02-2/2--->2/4-Jタワー管理人の憂鬱
2/2 延長戦
その日の午前、管理人はソウたちの部屋を訪れた。ソウもユーメイも十六歳であった。まだ歳若い彼らだけに引越しを任せておくには少々気がかりであった。
管理人が呼び鈴を押そうと人差し指を伸ばしたした時、扉の内側からソウたちの声が聞こえてきた。
「クソっ、しぶといぞこいつ!」
パリンとガラスが割れるような音がする。
「どこに行った」
「ソウ、後ろです!」
「うおりゃああああああ!消え去れいっ!」
管理人は人差し指を引っ込めると踵を返した。
2/3 残り物には何とやら
管理人は何処かからか帰宅したソウを見かけた。近寄り話しかける。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
まず挨拶を交わす。その後、管理人はソウに恐る恐る訊ねる。
「あのー、除霊は、完了しましたよね?」
「まあ、大体は」
「大体?」
「少しくらいは、残っているようなそうでもないような」
「どっちなんですか!」
唐突に管理人は声を荒げた。ソウは若干怯みつつ答える。
「ど、どちらかというと残っている」
「何ですかそれ!」
「安心してください。多分死ぬことは無いですから」
「多分!?」
「起きても精々が騒霊現象や金縛り、あるいは悪夢や軽い幻覚くらいですから」
「盛り沢山じゃないですか!」
「いや、でも、いきなり綺麗さっぱり消すとか無理難題ですよ」
「だけど・・・・・・」
管理人は何か言いかけるが、うまく思い浮かばなかったのか、続く言葉を濁す。
「そりゃあ、危険を取り除くという条件で、色々と安くしてもらってますから。『それっぽいこと』があったら何とかするつもりです。でも、何でもかんでも出来るって訳じゃあないんです。その程度はご容赦していただきたい」
「はあ。そうですね」
管理人はソウの言葉に一応納得した。
「なら何かあった時はお願いします」
「手遅れになっていなければ」
「どういう意味ですか!?」
2/4 右斜め後ろ辺りではないかと
その日、管理人は朝食を摂った後、1301号室を訪れた。呼び鈴を押すと、ユーメイが出てきた。
「こんにちは」
「こんにちは。なにかご用ですか?」
「あの、朝起きたらひどい肩こりと腰痛を感じたのですが」
「そうですか。確かに祟られてますね」
「えっ」
「少しの間、動かないでください」
そう言うとユーメイは管理人の肩と腰を軽くパンパンと叩いた。叩く度にそこから黒い煙がふわりと舞い上がる。怨霊のようなものは管理人には見えなかったが、その黒煙は見えた。
ユーメイが二、三度各部位を叩くと、管理人の肩こりと腰痛はすっかり消えていた。むしろ平素より快調になったようにすら思える。
「どうですか?」
「はい。楽になりました。ありがとうございます」
「いえ、そもそもは、私たちの力が至らなかっただけですから。
ところで、ちょうど渡しておきたいものがあります。そのついでに少しお茶でもしませんか?」
「迷惑ではありませんか?まだ引越しの片づけで忙しいでしょうし」
「いえ、片づけならもう終わりましたし、今は少々手持ち無沙汰です」
「それなら、お邪魔させてもらいます」
管理人はユーメイに続いて奥に進む。部屋の中は綺麗に掃除されていた。
管理人が通されたリビングにはコタツとテレビくらいしか置かれていない。そんなどこか閑散とした部屋でソウがコタツに首許まで潜り込んで寝ていた。
「ソウ、お客様ですよ」
「ん、ああ」
ずるずると這い出るとユーメイと管理人に視線を向ける。
「こんにちは。まあ座ってください」
「こんにちは。それではお言葉に甘えて」
とりあえず、挨拶を交わす。管理人はソウに対面する位置に座る。
「ソウ、昨日言っていた『お守り』を渡しておきませんか?」
「そうだな」
ソウはリビングの端の押入れを開けるとごそごそと漁り、そこから何かを取り出しコタツの上に置く。
