お昼の1時間
ちょっと後半暗い雰囲気かもしれません。
でもそこは古儀居さんが重い女という事でなにとぞ…。
あ、暗い雰囲気といってもバッドなお話ではないです。
ただ、ちょっと七さんは千代ちゃんによっかかりぎみかなって言う感じです。
喫茶アーモンドは、比較的決まった時間に、決まった数のお客が入る店である。
朝7時頃、開店から間もない時間に。
喫茶アーモンドの店名の由来になっているアーモンドパウダーを使ったアーモンドパン2個に、コーヒーと紅茶を選んで付けられて、ベーコンエッグとミニサラダも付いたモーニングメニュー。
そのお値段500円を目当てに通う何人もの会社員の男女の数々。
彼、彼女らの種族は像族、ライオン族、馬族、牛族等々、様々な族の集団だが、共通点がある。
喫茶アーモンドから30mと離れていない所にとある会社の社宅になっているマンションがあるのだ。
皆、そこからアーモンドのモーニングセットを目当てにやってくる。
それこそ毎日通う、というのは少数派でも、日々の食生活に幅を持たせる為にアーモンドのモーニングは中々の人気だ。
そして昼時には銅鐘が毎日通い、日によってその他20人程度が来店して、それぞれ季節の野菜の盛り合わせや厚切りステーキに手作りパンを添えたセットメニューを注文していく。
こうして客足は2時程度まで途切れず続き、午後に向けて1時間、店を閉めて賄いを食べる。
これはそんな1時間の話。
「今日もお昼のお客様が沢山来てくれてありがたいわね……千代ちゃん。休憩中の看板出してきて頂戴」
「はい!解りました!お昼っお昼っ」
七の指示に尻尾を振りながら従う千代を見送りながら七は賄いのメニューを考える。
モーニングセットは完全に捌けた、アーモンドパンは無い。
ただ、卵とベーコンは別メニューでも出しているので、多少余っている。
それでとりあえずおかずの1品は卵焼きに決めた。
後はランチメニューに仕入れていた野菜があり、ほぼ毎日食べに来る銅鐘が要るので半ば常備品になっているパスタがあるのも思い出す。
そこで野菜とベーコンを焼いたものを塩とオリーブオイルで味を調えたパスタに絡めた物を作ることに決める。
それで今日の賄いは決定。
後は精々千代の希望に沿ってジュースなりミルクなり、飲み物を添えるだけだ。
「七さん、看板出してきました」
「うん。ありがとうね千代ちゃん。すぐお昼作るから」
七の言葉に、千代はカウンターの中央にある席に腰掛けてちょこまかと恋人が動き回るのを眺める。
「七さーん今日のお昼なんですかー?」
「野菜と茹でベーコンの炒め物入りのパスタと卵焼き。飲み物はお好みで」
「あ、飲み物は紅茶が良いです!」
「そう、じゃあ他のは異議なしっていう事で」
言いながら、寸胴鍋になみなみと水を注いでIHの上に置いてお湯を沸かし始めてから、七は薬缶でもでお湯を沸かし始める。
「はぁ、それにしても七さん人気ですよね。毎朝来てるインドシナトラ族の赤毛の人、いっつも七さんを見てますよ」
「そう?私は見られてる気しないけど……あの人いつも新聞を読みながらモーニングセットを食べてるでしょう」
「それがですねー。七さんが調理中に視線を落としてるとちらちら横目に見てるんですよね。私解っちゃうんです」
「千代ちゃん。それ貴方ちゃんとお仕事できてるの?」
「出来てます!ここで働き始めたときみたいにお皿割ったりしなくなりましたよね!」
「それは確かに。じゃあお客様の事を見る余裕が出来てきたって事かしら」
「そういう事です」
「ああ、言われて見れば確かに……千代ちゃん、お冷が無くなったお客様に自分からお冷のお替りが要るか聞きに言ってるわね」
「はい。さすがに年単位で働いていればそのくらいできるようになりますよ」
「私は出来る店員が居て幸せだわ……と、お湯が沸いたわね。お茶を先に淹れていい?」
「はい。お願いします」
「解ったわ。じゃあちょっと待ってね」
お湯が100度になったことを告げる電子音を合図に、IHの温度を保温にしてからティーポットを取り出し、その中に一度お湯を注ぐ。
お湯の温度がある程度ポットに移ったところでティーカップを出し、その中にお湯を注ぎ移す。
そしてティーポットの中にティースプーンで二人分の茶葉を投入して、薬缶からお湯を注ぐ。
そうして小ぶりな2分半の砂時計を立てて時間を計る。
そのまま砂時計から視線を離さず七は言った。
「でもお客さんからの人気だったら、直接やりとりする千代ちゃんの方が高いと思うわよ」
「え、そんなこと無いですよ。私なんて図体が大きいばっかりで」
「そうかしら?元気が良くて、ハキハキしてて、健康的な体つきで。人に好かれる条件は満たしていると思うわ」
七は言いながら、さらりと砂が落ちきったところでティーカップの中のお湯をシンクに捨てて、ティーポットから紅茶を注ぐ。
