2年後の、七と千代
あの七の見合い話から始まった、千代の告白から始まった二人の関係は2年続いた。
だが、今日から二人の恋人関係は終わりを告げる。
「千代ちゃん。一緒じゃダメなの?」
「ダメですよ七さん。お互い、また後で会いましょう」
「そうね……一番に千代ちゃんのウェディングドレス姿を一番に見れないのは残念だけど、それは千代ちゃんのご両親に譲らないとね」
「お願いします。お父さんなんてすごく楽しみにしてて……一番を他の人取られたら倒れちゃうんじゃないかってくらいです」
「それは大変だね。じゃあ、ちゃんと見せてあげてね」
「はい!じゃあまた後で会いましょう、七さん」
「うん。じゃあまた後でね、千代ちゃん」
二人はそう言って、それぞれの控え室へと入って行った。
今日は七と千代の結婚式。
披露宴ではない為に、出席者は極々親しい人間と家族に限られるが。
それでも確かに二人が社会的にも、ただの雇用主と被雇用者、家主と住人という関係が変わる日だった。
七が入った控え室では、七の両親が待っていた。
両親二人は無邪気に七に語りかける。
「ねぇねぇ七。あのおっきい千代ちゃんと結婚するんだよね」
「私達もちょっと抱っこしてもらっていいでしょ?」
「ねー七。いいよね?」
「式の最中はダメ。でも、式が終わって私の後ならいいよ。お父さん達」
「ほんと!?約束だよ!}
「そう!約束!」
真子と父である康は七と千代が付き合い始めてすぐの頃、顔見せの時に千代に怒鳴られたので、てっきり結婚には反対するかと思われた。
だが二人は、家にもおっきい子ができるね、と言って笑って許した。
ただ、その後庭で千代に鬼役をさせてわんわん言いながら追いかけっこを楽しんでいたが。
こんな、稚気に満ちた二人だが、七の結婚は喜んでいる。
七はもしかすると一生一人で過ごすのかもしれない。
そう思っていたところに千代との結婚話だ。
親としては、嬉しい気持ちが大きいのかもしれない。
少し邪推すると、千代が義娘になれば遠慮なく遊びをねだれるというのが本当の所かもしれないが。
それでも何はともあれ、七の両親は娘の結婚を祝う為に。
用意した肩の出た、スリムなマーメイドラインの白いドレスに袖を通していく七を見守っている。
千代の方の両親は、典型的なハスキー種で、娘が七と揃いのドレスを身に着けてくるのを、カーテン越しに待っていた。
二人とも、じっとカーテンを見つめながら話している。
「母さん、千代がお嫁にいってしまう」
「行ってしまうわねぇ」
「行って、しまう」
「はいはい、そんなに泣きそうにしないの。今日はおめでたい日なんだから、笑ってあげないと」
「でもなぁ……父さんはなぁ、う、うぅ……」
「ほんと、仕方ない人。千代はどっちに似たのかしら」
礼服の父百代と、着物姿の母である渚は感慨深げに言う。
二人とも、まさかあんな年上の、でも小さい女性と結婚するなどとは思っていなかった。
少女時代の千代は、大きいものが好きだった。
だから背を伸ばすために努力したし、大きければ強くなければいけないと言う信念の元、身体を鍛えたりしていた。
そんな千代が、彼女がその気になれば片手でも捻れてしまいそうな、小柄な七を選んだ事に、二人は最初驚いた。
だが会って話してみれば、七は小さな体に似あわない大きな心の女性だった。
多少、千代に甘えていた所もあるが、基本は千代が甘える側である。
千代の幼い頃を思い出させるその姿に、両親は二人とも懐かしい気持ちになったものだ。
そして、娘のそんな姿を見させることの出来る七を認めて、正式に交際を許可したのが昨日のことのようだ。
「なぁ母さん。千代は幸せかな?」
「幸せでなかったら、今この場に居ないと思うわ」
「そうか、そうか……うぅ、くぅぅ~~~ん」
「ほら、泣かないの。あの子の門出を笑って見送ってあげて」
「でも母さん、バージンロードを通って、神父の前で父親は娘を送らなきゃならん。それを思うと、辛くて、辛くて」
「ダメ。そんなことじゃ千代が安心してお嫁にいけないわ」
「うう、母さんっ」
「よしよし、千代は幸せなお嫁さんになるのよ。だから泣かないの」
延々と百代と渚がそんな会話を繰り返していると、いつしか更衣室代わりだったカーテンが開かれる。
