星に願う事をやめた日。
多分速攻で読み終わっちゃいます。
「どうかされたんですか?」
川辺に佇む影に、問うた。
「星が、綺麗だったので」
影が、答えた。あまりに透き通った声だったので、少しだけ驚いてしまう。
影ーー今時珍しく、着物を着ている女は、こちらを見向きもしない。ただ、顔が見えずとも後姿だけで、美しい、と思える程に、その姿は神秘的であった。
その後姿は、只々、空を見上げて。
つられて見上げてみて、息を呑む。
そこには、何故今まで気付かなかったのか、と本気で自分を叩きたくなる程美しい、満天の星空が無限に広がっていた。
都心に比較的近いこの地域でも、こんな物がまだ見られたのか。
「本当に……綺麗ですね。何故僕は気付かなかったのでしょう」
女に語りかけるような、独り言のような、自分でもよくわからないが、感嘆の溜息と共にそう零す。
すると、それを独り言と捉えなかった彼女は、またもあの小鳥のさえずりに似た美声を返した。
「きっと、今の世が、人々の心を曇らせているからでしょう。
心が曇れば、空は見えません。空が見えぬ者には、星の奇跡も起こりません。
そうして、星だけではない、様々な見えざる者達が忘れられて、消えて逝きました」
突然、意味深な言葉を語り始める彼女。
僕は、少しずつ彼女との距離を縮めて、歩み寄って行く。
「ああ、私もまた、消えゆく運命。
天の川と彼の人が揃わずして、何故私の居る意味がありましょう」
言葉の意味が、全くわからなかった。普通なら可笑しな奴だと一笑に付してしまう筈なのに、今にも消えてしまいそうな程儚い姿と声のせいで、彼女に手を伸ばさずにいられない。
あと、一歩。少し、手を伸ばすだけ。それだけ、なのに。
女は、振り向いた。
ーー美しい。
それに尽きる。
もし、その美しさを全て言葉に表してしまったら、それはたとえどんな文豪であったとしても一生それを成し遂げる事は叶わないだろう。
陶器以上に白く滑らかな肌。黒曜石よりも魅惑的な輝きを秘めた瞳。
夜空の漆黒よりも深く妖艶な闇色に染まる髪は、一度は触れてみたいと思わずにはいられぬ程、手入れが行き届いている事がわかる。
これだけでも足りぬと言うのに、どうこの美しさを表現しきれば良いのか。
美しい、ただそれだけで事足りるのだ。多過ぎる言葉は無粋だ。
桜色の柔らかな唇が動いて、言葉を紡ぐ。
つい釘付けになって、触れてみたい、などと、後で考えれば赤面して穴に埋まりたくなる程恥ずかしい事を考えていた。
「責めて同じ時に逝く事が出来たなら、同じ時に産まれられたでしょう。
何故そこまでして神が私達と会わせまいとするのか……。
今となっては、もう、わかりません」
ですが、と接続詞を入れた彼女は、言葉を続ける前に一呼吸置いた。
「……次に生を受けた時は、どうか、私と同じ時代に、生きて下さいね。
ーー共に生きられると、信じていますから」
七夕になると、思い出す。
この目に焼き付いて離れない、儚くも美しいあの笑顔を。
あの日から、七夕に願う事をやめた。
今年の七月七日も、雨だ。