「はい、千代ちゃん紅茶。それに、千代ちゃんお尻の形がいいのよね。それが良く解るジーンズ穿いてる事が多いから……」
「な、七さん前からそんな風に見てたんですか?」
「ええと、スタイルが良いとは前から思ってたわね。でもそういう所で人気が出るんじゃないかって思い出したのは最近」
「……恋人じゃなかったらセクハラですよね」
「当然、今のは恋人としての言葉だよ」
ふんわりと目元を細めながら、ソースポットのような形の白磁のティーカップから、七は一口紅茶を飲む。
その言葉に、千代は合間合間にふーふーしていた紅茶への吐息を止め、ごくりとつばを飲み込む。
「じゃ、じゃあ七さんの恋人的な視点から見た私の人気でそうな所ってどんな所があります?」
「そうだね……エプロンの上からでもはっきりわかる巨乳って、男女問わずに人気でそう。特に千代ちゃんはキリッとしてる印象があるから、ギャップっていうのかな。女性なのに男性的でありつつ、やっぱり女性としての象徴性を持っている。そんな軽い矛盾は人をひきつけるんじゃない?」
「む、胸ですか?」
「胸は一番目立つ特徴だけど、やっぱり総体よね。ちょっと怖そうな顔に見える毛皮の配色はカッコいいよね。そういう人の体型が女性的っていうのは、ちょっと背徳的。千代ちゃん普段着も男の人っぽしね」
「それってつまり、女人歌舞伎みたいな魅力って事ですか」
「そうね。相反するものを二つ同時に持ってる人って、神秘的だから」
「わ、私神秘的ですか?」
「んー……そこはそうね。といってあげたいけど、2年も一緒に過ごしてると、千代ちゃんって天然系だよねって」
「て、天然……」
「私には、そこが可愛いんだけどね」
「え?な、七さん!今の所もう一度!」
慌てて声を上げた千代を華麗にスルーしながら、七は寸胴鍋でぐらぐら煮立つお湯の中にベーコンの塊とパスタを放り込む。
犬族の彼女達としては基本は塩分の取りすぎはアウト、なので塩分高めのベーコンから塩抜きと同時に、パスタに風味をつけるのをかねて一緒に煮込むのだ。
「ところで千代ちゃん。卵の焼き加減って柔らかでいいの?」
「あ。私は固めでー……って七さん!誤魔化そうとしてるでしょう!」
「そう思う?」
「思います!」
くわっと顎を開いて怖い目をする千代からの威圧感を軽く受け流して、くすりと笑った七は言った。
「大丈夫。千代ちゃんは私にとっては可愛い女の子よ」
「はっ、くっ、かふぅっ!わぅん!」
軽く返されたストレートなパンチに千代は思わず両目を覆って耳を伏せる。
そんな彼女の様子を軽い笑みと共に見守りながら、七は卵焼きではなく、食べやすい大きさに切ったトマトや千切ったレタス等の野菜をいため始める。
軽く引いた油で少し野菜がしんなりするまで炒めてから火を弱め、煮立つ鍋の中からベーコンを引き上げる。
彼女達にとってちょうどいいくらいに塩が抜け、暖かくなったベーコンの水気をクッキングペーパーで拭ってから、手早くコマ切りにする、
そして野菜を炒めている鍋にベーコンを入れて、焦げ目が付くまで焼く。
それが済む頃にはパスタの方もほど良い茹で上がりになっていて、七はパスタをパスタサーバーで水切りボウルに掬い入れてよく水気を飛ばす。
こうして準備が出来たパスタをベーコンと野菜を炒めているフライパンに投入して、弱火で軽く焼きながらよく掻き混ぜる。
そしてHIの火を落としながら2人分の皿を取り出し、パスタトングで盛り付ける。
その後フライパンをシンクの洗い場において置いて、寸胴鍋もそこに移す。
こうして出来上がったパスタをいまだに耳を伏せ、目を塞ぎながら尻尾を揺らす千代の前に置いてから、小型のフライパンで目玉焼きを焼き始める。
この段になってようやく千代が復帰した。
「な、七さんは私の事可愛いって……?」
「うん。反応素直だし、大きいくて力も強いのに、いつもやってもいいのかな?いいのかな?って思ってそうな挙動とか、可愛いよ」
「あぅーん……七さん、恥ずかしい……」
「そういえば千代ちゃんも私の事可愛いっていってくれたよね。お互い相手を可愛いと思ってる同士、いいんじゃない」
そういいながら一旦目玉焼きから目を離し、七は先ほど盛ったパスタにフォークを添えて千代の前に置く。
そして言った。
「はい、先に食べてていいよ千代ちゃん。私もチョコチョコ食べるけど」
七は卵焼きを作っているフライパンの近くに皿を出すと、千代はパスタを食べ始める。
小さな顎にパスタを収める為に少しずつ、少しずつ。
ただ、その顎の動きは速い。
カチカチカチとせわしない音が響く。
それを見ながら、千代もパスタに手を付け始める。
七の手作りパスタの味は、塩味が抜けたベーコンの僅かな肉の味と炒めた野菜をパスタの炭水化物感が包む『犬族には』美味しい味がした。