「お父さん。私のドレス姿どうでかな?おかしくない?」
ベールは着けていないものの、スタイルの良い身体を、身体の線の出るドレスで包んだ千代は肉体美を感じさせる。
それを見た百代は眼を見開いて、パクパクと顎を開け閉めした後、千代の所へ駆け寄って、思い切り抱きしめた。
「綺麗だ!きっとあの古儀居さんもメロメロになる!お父さんが保障するぞ!」
「……ありがとう、お父さん。私、お嫁に行きます」
「行け。お前の行きたい人の所へ。それがお前の幸せなら迷わず行け!」
「ありがとう、お父さん。お母さんもありがとう、育ててくれて。七さんとの結婚を許してくれて、ありがとう」
百代の声は震えていたが、千代の声も既に震えていた。
お互い、涙を流しそうになる。
だがそこを渚が止めた。
「ほら、二人とも。今泣きそうなのは後に取っておきなさい。特に千代、貴方の一番大切な人のために取っておきなさい」
「お母さん……はい」
「ほら、折角整えた毛並みが乱れる前にハンカチで涙を取りなさい」
そっと差し出された母のハンカチ。
千代はありがたくそれを受け取って、とんとんと叩くように涙を吸い取る。
しっかりと滲みそうになっていた涙を吸い取ったのを確認すると、ハンカチを渚に返す。
「ありがとうお母さん」
「いいのよ。それより、古儀居さんに最高に綺麗な貴方を見せてあげなさい」
「うん。解ったよ、お母さん」
「それが、何よりの結婚する人に贈る最高のプレゼントだからね」
「お母さんも、そうだった?」
「勿論。お父さんに、それ以上にお祖父ちゃん達にね、見てもらいたかったのよ。お嫁に行く私は、こんなに綺麗で幸せですって」
受け取ったハンカチを受け取りながら言う渚に、千代は言葉に詰まる。
「だから千代。私達にも貴女が幸せだって、見せてね」
「……はい、お母さん」
百代の腕をすり抜け、自分とさほど体格の変わらない母を抱きしめる娘。
渚は、何時までも千代は私の子供だとでも言うように、首に腕を廻し頭の髪を手櫛でさらに整える。
「ああ、千代。私は貴女が幸せになってくれてとても嬉しいの。だから」
「だから?」
「何かあったら、すぐ実家に帰ってきなさい」
「大丈夫だよお母さん。七さんはそんな酷い人じゃないよ」
「そういう事じゃないの、ただ貴女に、辛かったらいつでも帰って良い場所がある事を知っていて貰いたかっただけ」
その言葉と共に身体を放した渚は、続けて毛皮のライトグレーの部分を撫ぜてから千代にアドバイスを贈った。
少し身体全体をかしげて、おどけた様子で言ったのだ。
「お母さんはいつでも貴女の味方だから」
「……うん!」
「お、お父さんだって味方だ!いつでも頼れ!」
「うん、うんっ。ありがとう、お父さん、お母さん」
千代は、幸せな子供で、幸せな『お嫁さん』になるのだ。
今日この教会で、七と共に。
そして、少数の友人達が並ぶ礼拝堂で鐘が鳴らされる。
さらにパイプオルガンでシスターが入場曲を弾きはじめ、新婦達の入場だ。
銅鐘や晩英など、呼ばれたのは本当に親しい友人達だ。
そんな人々が、礼拝堂の大扉を開けて入場する新婦2人と、それに付き添う両者の父親達。
粛々とした雰囲気で歩を進め、2人はカーペットの上を歩調を合わせて歩く。
自然、足の長さで大きな違いのある七に、千代が細かく動いてあわせるのだが。
滑稽にも写るその姿を笑う者は1人も居ない。
ベールを被り、静々と進む二人を全員が温かい眼で見ている。
皆、このカップルの新たな一歩を祝福しているのだ。
少し不器用な七と、真っ直ぐで不器用に扱われてもめげない、気にしない千代の1つのけじめ。
本当に、2人力を合わせてこの先の人生を歩むという誓いの場。
それを故意に破壊しようとする者は、この場には居ない。
あの康と真子でさえ神妙にしているのだ。
この結婚が祝福されているのは間違いない。
付き添いの父親達が離れ、神父の前に並んで立つ七と千代。
二人は、毛並みに覆われた手をそっと重ねながら、神父に問われる。
「古儀居 七さん、貴女は蓮紀伊 千代さんを妻とすることを希望しますか?」
「はい、妻にしたいです」
「穏やかなる時にあっても、険しき時にあっても、病気の時も健康の時も、番として生涯愛と誠実を尽くす事を誓いますか?」
「誓います」
よどみなく答える七が握る千代の手に、千代の側から握りこまれる。
