不器用な女
毛皮を乾燥させるのに、一人に1個ハンドドライヤーというのは結構浸透している文化だ。
ハンドドライヤーは範囲こそ狭いものの、毛並みをふんわりと乾かすつくりになっている。
お風呂上りに改めてブラシを掛けながらハンドドライヤーで変な癖がつかない様に乾かす。
これが普通で、七程度の髪と毛並みの長さならば1人でさっさと乾かしてしまう。
しかし千代のような腰まで届くようなロングヘアだと話は変わってくる。
「千代ちゃん、背中私がやろうか」
「あ、お願いします七さん」
普段ならヘアピンで髪をうなじの毛皮が見えるように持ち上げて自分でドライヤーを当てるのだ。
だが今は千代と七は仮の恋人だ。
だから彼女は脱衣所で狭い思いをしながらも恋人の手に全てを任せた。
「千代ちゃんの髪固いねー」
「そんな固いですか?」
「後で私の髪と触り比べてごらん。私の髪ほわほわだよ」
「ほわほわですか?」
「うん。ほわほわ」
七は話しながらも、持ち上げた髪を腕に乗せて広げて、そこに満遍なくドライヤーを当てて乾かす。
その後ヘアピンで髪を纏めて千代のうなじを出すと、そこの毛並みを掻き分けて温風を当てていく。
この後も、千代の長い髪が覆いかぶさる部分の毛皮はさらさらとした手触りになるまで乾かした。
「どう?気持ち良い千代ちゃん」
「ふぅぅぅ~。気持ちよかったです。ありがとうございました」
「どういたしまして。後は自分でね」
「あ、尻尾だけお願いしていいですか?」
「おっけー、尻尾もね。千代ちゃんの髪の長さなら尻尾にもかかるかぁ」
「そうなんです。お願いします」
「じゃあちょっとくすぐったいかもしれないけど我慢してね」
「はい」
話終わると、七は尻尾の根元から先端に梳く様に手櫛と温風を通して乾かしていく。
千代が心地よさに尻尾を振ろうとすると、七は毛を逆毛にしてその動きを止める。
そうされるとビクリと尻尾を止め、鼻を鳴らす千代だが、七はそれを気にせず作業を続行する。
こうして長く、毛もたっぷりな尻尾を乾かし終わると七は千代にドライヤーを手渡した。
「はい千代ちゃん。終わったよ」
「うう、尻尾の毛を逆なでするのはやめてください……」
「だってぱたぱた動かされると乾かし難いんだもの」
「そうですけど~……」
恨めしげに自分を見る千代の視線を受け流しながら、七は着替えたら、二階の自分の部屋に千代が来ないかと聞く。
「そ、それは行きたいですけど。いいんですか?」
「私が千代ちゃんの部屋に行くほうがいい?ベッドのサイズがあるし」
「べ、べべべ、ベッドのサイズって!?」
「臭い、つけるんでしょ?」
「あ……臭いつけですか。な、なんだ。あはは、あせっちゃいましたよ」
七の発言に思い切り動揺した千代に、七はくいっと口の端を持ち上げて言う。
「エッチはしないよ」
そのからかうような声色に、千代は大きな声を上げた。
「解ってます!もう、七さんのいじわる!」
彼女の地肌が見えていれば頬が紅く染まるのが見えただろう。
尻尾を立てて大きく口を開けて放たれたその言葉に、七はわざと我関せずという態度を取る。
「ま、それはともかく私2階の部屋で寝巻きに着替えるから、千代ちゃんは自分の部屋でステイね」
「ステイって……そんな原種の調教じゃないんですから」
「そうだけど……なんだか私って思ってたよりSっぽくてね。千代ちゃんをいぢめるの楽しい」
「そんなぁ~、酷いですよ七さん」
眉間に皺を寄せる千代の太ももをぽんぽんと叩きながら七は明るく言う。
「大丈夫大丈夫、いぢめるって言っても軽くだから」
「大丈夫じゃないですよぅ」
「あはは。まぁとりあえず上行くね」
「はぁ、解りました。私待ってますね」
「うん。じゃあまた後で」
そう言って千代を残して脱衣所を出て、七は二階の自室へ上る。
そして箪笥から薄い空色のブラとパンツを着ける。
