34 マスター
放課後、友梨香さんが俺の席に来るかと思ったが、相変わらずすぐに教室を出て行った。椿がいつものように俺の席の近くに来た。
「バカマネ、行くわよ」
「そうだな」
俺たちは部室に向かう。いつものように椿が鍵を開けて俺たちは入った。そのとき、俺はようやく違和感に気がついた。
「あれ? 友梨香さんっていつも俺たちより先に教室を出ているのに部室にはまだ来てないね」
「今さら?」
「ごめん、ようやくおかしいことに気がついた」
「やっぱりバカマネね。本人に聞いてみなさい」
「そ、そうだな……」
椿は教えてくれなかった。他人が言うわけにはいかないようなことなんだろうか。
しばらくすると、美桜が来て、その後に友梨香さんが来た。
「友梨香、よかったわね。バカマネがあんたにようやく興味を持ったわよ」
「え?」
「今までどこ行ってたんだろうって」
「あー、そういうことですか。ちょっとお手洗いに行っていました」
「あ、そうなんだ」
「はい。自分を委員長からベアキャットの友梨香に切り替えるために少し時間がかかるのです。委員長のままここに来たくないので」
「なるほど……」
確かにベアキャットの友梨香と委員長ではまったく違う感じがする。そのために切り替えを必要としているのか。
「でも、私に興味を持ってくださって嬉しいです」
「い、いや……少し気になったものだから」
「そういえばマネ君、お昼は屋上で友梨香と一緒だったもんね」
美桜が口を挟んできた。
「え、そうなの?」
椿が俺をにらんでくる。
「い、いや、その……」
「あれ? なんで椿が怒ってるん? まさかお昼食べる約束してた?」
「約束ってほどじゃ無いけど、今日お昼に打ち合わせしようって言ってたら断ってきたから。まさか友梨香の方を選ぶとはね」
「ち、違うよ」
「何が違うのよ」
まあ友梨香さんを選んだという意味では何も違わないか。
俺が何も言えずに困っているところにスミレと葵が来た。
「ごめん、遅れて。あれ? なんか喧嘩してた?」
スミレが椿の態度を見て言う。
「……何でも無いわ」
「そう。椿が不機嫌そうだけど」
「別に。バカマネと話してたらイライラしただけよ」
「そうなんだ。よくわかんないけど大樹、謝ったら?」
「そ、そうだな。ごめん、椿」
「いいわよ。その代わり、明日の打ち合わせは来るのよ」
「わかってる」
まあ打ち合わせといいながらその実態はほとんど雑談だけどな。
「さ、着替えるからバカマネは外行って」
「おう」
俺はすぐに外に出た。
◇◇◇
「バカマネ、あとはまかせたわよ」
「わかった」
練習が終わり、いつものように椿はすぐに出て行く。最近は前に通っていたダンススクールにまた行っているそうだ。そして、美桜が出て行き、スミレと葵さんも出て行った。
いつもならすぐに出て行く友梨香さんは今日は残っていた。今日はレッスン後のわずかな時間に勉強を教えてもらうのだ。友梨香さんは眼鏡を掛けて髪を結び、制服姿。委員長のモードだ。
机を2人で元に戻し終わると、友梨香さんが言った。
「それでは始めましょうか」
「そうだな」
俺が席に座るとそのすぐ隣に友梨香さんが座った。まあ、横の方が教えやすいか。そう思っていると俺ににじり寄ってくる。
「え?」
「まずはハグから教えてください」
「い、いや、あの……今日は俺の勉強じゃないの?」
そういうとみるみる友梨香さんの顔が赤くなった。
「そ、そうでしたね。私が教えられてばっかりでは申し訳ないです。まずは勉強ですね。じゃあ、始めましょう」
友梨香さんが教科書を取り出す。俺もノートや筆記用具を取り出し、勉強が始まった。
だが、レッスンが終わった後だし、それほど時間は無い。あっという間に終わりの時間が迫った。
「もうすぐ時間だね」
「はい。でも……私の方の勉強が出来ませんでした」
「ごめん、俺の方の勉強ばかりに時間取られてしまって」
「いえ……でも、ハグだけよろしいでしょうか」
「そっちの勉強?」
「はい。もちろん」
友梨香さんは「私、何か変なこと言いました?」という顔で俺を見ている。そうか、友梨香さんが今やりたい勉強は恋愛の方だったな。
