娘がいったいどのような不敬を働いたというの? 私の耳にもしっかりと届くように教えてくださるかしら?
きらきらと光る星屑を溶かしたような、不思議な夜空が広がる王都の夜会ドレスの海。きらびやかな中心で、愛しい娘のルチアが嘲笑のなかに一人ポツリと立ち尽くしていた。
「ルチア。君との婚約をこの場で破棄させてもらう!」
声を張り上げたのは白い軍服をまとった王太子ミリワン。隣には、あざといまでに可憐な涙を浮かべた男爵令嬢がうっとりするような猫なで声を重ねる。
「ルチア様は、聖女の力を持たない偽物ですわ……おいたわしいけれど、真実を知るべきですのよ」
周囲からは、ひそひそと嘲るようなざわめきが波のように広がっていく。王家を揺るがすスキャンダルに仕立て上げ、無力な娘を社交界から完全につまはじきにする。そんな、あまりにも稚拙で残酷な罠。けれど、二人の悪意に満ちたシナリオはそこまで。
「あらまあ」
静まり返った大広間にふわりと心地よい風とともに、軽やかな足音が響く。誰もが振り返った視線の先には、純白のドレスに身を包んだ国の誰もが名を畏怖と敬愛を込めて呼ぶ伝説の魔導師。かつて闇の魔王を単身で封印し、今はひっそりと暮らしているはずの姿が。
「あ、母さま……」
ルチアが潤んだ瞳を大きく見開いた。私は我が子の元へ、愛しいお花畑を散歩するかのような優雅な足取りで歩み寄る。
「頑張りましたねルチア。あとは、母さまにすべてお任せなさい」
愛おしい娘の頬を撫でてからフウッと小さな息を吐き出し、くるりと王太子殿下の方を振り返った。瞳には魔王をも震え上がらせた、底知れぬ深淵の光。
「ミリワン殿下。うちの可愛いルチアが、いったいどのような不敬を働いたというの?私の耳にも、しっかりと届くように教えてくださるかしら?」
低い、鈴を転がすような声に王太子はごくりと喉を鳴らす。背筋に冷たいものが走ったのだろう彼の顔から、さきほどの傲慢な笑みがみるみるうちに消え去っていた。
「そ、それは……君主国としての義務においてっ」
「うふふ、義務、ですか?」
くすりと笑い、指先を軽く宙に滑らせた瞬間、大広間の天井いっぱいに、きらきらと輝く魔法の光の粒子が幾重にも広がっていく。
たちまち一枚の巨大なスクリーンとなって、王太子と男爵令嬢が密室で交わした、ルチアを陥れるための醜い企みのすべてを音声つきで会場の隅々まで映し出し、響かせた。
『ふっ、聖女崩れを追い出せば我が家の商会も安泰さ』
『ええ、ミリワン様のおかげですわね』
会場が水を打ったように静まり返っていく。王太子は真っ青になり、隣の男爵令嬢はその場にへたり込んで。どうやら彼はうちを共同経営者ではなく、目の上のたんこぶ扱いしていた。
邪魔扱いをしていた末の、今日のめちゃくちゃな押し込みだったのだろう。全く、貴族や契約を軽視して、協力してくれる貴族を切り捨てようなど片腹痛い。
「お遊びにしては少々お粗末ね。娘の純白のドレスを泥で汚そうとした代償、たっぷりと王家の財産と、あなたのその軽い首で支払ってもらおうかしらね」
周囲にふわりと穏やかでありながらも絶対的な重力を持つ魔力が満ちる。誰もが息をひそめ、ただひざまづくことしかできない。全てを片付けたあと、震えるルチアをふんわりと優しい腕の中に強く抱きしめる。
「もう大丈夫よルチア。おうちに帰りましょう。大好きなお母さま特製のハーブティーと、焼き立てのシナモンパイを用意して待っているから」
「……はい、母さま」
ルチアは母の胸に顔をうずめ、こぼれ落ちる涙を拭いながらようやく心からの安堵の笑みを浮かべた。夜風の中、しっかりと手をつなぎ静寂に包まれた夜の庭園へと、温かな魔法の光に導かれながら歩き出す。
王都の庭園は昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、甘い夜風が二人の頬を撫でる。背後で王太子たちがどうなったのか。
そんなことなど、一文の価値もない。手をギュッと握りしめるルチアの小さな手の温もりだけが、現実の愛おしさとして胸に染み込んでいく。
「母さま……本当にごめんなさい。うまく立ち回れなくて……あんなところで恥をかいてしまって……うっ」
うつむいたルチアの長いまつ毛が、月明かりに震えて影を落とす。立ち止まり、ルチアの肩を優しく両手で包み込んで、潤んだ瞳をじっと見つめると。
「謝る必要なんてどこにもないの。ルチアは何も間違っていなかった。ただ、あの人たちがあまりにも愚かで、輝きを妬むほどに視野が狭かっただけ」
「母さま」
「誇り高く美しい私の自慢の娘が、あんな無礼な連中に屈する必要なんてないの。ほら、もっと胸を張って」
ルチアの瞳からぽろりと一粒、大粒の涙がこぼれ落ちる。悔しさの涙ではなく、ずっと張り詰めていた心がほどけたような、安堵の涙。
我慢しきれなくなったように、グッと胸に飛び込んできた。小さく体を震わせながら声を上げて泣き出す。彼女の黄金色の美しい髪を優しく優しく撫で続けた。
「よしよし、よく頑張りました。もう一人で我慢しないで。これからはずっと、母さまがそばにいて守ってあげる」
