夏は去り、秋が来る
秋の入り口である9月、まだまだ不意に暖かさが戻る事もあるが、順調に換毛期に向かいつつある、そんなある日。
七は千代とお酒ではなくお茶を飲みながら話していた。
「にしても、今年の夏は色々あったわね」
「そうですね。まず私の告白に始まって……」
「それが済んだら恋人に成って始めての外食ね」
「あ!私忘れませんからね!6月16日は初めての外食記念日!来年もどこか行きましょう!」
「うん。その日に限らず、また二人でどこか行きたいね。味の研究がてら」
「ふふふ、料理の研究なら喫茶店で出せるのじゃないとダメですよ七さん」
「じゃあ、今週の水曜はお昼にパスタ専門店でも行こうか?」
「あ、いいですねぇ。七さんが良かったらぜひぜひ行きましょう」
楽しげに話す二人。
その内容はこの夏に起きた出来事を思い返しての、季節の締めのような話だ。
例えば、それは夏の失恋を経験した少年の話しだったり。
「そういえば千代ちゃん。日之本君が来てもなんにも言わないね」
「言えませんよ。お客様じゃないですか」
「彼女としては、彼女にラブレターを出した男の子って気になる存在じゃない?」
「……まぁ、気にはなりますけど、でもですね……」
「うん?」
「可哀想じゃないですか、もし先に告白してたのが彼の方だったらって考えたら、私、わたしおもわずなきそうに……くぅ~~ん」
「あ、そうなのね。ごめんね千代ちゃん変な事聞いて。良くない話題だったわ」
じんわりとまなじりに涙を浮かべた千代に、七は素直に謝った。
千代の性格を考えれば、彼の失恋にシンクロして彼女が悲しい想いをするなんて、すぐに想像できただろう。
だから七は少し雰囲気を帰る為、あえて大きなイベントだった実家に帰った時の事を話にだす。
「あ、それはそうとさ。実家に帰ったときはありがとうね千代ちゃん。私本当に嬉しかった」
「私は、七さんに頼られて嬉しかったですよ。どんな親御さんなのか、少し垣間見えましたけど、あれが全てじゃないんですよね」
「うん、全てじゃないよ。ただお父さん達は、私が友達を家に連れて行くと、すぐに自分達を構いなさい見たいな感じで」
「ええー、そうなんですか?ちょっとそれは……」
ちょっと引いている千代に、七は頷きながら続ける。
「変だよね。でもそういう人達なの。何時までも根っこが子供っぽいっていうのかな。あの時も多分私に悪いなんて思わないで、おっきな千代ちゃんに遊んでもらいたかっただけだと思う」
「それは余計に性質が悪いですよ。無邪気だって済ませて良い歳じゃないでしょうに」
「そう、かな。あれで会社では二人とも凄く優秀らしいの。面白半分で配置したとしか思えない人員配置で、社員の人が凄い芽を出したり」
「本当ですか?じゃあ人を見る目はあるんですね」
「まぁ、そうじゃなかったら実家の会社はつぶれてるね」
苦笑しながら言う七に、千代はお茶を一注し飲んでから言った。
「潰れて、借金のかたに七さんをお嫁に、なんていわれたら困りますから。上手くやって欲しいですね」
「私、もうそんな借金のかたになるような歳じゃないんだけどな」
「この時代、年齢だけじゃ借金のかたになるかなんて決まらないですよ」
「それもそうか。なにが人の好みに引っかかるかはわらないものね」
75歳の男性が20歳の青年と結婚しても、芸能人でもなければニュースにもならない世界だ。
30代としては若い容姿の七が相手なら、尚更さして問題はないだろう。
「それにしても、借金のかたなんて古式ゆかしい縁談って今でもあるのかな」
「うーん、こればっかりは本人になるか、知り合いにそういう人が居ないと解らないですね」
「だね、無いと良いんだけど」
「ですねぇ」
以前までの七なら解らなかった。
意に沿わぬ相手と添い遂げるという事の意味が。
だが今なら解る、千代が解らせてくれた。
今の七は、千代以外と結婚しろと言われたら絶対に否と言うだろう。
彼女は知ってしまったのだ、本気で愛して、温もりをくれる人の居る喜びを。
