35 経験
昼休み。俺は椿との約束通り、昼休みに部室に来ていた。
「今日は来たわね、バカマネ」
「当たり前だ」
「……でも、なんで友梨香も一緒なのよ」
俺の隣には友梨香さんがいた。
「すみません、椿。お邪魔して……」
「いいけど。でも、なんでよ。友梨香と仲良くなったわけ? まさか付き合いだしたとか言わないわよね」
「違うよ。俺は友梨香さんに恋愛を教えてるだけだ」
「は?」
「ごめんなさい、椿。私が大樹マネに無理を言って恋愛を教えてもらってるんです」
「……それって具体的には何してるの?」
「一緒に帰ったり、お昼を食べたりです」
「友梨香さんがそういうのをしたことがないって言うからさ」
俺は椿に説明するが、やはり渋い表情だ。
「あっそう。それはわかったけど……なんでバカマネはそんな面倒なことしてんのよ。断ればいいでしょ?」
「それは俺が勉強を教えてもらったから。それに……」
「それに何よ」
「俺と椿が抱き合ってるところ、見られたろ」
「……そうだったわね」
「あと、教室でキスしてるとき、聞いてたって」
「えっ!?」
椿が目を見開いて友梨香さんを見る。友梨香さんはすまし顔で弁当を食べていた。
「……だから仕方ないだろ。友梨香さんに協力するのは」
「そ、そうね……仕方ないわ。だから、友梨香、あのことは誰にも……」
「言いませんわ」
「そう、ありがと」
「はい。でも、私、あのときすごく衝撃を受けました。いつもはあんなに大樹マネに厳しい椿が甘いことを言ってて……恋愛ってそんなに人を変えてしまうんだって驚きました」
「あ、あれは……」
「椿、大樹マネに甘えてましたよね」
「う……」
「何かうらやましかったです。私はそこまで出来ませんが、恋人のまねごとだけでも大樹マネにやってもらえたらと。そう思って頼んだんです」
「そ、そう……まあ、まねごとなら問題ないわね。バカマネ、しっかりやりなさいよ」
「わ、わかった」
椿も弱みを握られた感じになってしまったし、俺が友梨香さんに恋愛を教えるのを認めざるをえなくなったか。
◇◇◇
放課後になり、レッスンが始まった。今日も椿の檄が飛ぶ。
「スミレ、遅いわよ」
「ごめん!」
「葵、もっと右」
「こうか」
椿は流石だな、と思いながらも今日は友梨香さんに目が行った。なんというか、すごくダンスが可愛らしい。「私の一番可愛いところ」という可愛らしい曲ではあるんだけど、いつもはキャラと違って激しく踊っているのに、今日はかわいらしさを前面に出していた。
曲が終わってみんなが飲み物を飲み出す。熊本ガールズコレクションに向けて、相当ハードなレッスンが続いている。スミレと葵さんは朝練もやってるからかなり疲れているようで部室の隅の椅子に座り込んでいた。元気なのは美桜だ。友梨香さんに話しかけている。
「なんか、今日の友梨香、いつもと違うやん」
「そうですか?」
「自分で気がついてないの? すごくあざとく踊ってるよ」
「あざとくって……」
「確かにね。そういう感じの曲だけど」
椿も同調した。
「そうそう。私の一番可愛いところ見て! って感じ」
「そんなこと思ってませんけど……」
「じゃあ、バカマネのおかげかしらね」
椿が俺を見て言う。
「え!? 俺は何もしてないけど……」
「恋愛を教えてるんでしょ。だから色気が出てきてるんじゃない?」
「そんなことあるかよ」
俺はそう言ったが当の友梨香さんは恥ずかしそうにしている。
「やっぱりそうなんや」
美桜が言った。
「別に何もしてないからな」
「はい……まだハグぐらいしか教えてもらっていません」
「うわあ、それでああなるならもっといろいろ教えてもらえればすごいんやない?」
「そうかもしれません」
友梨香さんが恥ずかしそうに言う。
「もっといろいろって、どこまで教えるのよ、バカマネは」
椿が俺に言った。
「いや、別にそんなに教えるつもりじゃ――」
「そうなんですか?」