さらにその上から白地に淡い花柄の短パンと白地にコミカルな柄の入ったTシャツを着込む。
冷静になると30代でこの格好はどうなのかな、などと思いながらもサイズの関係で大人っぽいのは難しいしと七は自分に言い訳する。
下手にレースを使ったものにするというのも、それはそれで外見に合わないとなりそうで、小さすぎる体格は色々苦労があるのだ。
何はともあれ、準備が出来たので同じ2階にある千代の部屋の前に立ち、ドアをノックする。
すると中からはすぐに返事が返ってくるどころか、扉が開かれて千代がだらしない顔で出迎えた。
「いらっしゃい七さん。どうぞ中へ」
千代はグレーの毛皮の中でもしっかり自己主張する黒く刺繍の縫い取りが見て取れるブラとショーツを身に着けた身に付けていた。
布の周囲の毛並みをもそっとさせている彼女に七は室内に通される。
四畳半ほどの広さの部屋の中には衣装を掛けるハンガーラックが一つ。
そしてバーベルや腹筋アーチベンチ等がおかれている以外は整頓されていて、敷布団の上に載せられた掛け布団も整えられている。
「千代ちゃんの部屋はシンプルイズベストだねぇ」
「七さんの部屋には負けますよ。衣装箪笥と布団以外はお香の道具があるだけじゃないですか」
「お互いあんまり物を部屋に置かないよね」
「そういえば本とかあんまり読まないですよね」
「だからなか、お互い流行に疎い」
「ですね。それはそうと、そろそろ布団に……」
「はいはい。それじゃお手柔らかにね、千代ちゃん」
少し言葉を交わした後、千代の布団の上に七はころりと寝転ぶ。
ふわりと七のTシャツと短パンから出ている手足と頭の毛皮が揺れた。
それを見て千代の尻尾が千切れんばかりに振られる。
「実は私臭いつけってあんまり知らないんだよね。経験ないからさ」
「そ、そうなんですか七さん。そういうことなら私が知る限りの知識をもって教えてあげます」
「うん。お願いね」
七の承諾の言葉にこれ幸いと、千代は小さな七の身体を潰さないように肘と膝をつく位置を調整して、寝転ぶ七の身体の上に覆いかぶさる。
「それじゃあ付けちゃいますよー。臭い」
「いいよ。ふふ、ちょっと楽しみかな」
少し笑みを漏らす七の首筋に、千代はうっとりとしながら自らの喉の辺りの毛皮を擦り付ける。
それを何度も繰り返しながら、千代は七に言う。
「七さん。ゆっくり鼻で息をしてみてください。私の臭い、感じてください」
千代はぐりぐりと頭頂部や顔の側面なども七の首元に擦り付ける。
そんな彼女の動きに、七は静かに鼻をひくつかせ臭いを確かめた。
「う……ん、かすかに千代ちゃんの臭いするかも。でもそれは今千代ちゃんがくっついてるからかもだし」
「七さん。毛づくろいを舌でしていいですか?」
「あ、それはダメ。私自分のも含めて口の中の臭いが毛皮に付くって好きじゃないの」
「そうですか……くぅ~~ん」
切なそうに鳴きながらも、千代は七の腕と自分の腕を絡めたり、七の胸元が開いたTシャツの中に鼻先をいれて臭いを堪能したりしている。
10分ほどして気が済むと、黒いショーツを穿いたお尻を七の腕や足に擦りつけ始める。
これは昇り棒で不自然に上下するとかそういうこういではなく、肛門腺から出る自分の臭いを七につけているのだ。
「うわ。これは濃厚な臭いだ。大胆だね千代ちゃん……」
「こ、恋人同士ですから」
「これは明日常連の子達に何か言われそうだなぁ」
「いいじゃないですか!七さんも私に沢山匂いつけてくださいね」
そういってから、自分がひとしきりお尻を擦りつけた七の腕や足に鼻を付け臭いを嗅ぐと千代は恍惚とした表情を見せる。
だらしなく舌を出し、ぽたぽたと涎をたらす千代を七はしかりつける。
「こら千代ちゃん。お布団染みになっちゃうでしょ」
「はぇ……あ、あぁ!?すいません!」