七は千代をもう手放したくないと、そう思わされてしまった。
勝ち負けで言うなら完敗だ。
勝負を知らない、知る余裕の無かった人生の32年目に、強烈過ぎる相手と出会ってしまった。
ここまで愛してくれる相手は居なかったし、これからも現れない。
そんな思春期の少女じみた幻想を七は抱いているのだ。
千代は文字通り七を虜にしていた。
虜になっているのは自分だと千代は言うだろう。
しかし確かに七は、千代がそうである以上に、千代に囚われているのだ。
なので、こんな唐突な事も言う。
「千代ちゃん。お互いが借金のかたにされそうな時は、二人で逃げようね」
「え、逃げちゃうんですか?」
「お店と土地を売ってどうにかなるなら、そうしてもいいけど。うちの実家が背負う謝金なんてそれじゃ片付きそうにないし……」
「七さんの家の負債をどうにかできるような人が、私達の事探せないわけ無いですよね」
冷静な千代の一言に、こてんと身を屈めて、七はテーブルの上に頬を当てる。
「たとえ無駄でも逃げようよ。逃げて、逃げて、ずっと逃げてれば追いつかれないよ。一緒に居られるよ」
「七さん……」
「やだもん。私、千代ちゃんと離れるのなて嫌だもん」
ぎゅっと眼をつぶった七の瞼から、ぽろぽろと涙が零れ出る。
それに慌てて席を立った千代は、すぐにテーブルを回り込んで七の傍に行く。
七の近くに寄った千代は優しく七の髪を梳き、背中をなでまわす。
「大丈夫です。私と七さんはずっと幸せに暮らすんです。そんなことにはなりません」
「ほんと?」
「本当です。だからもう泣かないで七さん。こういうの、杞憂っていうんですよ」
泣いている愛しい人を宥める言葉を発した後は、直接触れる。
いまだぽろぽろと流れる涙を、千代は丁寧に舐め取る。
おかげで七の眼の周りの毛並みはしっとりとしてしまった。
しかし、そんな事を気にした様子はなく、七はただ背中と頭を撫でられるに任せている。
そして、千代の言葉を聞くのだ。
「大丈夫です七さん。私達はお互い綺麗なウェディングドレスを着て、幸せな結婚式を挙げるんです」
「……千代ちゃんはタキシードの方が似合うと思うな」
「あ、それちょっと酷いですよ」
「ごめん。やっぱり千代ちゃんもドレスが良いよ。お揃いだね」
「そうです。お揃いです。お揃いのドレスを着て、二人でケーキカットして、家族や友達に祝われて、幸せに成れます」
「うん……ありがとうね、千代ちゃん」
ひんひんと鼻を鳴らす七に、千代は撫でるのをやめ、首筋の毛並みを舌で繕う。
それは犬族の人間にとって最も相手を安心させる為の行動で、子供をあやす時によく用いられる行為だ。
そして、一頻りそれを済ませると、少し笑いながら千代は言った。
「七さんも、子供みたいなところあるんですね」
「……そうだね。なんでかなぁ……千代ちゃんの前だと私、時々子供に戻っちゃうみたい」
「私だけに見せてくれる顔、ですね」
「そうなるかな」
七にここまで言わせる張本人は、その言葉を聞いて七を椅子から持ち上げて抱え込んだ。
基本はお姫様だっこなのだが、横になった七の胸と腹のあたりに鼻先を埋める。
そして言うのだ、愛の言葉を。
「どんなになってもずっと一緒です。大好き、七さん」
「千代ちゃん……私も、私も好き。大好き」
自分の腹に鼻先を突っ込んで臭いを嗅ぐ千代の、三角形の耳と、髪の臭いを七も嗅ごうとする。
お互いが、お互いの臭いを感じたいのだ。
それを嗅げば安心できる。
寄り添っている事をより強く感じさせてくれる。
そんな行為だった。
その夜は、二人ぴったりと密着して寝た。
秋になりかけである事を感じさせる涼しい夜だった。
だがそんな夜で無くとも、二人はお互いの顎を、互いの肩に掛けるように眠っただろう。
なぜなら、二人の内の片割れが寂しそうにしていたから。
たとえそれがどちらだろうと、そのまま放っておきはしないだろう。
二人は恋人なのだから。
おかしいんです。
七さんが重力を使うの……ブリキ頭でもないのに。