友梨香がうるうるとした目で俺を見てくる。
「い、いや……」
俺は返答に困った。
「まあ、いいけど、一線は越えないようにしないと。ほんとの恋愛じゃ無いんだからね」
椿が俺に言った。椿の時も同じだったけどな。まあ、でも友梨香さんと一線を越えるなんてつもりは俺にも無い。
◇◇◇
放課後、今日も友梨香さんが部室に残り、30分だけ勉強を教えてもらう。
残り時間が短くなり、俺は言った。
「じゃあ、そろそろ終わろうか」
「はい……あの……」
「ん? なに? 友梨香さん」
「今日は何を教えていただけるのでしょうか?」
俺が友梨香さんに恋愛を教える件か。でも昨日はハグをしてしまったし、これ以上何か教えるとなるといろいろとまずい。
「逆に友梨香さんは何を教えてもらいたいのかな?」
「それは……キス、とか」
「え!?」
「やっぱりダメですか?」
「そ、それは……」
椿とはしてしまったが、友梨香さんと椿では立場が違う。椿はそれまでにキスの経験があったのだ。
「友梨香さんは今までキスは?」
「もちろん、したことはありません」
「だよね。だったら、俺とするのはやめておいたほうがいいよ。ファーストキスというのは大事なものだ。好きな人としないとダメだから」
椿となし崩し的にしてしまった俺が言うのも説得力は無いけど。
「そ、そうですか……」
「本当に好きな人が現れるまで、とっておいて」
「わ、わかりました。ご忠告ありがとうございます」
友梨香さんは頭を下げた。
それからは部室に鍵を閉め、また2人で帰りだした。だが、空気が重い。俺がキスを断ったからか、友梨香さんは何か沈んだ様子だ。うーん……そうだ!
「友梨香さん、また手をつなぐ?」
「そ、そうですね。よろしくお願いします」
帰り道、友梨香さんはまた俺と手をつないだ。少し明るい表情を取り戻してきた。
「……マスター、カップルというのは帰り道には手をつなぐ、ぐらいしかしないのでしょうか?」
「というと?」
「なにかもっと先があるならやってみたいです」
「うーん、そうだな。あとは腕を組んだりとか――」
「じゃあ、それをお願いします」
友梨香さんは真剣な表情だ。周りを見るとうちの生徒はいない。仕方ないか。
「じゃあ、しようか」
「は、はい! こうでしょうか、マスター」
「う、うん。そんな感じ」
友梨香さんは腕を絡ませてきた。といっても、密着度は低い。ただ、腕がからんでいるだけだ。
「……なにか物足りませんね。手をつなぐ方がドキドキするかも知れません」
「そうなんだ。まあ、カップルならもっと距離が近いだろうし」
「そうですか。こういう感じでしょうか……」
一気に友梨香さんは俺に近づいた。おかげで柔らかいものが俺の腕に当たっている。
「そ、そうだね。でも、さすがにこれはやめようか」
「なぜでしょうか? これは私もすごく楽しく思えるのですが」
そう言ってさらにギュッと胸を当ててくる。
「う……」
「どうされましたか? マスター……」
まさか分かっててやってないよな。
「い、いや……その……」
「まさかマスター、腕を組むのは初めてではありませんよね?」
考えてみたらその通りだ。椿はこういうことはしなかったし、一度美桜に腕に抱きつかれたときにはスミレがすぐに引き離した。でも、恋愛マスターと思われてるし、いまさら経験が無いとは思われたくない。
「もちろん、初めてじゃ無いよ。アハハ」
「では、この感触も味わったことがあると」
「ま、まあね」
ホントは無いけど。
「さすがです、マスター。では私程度ではドキドキされませんよね」
そう言って腕を離した。ふぅ、助かった。だが、友梨香さんは落ち込んでいるようだ。せっかく腕を組んだのに俺が特別な反応をしなかったからだろう。
「いや、でも……すごくいい感じだったよ」
俺は思わず言ってしまう。「いい感じ」って何だよ。
「そうですか。喜んでもらえて良かったです」
友梨香さんは少し笑顔になった。