「もう、自分のお布団なんだから気をつけなきゃダメだよ」
「うぅ、ごめんなさい。七さんの身体から私の臭いがするって思ったら……その、嬉しすぎて」
鼻先をぺしりと叩かれて我に返った千代が尻尾を丸めると、七はタオルを探し始めた。
「千代ちゃん、そこらへんにタオル無い?」
「あ、それなら……って自分で出しますよ!七さんは座っててください」
「うん」
千代の慌てた声に素直に布団の上にちょこんと座り、七は待つ体勢に入る。
ハンガーラックに掛けてあったタオルを手にすると、布団の上に落ちた唾液を拭く千代。
彼女は落ち着いた所でちょこんと座る七を持ち上げて布団の脇にどかし、自らの身体を横たえる。
「七さん。お願いします」
「千代ちゃん。それじゃ、臭いつけるね」
「はい……」
寝そべり恥ずかしげに顔を逸らす千代の首筋の毛並みに七が小さな顎の鼻先をもぐりこませた。
体格差からか、彼女の千代への体重の掛け方は遠慮が無い。
思い切り毛皮に埋まるように身体を預けると、すんすんと鼻を鳴らしながら、こそこそと毛並みを擦り付けていく。
「ここらへんは私に臭い付けた時にちょっと臭いが混ざってるかな?」
「そうだったら嬉しいですね」
言葉少なに、千代は自らの毛皮をくすぐる小さな感触を楽しんでいた。
たとえ相手が小柄で、自分に比べれば軽いとは言っても人一人分の重さなのだが、千代は何も言わなかった。
自分と密着してくる七の重圧を喜びに変えて、寝そべった身体からはみ出している尻尾は動く限りうごめいている。
そして5分ほどが過ぎると、七は身体を擦り付けるのをやめる。
「それじゃ、お尻の臭いつけるからね」
そういうと、七は下に穿いている短パンを脱ぎ、腰下まで隠しているTシャツの下から足を通して小さなそれを抜く。
そして千代の腕にひたりとTシャツの下のパンツ越しにお尻をつける。
「こんな感じでいいのかな?」
千代の肩にお尻を乗せながら聞く七に、千代は無言で何度も頷いた。
それを見た七は、ゆっくりとお尻を千代の少し固い毛並みに擦り付けていく。
千代は腕に当たるふわりとした七の毛皮の奥にある、柔らかな部分の感触に鼻息が荒くなる。
手足に存分にその感触を味わってすっかり気分の盛り上がった千代に、七が言った。
「千代ちゃん。これって顔にもしたほうがいいのかな」
その言葉に目がとろんとしていた千代も、さすがに眼を見開いて首を振った。
「そんな事されたら、私我慢できなくなっちゃいますよ!」
「え?でもお風呂でお尻の臭い……」
「あれはお風呂だから!布団でそんなことされたら、私ダメになっちゃいます!」
「そ、そう?じゃあ止めておくね」
千代に言われて臭い付けを止めて立ち上がり、七は脱ぎ捨てた短パンを穿きなおす。
そして身体を起こしかけていた千代の傍に再び腰を下ろすと、七は彼女にそっと寄り添った。
「千代ちゃんはおっきいね」
そういって千代の肩口に頭を置きながら、起き上がろうとしていた彼女を押し倒すように寝かせた七はぽつりぽつりと喋った。
「千代ちゃんはおっきくて優しくて、良い子だよね。なんでそんな子が私みたいなおばさんなんかをって思うんだよね」
「それは昨日ちゃんと言いました」
「うん。覚えてる。でもね、なんでって気持ちは消えないの」
「七さん……」
小さな身体を、それだけだと頼りないとでも言うかのように、七はぴたりと千代の大きな身体に寄り添わせる。
そうして千代の腕に頭を預けながら言った。
「私、千代ちゃんにあそこまで言ってもらえるほどたいした事してないよ」
ぽつりと、零すように言われた言葉に、千代は反発した。
「そんなことありません!家に来ないって言ってくれたの時、私本当に嬉しかったんです!逆に聞きますけど、なんで七さんはあの時私に家に来ない、なんて言ったんですか」
七の頭を乗せた腕で、千代は七の顎の下を撫でながら言う。