「ちょっとした怨念なら何とかなる『お守り』です」
それは半径一センチほどの透明な玉であった。そのガラス玉にしか見えない物体が五個置かれている。
「何かしら『そっち系』の被害があった人に渡してください。大したことの無いやつなら何とかなります」
「ありがとうございます」
管理人はその『お守り』を自分の側に引き寄せる。コタツの上では玉なのでころころと転がって落ち着かない。仕方なくコタツの布団の上に置いておく。
「粗茶ですが」
管理人とソウがやり取りしている間に用意したらしく、ユーメイが人数分の茶と茶菓子をコタツの上に置いた。それから彼女はコタツに入る。
とりあえず管理人は茶を飲んで一息吐く。
しばらく穏やかな沈黙が場に漂っていた。
「あの、だしぬけな話ですが、お二人は除霊の仕事を生業しているんですか?確かまだ、二人とも十六歳だったと思うのですが」
「いえ、除霊うんぬんは副業ですね。確かに生活費の足しになっていますが」
「では、何を?」
「今年の春から二人揃って高校生です。一年遅れですけど」
「そうですか」
怨霊がどうとかで管理人は失念していたが、十六歳の少年少女の多くは高校に通学する。例外はいくらでも存在するが。
そこでふと疑問を感じた管理人は、さして深く意識もせずに口に出していた。
「でも、高校生の男女が同棲すると言うのは・・・・・・」
そこまで言って語尾を濁す。本人同士が同意しているのならば色恋沙汰に関して細かいことを言うべきでないと、管理人は思ったからである。
黙ってしまった管理人に対しソウは気軽な調子で言う。
「まあ、その辺りは大丈夫ですよ。俺た――」
しかし、茶を運んできてから一言も発言していなかったユーメイが、ソウの言葉を遮るようにして言った。
「私たち、結納を済ませていますから」
場の空気が凍った。
「えー、あー、ゆいのう、ユイノウ、YUINOU?」
管理人の言葉遣いがおかしくなっていた。
ソウは管理人ほどではないが驚いた様子でユーメイに言う。
「ちょっと待て、ユーメイ。特に隠すつもりは無いが、あまり簡単に言うべきことではないだろう。しかもこのタイミング。管理人さんが少しばかり壊れているぞ」
その管理人はエクトプラズムをだだ流しにしているような様相で「わけわかんねー、わけわかんねー」と低く呟いている。
ユーメイは穏やかな口調でソウに発言を返す。
「いいではないですか。こういった大切なことはちゃんと言っておいたほうがいいです。それに管理人さんは、人の不利益になるようなことを言いふらすような人ではないでしょう。
付け加えて言うならば、こうやって驚いている管理人さんを見るのも面白いですし」
楽しそうな微笑を浮かべながら、ユーメイは「ごめんなさい」と管理人に謝る。
そこでようやく管理人が混乱の底から復帰した。
「ず、ずいぶんと珍しい人生を送ってきたんですね」
少々遠まわしな表現であるが、思わず管理人の口から本音が漏れた。
「でしょうね」
ソウは軽く相槌を打つ。
「でも珍しいだけで、崇高でも苛酷でもなかったです。まあ、あわや大惨事、くらいはいくつかありましたけど」
「それってかなり大変なことじゃないですか」
「大変ですけど、終わってしまえばただの未遂ですよ。別段、俺の人生が不幸だったわけではないです。多分」
「そんなものですか?」
「そんなもんです」
結局はこうやって会話を継続させているように、管理人はソウとユーメイにすでに馴染んでいた。
実際の所、管理人は極めて適応能力が高いのである。
リアルに怨霊が出没するJタワーの管理人を、何だかんだ怯えつつも三年間やっていたほどの猛者なのだが、本人は全く気がついていない。
追記
ここまでそういった描写が皆無だったために、念のために記しておく。管理人は女性である。
Jタワー管理人、酒井恵。二十代後半にさしかかった彼女に、いまだ春は訪れない。