、これまであった迷惑ごとを忘れてしまったように気になってしまう。
そして自分に何か出来ることがないかと、何時もつい無条件に考えてしまう。
「こういう性格……やっぱり損なのかなぁ」
あやめは独り、小さくそう呟いた。
屋根神様は、愛知県や岐阜県などで実際に見られる古い家屋の一階のひさし屋根や軒下などに設置され祭られた、実在する祠です。
(この説明文はwikipediaを参考にしています)