夜空にきらめく星たちが行く先を祝福するかのように、いつもより少しだけ明るくまたたいている。
「うちに帰りましょう。温かいお茶が、あなたを待ってるわ」
言葉にルチアはこくんと小さくうなずき、顔には先ほどまでの絶望の色はすっかり消え失せている。代わりにほんのりとした温かな笑みが戻った。
きらめく星の光に包まれた転移の魔法陣へと足を踏み入れる。扉が閉ざされた瞬間、背後で退屈で窮屈な社交界は永遠に遠ざかっていく。
ふわりと柔らかな光の粒子が収まったとき、足元に広がっていたのは、大理石の冷たい床ではなく、温もりのある木目が心地よい我が家のリビング。
部屋の中央ではパチパチと薪が心地よい音を立てる暖炉が燃えていて、甘い焼きリンゴとシナモンの香りが鼻腔をくすぐる。ローテーブルの上には、湯気の立つハーブティー。
焼きたてで、サクサクのアップルパイが乗ったお皿が帰りを心待ちにしていたかのように、上品に並ぶ。
「あ、もうある!」
ルチアはほっと大きく息をつきながら、裾の長いドレスの窮屈さをほどくように、ふうわりとソファに腰掛けた表情には王宮で見せた緊張や悲しみの欠片もなさそうだ。
「お疲れ様ルチア。冷めないうちに召し上がれ」
手際よくティーカップに琥珀色のハーブティーを注ぎ、彼女の前にそっと差し出す。
「いただきます……うーん、おいしい……!」
ルチアはカップを両手で包み込む。一口飲んだ瞬間、とろけるような笑顔を浮かべた。カモミールと蜂蜜の優しい甘さが、冷えきった心と体をじんわりと温めてくれたよう。
続いてフォークでアップルパイを小さく切り、口に運ぶと、香ばしいバターの風味と甘酸っぱいリンゴの果汁が口いっぱいに広がる。
「母さまの作るお菓子を食べると、なんだか自分がちっぽけなことで悩んでいたような気がしてきちゃいます」
パイを咀嚼しながら、ルチアはくすりと小さく笑う。横顔を見て、こちら胸の奥も温かな愛おしさで満たされていく。
聖女を嘘つきと断罪した二人の男女の行く末をふと、思い描いてみた。普通に彼らは今の肩書きと地位を甘受し続けることはできないだろう。王や親たち、周りから批判を受けて陽の当たる場所に行こうと、周りの目は厳しく酷く寒い人生を歩むことになるだろ。
「悩むのは悪いことじゃない。でも、一人で抱え込む必要はもうないの。これからは何でも母さまに話しなさい。世界を敵に回してでも、あなたの味方でいてあげるのだから」
「世界を敵に回すなんて母さま、大げさですっ」
「大げさじゃないわ。私にとっては、この世界がどうなろうとルチアの笑顔のほうがずっと大事なんだから」
本気を含ませて微笑むと、ルチアは少し照れくさそうに頬を赤らめ、それから「ふふっ」と声に出して笑う。鈴を転がすような笑い声が夜のログハウスに心地よく響いた。
外では相変わらず冷たい夜風が吹いていたけれど、温かなリビングの中には二人の穏やかな時間と、甘い香りと決して揺るがない絆だけが満ちている。
明日は何をして過ごそうか。穏やかな未来の予定を思い描きながら、幸せな夜のひとときをゆっくりと味わう。
翌朝、窓の外の世界は昨夜の冷たい夜風が嘘のように、どこまでも澄み切った青空に包まれていた。森の木々の葉が朝露に濡れてキラキラと輝き、どこからか小鳥たちの楽しげな歌声が聞こえてきそう。
キッチンに立ち、香ばしいパンケーキを焼きながら、ふとリビングのソファの方に目をやる。ルチアが毛布にくるまりながら、まだスヤスヤと穏やかな寝息を立てて眠っていた。
王宮での一件ですり減らした心が、昨夜の温かい紅茶と安心感でようやく完全に解きほぐされたと思いたい。
「可愛い寝顔。ふふ」
無防備で安らかな寝顔を見ているだけで、胸の奥がキュッと締め付けられるような愛おしさがこみ上げる。音を立てないようにフライパンを火からおろし、用意しておいたふわふわのブランケットをルチアの肩口まで優しくかけ直す。
「よく眠りなさい、可愛いお姫様」
頭をそっと撫でるとルチアはうーんと小さく可愛らしい寝言を漏らし、さらに心地よさそうに身じろぐ。その姿があまりにも愛らしくて、思わずくすりと笑ってしまう。
眠る娘を起こしてしまう前に、少しだけ今日の準備をしておきたい。ルチアは窮屈な王都に戻る必要はないのだ。彼女を縛る意地悪な婚約者も、くだらない社交界のしきたりも存在しない。
娘が本当にやりたかったこと、本当に笑顔になれることだけをして過ごさせる。例えば、ずっと行きたがっていた北方の魔法植物園への小旅行なんてどうかしら。それとも、持っている古い魔導書を一緒に読み解いて、新しい魔法のお菓子を開発するのも楽しそう。
胸を高鳴らせながら、焼き立てのパンケーキにたっぷりのメープルシロップと色鮮やかなベリーを飾り付けた。窓辺からは爽やかな森の風が吹き抜け、新しい一日の始まりを告げる。
目を覚ましたら今日は世界で一番温かくて甘い朝食を、ゆっくりいただきましょうね。
最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。何番煎じな似た話を考えるのが楽しいのでお付き合いくださると嬉しいです。