はふはふとパスタを食みながら千代は七を見る。
卵焼きが頃合になったのかフライ返しでひょいひょいと小さな皿に卵焼きを移すその姿、それはいまや自分のものと言っても過言ではないのだ。
千代はごくり、と噛み終わったパスタ諸々を飲み込んでから、てろりと舌を覗かせて顔を緩める。
そんな彼女の緩みきった内心を知ってかしらずか、千代の前にはしっかりと芯まで火が通った卵焼きが置かれるのだった。
それはしっかりと千代好みの、ちょっとぱさつく固めの黄身で、軽く振った塩分カットの塩によく合った。
塩分の取りすぎは良くないが、塩ッ気が嫌いというわけではないのだ。
「あの、七さん」
「ん?……うんっく……なぁに千代ちゃん」
口の中のパスタを飲み込んでから、千代からの声掛けに答える七。
そんな彼女の顔を見ながら、千代は聞いてみたかったことを聞いてみた。
「七さんは、なんで料理で食べていけるほど料理の腕を磨いたんですか?」
この世界、様々な族が入り混じる中ではそれぞれ気をつけるべき食材などがあるにはある。
原種のように犬族がたまねぎを食べるがイコールで中毒ではないにせよ、健康上気を遣うなら口をつけないほうが良い食材というのは存在するのだ。
この世界の調理師はそれを把握する事が求められ、その中で美味と感じる料理を作ることを要求されるのだ。
大変な仕事である。
だから、千代は何故七がこういう仕事を選んだのか、興味があった。
「うーんとね。きっと聞いたらがっかりするよ」
「しょうもない理由なんですか?」
「うん。割合ね」
「でも聞きたいです」
腕をカウンターの上に乗せて、たぷんとしたものも卓上に載せた千代に七は言った。
「単純にね、これが一番、自分に上手く出来る事だったからなの」
「一番上手くできる事、ですか?」
「うん。学生時代はね、本当に何が出来るか悩んでて、そのストレス解消に料理してたら、あ、これかなって思ってね。調理学校に進んだの」
「そうなんですか」
「もうちょっと、聞いてもらってもいいかな?」
「いいですよ。七さんの話なら」
「それでね、調理学校を出たんだけど、丁度バイトしてたのが喫茶店だったの。だから卒業後はそこで何年か経営の事とか、色々仕込んでもらって……このお店を持ったのは5年くらい前かな。2年でなんとか軌道に乗せて」
「喫茶店の経営に才能があったんですね」
「そうなのかな。とにかく必死で、自分にできる事見つけたくて、足掻いて。その結果の幸運みたいな感じでこのお店をやってるの」
「幸運ですか?」
問いかける千代に、静かに目を瞑って七は頷き答える。
「うん。だってこの店の開業資金は実家から援助してもらったしね、今の私の地盤は、生まれから始まる幸運の連続の結果。1つ欠けても成立しない生活なんだ」
「そうなんですか。たしかに喫茶店の店主としては七さんは若い方ですもんね」
「あ、千代ちゃんと出会えたのも幸運ね。ふふ、なんだかこうなると揺り返しが怖いね」
「揺り返し……」
「うん。今まで幸せだった分、全部それがどこかに流れて行っちゃう。そんな揺り返し」
「どこにも行かないもの、ありますよ」
「え?」
「私です!私は、ずっと七さんの傍に居ます!どんなになったって、それだけは約束します!」
千代の搾り出すような叫びに、再びふっと微笑んで身体全体を乗り出すように、千代の鼻先に触れた。
「ありがとう千代ちゃん。私も、どんなになっても千代ちゃんが居る限り頑張る」
そう言って、千代の湿っぽい鼻先を二度、三度と七は撫でた。
それが終わると、再びフォークを手にとって、小さなパスタの玉を作った。
「ちょっと湿っぽくなっちゃったね。ごめん千代ちゃん。すぐ食べてすぐ片付けるから」
「いえ、良いですよ七さん。元はといえば話を振ったのは私ですから」
「そう?」
「ええ。ただ、湿っぽくなっちゃったのは事実なので……」
「ん?」
「早く食べて早く片付けて、ちょっと休み時間を延ばして二人で触れ合いましょう。お互いの首筋から頬の毛並みの感触を味わえば、暗い気分も吹き飛びます!」
元気に宣言する千代に、つるりとパスタを飲み込んだ千代は言った。
その目は、心なしか安堵感に包まれているかのようだった。
「そうだね。千代ちゃんがそういうならきっとそう。じゃあ早く食べないとね」
そういうと、七は食べる速度を上げて、あっという間に卵焼きとパスタを平らげた。
その後は手早く洗い物を済ませて、僅かに店の休憩時間に余裕を作った。
こうして、カウンターから出てきた七を、千代は力いっぱい抱きしめる。
触れ合う、硬質な毛並みと、柔らかな毛並み。
相反する質を持ったその感触に七は千代を感じ、逆もまたしかり。
後はその接触を無言で続けて、毛並みを擦り合わせて十数分を触れ合いの時間に使い、喫茶アーモンドの昼休憩は過ぎていったのだった。