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不良憲兵、火神大和

「座敷童が出たんですよ! 」

 薙刀の練習を終え、帰宅後、あやめは一足先に戻って縁側でだらけながら、呑気に西瓜(すいか)()んでいる偕人に掴みかからんばかりの勢いで言った。

「座敷童は学校なんかには出ねぇよ! 座敷童(あれ)は普通、家に出るもんだろうが! 」

「でも、絶対なんかいたんですよ! 急に子供が……男の子が目の前で消えて! 」

「あのな、お前、俺に立たされてる最中にどーせ寝てやがったんだろ、反省の欠片も無い奴だな! 」

「寝てません! 絶対見ました! 」


「何だかあやめさんも、偕人にだいぶ毒されてきましたね……」

 朔夜が二人の喧々囂々(けんけんごうごう)な言い合いをするのを眺めながら、ため息混じりにそう言った。

「それにあの男の子、誰かに似ているような気がして……」

 思い出すようにそう言い掛けたあやめの言葉を、偕人が遮った。

「罰則の最中に居眠りするような奴の戯言(ざれごと)に付き合えるか、向こうに行っちまえ! 」

 偕人の言葉にあやめが激怒した。

「だいたいそれだって、全部あなたのせいなのに! 」

「俺のせい? 何がだ」

 あやめははっとしたように、口元を押さえた。

「なんでもないです。もういいです! 」

 あやめは足を踏み鳴らしながら、肩を怒らせつつ部屋に戻って行った。


 その様子を見届けてから、朔夜が口を開いた。

「偕人、どうしてあやめさんに教えてあげないんですか? あなたにはおそろしく心当たりがあるでしょう、その消えた子供とやらに」

「……何の話だ? 」

「そういうすっとぼけた振りは私には通じませんよ? 」

「うるさいな! 朔夜(おまえ)もどっか行っちまえよ! 」

 偕人は吐き捨てるようにそう言うと、庭に向かって勢いよくスイカの種を吐き出した。







 沸き立つ怒りが収まらないあやめは家を出ると、さしたる目的も無いまま、家から程近い市電の駅前にある商店街へと続く方角へと足を向けた。

 和洋折衷(わようせっちゅう)の入り混じる家々が、両側に立ち並ぶ石畳の細い路地を抜けると、舗装された道の上に二本の金属製のレールが敷かれた大通りに出た。

 緩やかな高低差がある道の、その上に敷設されたレールの上を、深緑色に塗装された、まだ真新しい角ばった一両だけの路面電車の車輛が、がたついた音を立てながら、あやめの直ぐ側を軽快に走り抜けていく。


 それまで吹いていた西風もなりをひそめるような夕闇の中にある往来は気を抜くと、互いに肩がぶつかりそうな程の人の多さだった。

 先程、路面電車が走り去っていったばかりの方向からは、自転車に乗った、近くの老舗の味噌蔵の印の入った前掛けをした、丁稚(でっち)姿の若い男が口笛を吹きつつペダルをこいで近付いてくるのが見えたので、道を譲ろうとあやめは自分から脇によけた。

 それから、自分の周囲から人の流れが僅かに途切れたのを感じ、草花の(つる)の模様があしらわれ、左右一対に電球が下向きに取り付けられた、瀟洒(しょうしゃ)な街灯の下で、あやめは(しば)し立ち止まった。


「なんなの、あの人! 全然、意味が分からないわ! 」

 もはや何に怒っていたのかすら、あやめ自身にも訳が分からなくなっていた。


 一方、偕人も何となく釈然としないまま下駄を鳴らしながら、朔夜(カラス)と共に家を出て外をぶらついていた。

「偕人、よもや、あなた全然気が付いてないとか言いませんよね? 」

「何がだよ」

「さっきのあやめさんが言った『あなたのせいなのに』の意味するところを、です。そうは言っても、私も女性の気持ちにはかなり疎い方ですけどね」

「だから、何が俺のせいなんだよ。意味が分からねえ」

 朔夜は嘆かわしそうに、偕人を見た。

「……あなたって心底残念な人なんですね。今凄まじく分かった気がします」

「ふざけんなよ! お前! 」

 偕人が切れて朔夜の羽をむしろうとしかけた時、背後から声がした。


「相変わらず、八咫烏(ヤタガラス)と一緒なんですね。見つけましたよ、月城偕人」

 その声色に、偕人の顔から音を立てるように一気に血の気が引いていく。

 同時に冷や汗が吹き出しながら、偕人は恐る恐る背後を振り返った。

 そこにはこの男だけにとっては、ある意味、『絶望の展開』が待っていた。








 あやめは未だ怒りが収まらぬまま、様々な小売の店が立ち並ぶ商店街の中を見て回っていた。

 街全体が面変わりしていくのと同様に、見る間に数を増やしてきたこの通りの商店の中でも特に目を引くのは、男性用の洋装の仕立屋の入り口に掲げられた大きく誇らしげな看板だ。

 店の中に目をやると、看板に描かれた男とよく似た、(ひげ)を生やし杖をついた身なりの良い紳士を接客する店員の姿が、扉の硝子(ガラス)ごしに見えていた。

 仕立屋の隣は、まだ多くの一般庶民の間にはそれほど馴染みが無い、洋食を出す飲食店で、窓にステンドグラスが()め込まれた店内からは、蓄音機(ちくおんき)が奏でているらしい、何処となく哀しさを感じさせる音色が流れてくる。


 そんな多くの買い物客らが行き交う道の先から、あやめにとっては最も会いたくもないはずの相手が、顔を真っ青にしながら猛烈な勢いでこちらに走ってこようとするのが見えた。

「……え? 」

 居合わせた買い物客らが慌てて道を開ける中、汗だくになりながら走ってきた、その相手、偕人にあやめは思わず他人の振りをしようとした。


 当然の反応だ。

 だが、無視するはずだった相手の反応の方が、実際には予想外だった。


「あやめ、逃げるぞ! 」

 偕人はあやめの手を強く掴むと半ば引きずるように走り出した。

「やっ、なっ何するんですか! やめてください! 今度はなんですか! 」

「『あいつ』が来るんだよ! とっとと来い! 」

「残念ですが僕はもう追いついてしまいましたから、諦めて下さいねー」

 その声に、驚いたあやめが反射的に振り返る。

 そこに立っていたのは、一人の憲兵の青年だった。


「そんなことをやってると、新たに罪状に未成年略取とかが追加されてしまうわけですが、いいんですか? まあ、僕は偕人(あなた)が実刑を食らって多少投獄されようが、別に気にしませんけどねー」

「え、偕人さんの知り合いですか? 」

「はい、正真正銘、随分昔からのそいつの知り合いの火神大和(かがみやまと)です。初めまして」


 憲兵の若者は、人懐っこそうな笑顔を浮かべてそう言った。


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