「でも、もう時間が無いし……」
「少しだけ、ハグしていただければいいのですが。じゃないと、私、今夜はハグのことばかり考えてしまいそうで……夜に1人で悶々としてしまいそうで……」
友梨香さんが夜に1人で悶々って……想像しないようにしよう。
「わかったよ、友梨香さん。じゃあ、ハグしようか」
「はい。お願いします」
友梨香さんは俺を見つめてきた。
だが、よく考えたら俺は女子とハグしたのは椿としか無い。それも向こうから抱きついてきただけだ。自分からハグしたことは一度も無かった。でも、友梨香さんはハグされようと待っている。俺のことを恋愛マスターと思ってるし、ここは行かないわけにはいかないか。俺はハグを待っている友梨香さんを抱きしめた。
「う……」
「ごめん、苦しかった?」
「いえ……マスターにこんなに接近したのは初めてなので……マスターの空気に包まれて……なんかすごいです」
「そう……」
「はい、ハグってすごいですね。椿がやっていた意味が分かった気がします」
「そ、そうか……でも、もう行かないと」
俺は友梨香を離した。
「マスター……お手数をおかけしてすみませんでした」
友梨香は頭を下げた。
「い、いや……別にいいから」
「いいんですか? じゃあ、またお願いしたいです」
「え!?」
「ダメでしたか?」
友梨香は泣きそうな顔で俺を見る。
「い、いや……いいよ。今は恋愛の学習期間中だからね」
ギブ&テイクだから仕方ない。試験のためだ。俺は自分に言い聞かせた。
「ありがとうございます。じゃあ、行きましょう」
俺たちは鍵を閉め、職員室に返すと俺と友梨香さんは校舎を出た。
「男子と二人で帰るの初めてです」
友梨香さんが言う。
「そうなんだ。でも、一緒に帰ろうとする男子はいたんじゃないの?」
「はい、いましたけど、そのたびにご遠慮していただいたので」
「でも、俺はいいの?」
「当然です。マスターにはいろいろ教えていただきたいので」
「そ、そう……」
「あの……教えていただきたいんですけど」
「なに?」
「恋人同士が一緒に帰るというのはただ横に並んで歩くだけなのでしょうか?」
「そうだなあ。手をつないだり、腕を組んだりとかはするかな」
「そうですか。では私もやってみたいです」
「え?」
「まずは手をつないでみたいです」
「そ、そうか……わかったよ。手をつなごうか」
「はい」
俺と友梨香さんは手をつなぎ歩き出した。
「なるほど……これは確かに照れますね。恋人じゃ無ければ難しそうです」
友梨香が言う。
「だよね。じゃあ、そろそろやめようか」
「嫌です」
「は?」
「……少し恥ずかしいですが、でも、楽しさの方が勝ってますので」
「そ、そう……」
「マスターと繋がっている感じがします」
友梨香さんは嬉しそうな表情を浮かべた。
「それならよかった。でも、友梨香さんの帰りの道はどっちなの?」
「私はバスセンターの駐車場に迎えの車が来ますので」
「そうなんだ。じゃあ、そっちに行こうか」
俺たちは手をつないだままバスセンターに向かった。だが、近づくにつれうちの生徒が多くなってきた。知り合いはいないようだが、まずいな。
「友梨香さん、そろそろ手を離そうか」
「嫌です」
「でも、見られるぞ」
「別にいいですよ」
「いや、誤解されるって。俺と付き合ってるなんて噂が流れたら友梨香さんが困るだろ」
「別に困りませんけど……スミレが怒りますよね。分かりました」
ようやく友梨香さんは手を離した。
エレベータの前まで行くと「じゃあ、私はこれで」と友梨香さんが言う。
「うん、また明日ね」
「はい……今日はマスターのことを考えながら寝ますね」
「え?」
「恋人同士ってそういうものでは無いのでしょうか?」
「ま、まあ、そういうものかもね」
「ですよね。だからマスターのことを考えながら寝ます。マスターも私のことを考えて寝てください」
「わ、わかった」
「では、また。明日。ごきげんよう」
友梨香さんはお辞儀をしてエレベーターに乗っていった。