「私、嬉しい反面、いつも思ってたんです。なんでこの人は私の事を拾ってくれたんだろうって。教えてください、七さん」
そうして、千代は空いていたい腕でも七を抱きしめる。
しばらくそうしていると、七は語り始めた。
「千代ちゃんに抱かれてて思い出した。千代ちゃんと始めてあった時、匂い、かな。この子なら何かが大丈夫な気がしたの。この子となら一緒になっても大丈夫っていう、そんな気がね」
「それって、恋愛的な意味ですか?」
「……どうなんだろうね。私も、30にもなって一人暮らしが寂しかったのかもしれない」
「七さん。私、そういう寂しい七さんの傍に居れたら嬉しいです」
「千代ちゃん……ありがとうね」
「寂しいだけなら、私が傍に居ますから。だから安易にお見合いとか、流されないでくださいね」
「わかったよ千代ちゃん。何だかどっちが年上だか解らないね」
「良いんです。年上だからこうしなきゃとか、年下だからこうあらなきゃとか、そんなの無いんです。人の数だけ関係の種類はあるんですから」
「そっか。ねぇ千代ちゃん。歯磨いたら、今夜は一緒に寝ようか」
七の誘いに、思わず千代は固まった。
そしてぎこちない口調で言う。
「あの、七さん。そういう発言をされますと、私としては我慢できなくなるというか……」
毛皮の下の筋肉をかちかちにして言う千代に、七はそっと囁いた。
「エッチはしないよっていったけどね。私、千代ちゃんなら良いかなって」
「な、何が……」
「臭いつけしてたら、私をあげちゃってもいいかなって」
「七さんをくれるって、それって……」
「うん。してもいいよ、エッチ」
眼は瞑っている為、今七がどんな眼をしているのか千代には解らない。
ただ、七の首周りに回した腕に七が手を添えたのは解った。
そこにあるのは拒絶ではなく、受け入れようとする意思であるように千代には感じられた。
「そんな、七さんはそれでいいんですか?」
どこか七のそれが信じられず、否定して欲しいという気持ちが千代の口をつく。
「いいんだよ。なんだか千代ちゃんの臭いに包まれたらね。千代ちゃん以上に私の事好きになってくれる人、いないんじゃないかなって思えてね」
「七さん……なんでそんな、後ろ向きなんですか」
「後ろ向き、かな。うん、そうだね。ごめん」
「七さん。七さんおかしいですよ。今日の七さんは0か1かで、間が無いように感じます」
「そうだね。銅鐘さんの言ってたとおり、私そういう距離感が全然無いんだと思う。ごめんね千代ちゃん、困らせちゃって」
もろもぞと千代の胸元に頭を寄せて、くたりと寄りかかる七の重みに今は千代も喜びを覚えない。
千代は七がこんなに不安定な人だとは思っていなかったな。
だがそれは期待はずれで失望するという事ではなく、この人には自分が付いてあげないとと言う気持ちを大きくさせた。
お互い、ダメな人間なのかもしれない。
それでも支え合って行けるなら、この関係に七も意味を見出す日は来るのかもしれない。
その思いを千代は口にした。
「七さんが距離感を計れないなら私が計ります。七さんの足りない所、私に埋めさせてください」
「千代ちゃん…ありがとう」
「良いんですよ。そろそろ歯を磨きに行きません?」
「んー……もうちょっと、こうしていたいかな」
「ふふ、いいですよ七さん。甘えん坊な七さんなんて、告白しなきゃ見れなかったでしょうね」
「そうかな。……そうかもね。はぁ、千代ちゃんのおっぱい気持ちいい……」
さわさわと千代の胸を揉みながら、溢れる毛並みの中に埋もれた七は、その後歯を磨く前に寝入りそうになった所を千代に促され歯磨きして、自分の部屋へ入っていった。
千代は、七の後に歯を磨いて寝た。
布団を頭から被って、身体についた七の臭いを嗅ぎながら、夢も見ない深い眠りの中へ落ちていった。