緊張している、そう感じた七は安心させるように千代の手を握り返す。
「蓮紀伊 千代さん、貴女は古儀居 七さんを妻とすることを希望しますか?」
「は、はひっ!七さんと、夫婦になりたいです!」
「元気のよろしい返事で結構です。では穏やかなる時も、険しき時も、病気の時も健康の時も、番として生涯愛と誠実を尽くす事を誓いますか?」
「誓います!私が、私が七さんが辛い時助けるんです!」
少し熱い千代の言葉にも、静かに頷いた神父は七と千代に向かって、いや、式場に居る全員に向かって言った。
「私は、新しいこの夫婦の結婚が成立した事を宣言させていただきます。お二人が今我ら一同の前で交わされた誓約を神が認めてくださり、祝福で満たしていただけるように」
そう宣言した神父は、七と千代に指輪の交換を促す。
「それではお二人とも。指輪の交換を」
神父の言葉に、千代は震える指で神父の前の卓においてある指輪を取ろうとする。
その震えを見て、七はそっと千代の手を押さえて言った。
「千代ちゃん、まずは私の指輪を受け取って」
そういうと、するりと置いてある指輪を取り、危なっかしく揺れている千代の手を取る。
しっかりと捉えた手、左手の薬指にそっと嵌める。
「あ……」
「はい千代ちゃん。これでもう貴女は私のお嫁さん。後は私を、千代ちゃんのお嫁さんにして」
にこりと、口の端を持ち上げる笑みを見せた七に、千代は手の震えを止め、大きく息をしてから指輪を取る。
そして、跪くように小さな七の手にうやうやしく結婚指輪を嵌めた。
毛並みにしっかりと跡を残すそのリングは、シンプルなゴールドにダイヤモンドの嵌った指輪。
変わらぬ事を望まれる二人の為の指輪だ。
「七さん。これで貴女は私のお嫁さん、ですね」
「うん。お嫁さんになっちゃった」
2人向かい合い、尻尾を振り舌を出して最高の喜びを露にする七と千代。
特に七のその姿は非常に貴重な物で、次々に七の縁故の者がフラッシュを焚いている。
「指輪の交換を終えましたね。では二人とも、誓いのキスを」
神父に促され、千代は跪いたまま、顔を上げ七からの口付けを待つ。
「ハッピーウェディング、千代ちゃん」
一言呟いた七の言葉はしっかりと千代の耳に届き。
直後にしっかりと鼻先をあわせるキスが交わされた。
今までも何度もキスをした事はあるが、このキスは特別だ。
2人の愛を、心を繋ぐというより、繋ぎ続けるという誓いのキスだから。
今こそお互いに相手を愛し続ける努力をするという契約をするのに等しい。
七と千代は、今こそ恋人を卒業し、互いを伴侶……つまりは、本当に家族に成り始めたのだ。
彼女達なら、きっとうまくやるだろう。
その前途には辛いこともあるかもしれない、哀しいこともあるかもしれない。
だが、今はお互いが居る。
支えあえる愛する人が傍に居る。
だからきっと、大丈夫だ。
神父の前での誓いを終え、参列者の祝福の声の中を歩く二人は言葉を交わす。
それはこれからの2人にとって大切な事だ。
「ねぇ千代ちゃん。私はもうおばさんだけど。お婆ちゃんになっても愛してね」
「七さんこそ、私の事、きちんと愛し続けてくださいね。私、面白いことの1つも言えない人間ですけど」
「大丈夫。千代ちゃんは可愛いから」
「歳をとっても、可愛いでしょうか……?」
「私が言ってるのは性格だよ」
「じゃあ、私も七さんのクールな所が好きだから、お互い様ですね」
「そうだね、これから先もずうっと、2人で幸せを作って行こうね」
「はい。七さんとならいつまでも……」
バージンロードを2人は歩む。
両親達はそれぞれ泣いたり、はしゃいだり、本当に我が事のように喜んだり。
そんな家族を背中に2人は歩む。
幸せの道を。
こうして2人は、幸せに暮らしましたとさ。
今回の話、非常に唐突だと思います。
もっと話を挟むべきだという事も解っています。
例えば千代ちゃんの実家での七さんの紹介とか。
でも今、今書いておかないとこの先書けなくなる。
そんな予感の中書いてしまいました。
そして最終的に言いたい事は、七さんと千代ちゃんは幸せに暮らすのだという事です。
ずっと添い遂げるのです。
二人に子供は出来ませんが、それでも一生寄り添って幸せになる。
これだけは言いたかったのです。




