第4話 世界を救うより難しいのは、人に褒められることでした
夕方の病棟は、ひと息ついたように静かだった。
ナースステーションで記録をしていたとき、
患者家族の一人が俺に声をかけてきた。
「今日も本当にありがとうございました」
深々と頭を下げられる。
俺はとっさに笑顔を作る――ただの、愛想笑いだ。
「いえ、どうも……」
だが、いつもの愛想笑いとは違う。
昨日のエンフィーの言葉が頭をよぎり複雑な心境であった。
その場に長くは立っていられず、軽く会釈して離れた。
「あ、間くん」
看護師長が後ろから声をかけてきた。
いつもの落ち着いた表情だが、今日は少しだけ柔らかい気配がした。
「さっきのご家族、あなたの対応にすごく感謝してたわよ。
よく頑張ってくれたわね」
「……はぁ。あの…どういう意味ですか?」
自分でも驚くほど、すぐに口が動いた。
看護師長の眉が一瞬だけ止まり、わずかに困った笑みを浮かべる。
「えっと……そのままの意味よ。
別に、深い意味は……」
「あ、いや……すみません。
聞かない方がよかったですね」
言った瞬間、空気がきゅっと固まった。
看護師長は「いえ」とだけ言って去っていく。
あぁ、やってしまった。
褒められても素直に受け取れない自分。
聞く必要のないことを聞き、自分で空気を悪くする自分。
そんな自分に気付けば気付くほど、胸の奥の自己肯定感が、
じわじわと削られていくようだった。
帰り道は自然ととぼとぼとした足取りになる。
(……はぁ。もう、見てらんないわね)
彼の少し上からエンフィーは眺めていた。
そして、羽を光らせた。
その瞬間、倫太郎の頭上で物音がした。
「うわっ!? おい待っ……!」
彼を目掛け落ちてきたものは小ぶりながらも、当たればただでは済まなそうな植木鉢であった。
パリーン!!
植木鉢は倫太郎のすぐ隣で砕け散った。
「危なかった…」
倫太郎は辺りを見渡す
「エンフィー、いるんだろ?」
目の前にふわりと舞い降りるエンフィー
「残念、倫太郎元気なかったから励まそうと思ったの。
元気出た?」
「お前の励まし方、間違ってるって……」
あっけらかんとしているエンフィーに怒る気力もない倫太郎
「でも……今日のこと、そんなに気にしてるの?」
「……分からない。褒められるのも、喜ばれるのも……
どう受け取っていいのか、よく分からない」
言葉にしてみても、やはり整理できていない。
「もぅ、あんたって本当に…」
エンフィーは何か言いかけ、ふいに声を止めた。
ぱっと視界の端で光が弾け、エンフィーの姿が霧のように薄まる。
誰かが来たので隠れたようだ。
「あれ? すみません、もしかして……」
振り返ると、数日前に退院したばかりの患者が立っていた。
スーツ姿で手にはビジネスバッグ。
どう見ても営業中のサラリーマンと分かる。
「あ、やっぱり! 前に担当してくれた……」
「あ、どうも……お疲れさまです」
「いま、なんか……変な光が見えたような?」
「え? いや、車のライトの反射じゃないですかね、たぶん」
ごまかすと、相手は首を傾げつつも話を続けた。
「実はあなたに会うことがあったら
どうしても伝えいことがあって。
入院してたとき、
あなたが一番話を聞いてくれて感謝してたんです」
「えっ、俺が?」
「はい。最初は病気のことで気が荒れてて……
恥ずかしい話ですけど、自暴自棄にもなってました。
でもあなたが支えてくれたおかげで、
治療もちゃんと受けられました」
目の前の言葉は夜勤明けの頭にもしっかりと響く。
「今は闘病しながらですけど、仕事にも戻れて……
やっと、前を向ける気がしてます。
本当に、ありがとうございました」
「いや、その……俺なんか、そんな大したことは……」
完全に動揺しているのが自分でも分かる。
照れくささと嬉しさと、うまく飲み込めない感情がごちゃ混ぜになって、言葉が追いつかない。
患者はそんな俺を見て、柔らかく笑った。
「もっと胸張って、堂々としてたらいいと思いますよ。
あなたなら、きっとその方が似合います」
そう言い残し、手を振って去っていく。
胸の奥が少しだけ暖かく感じた。
「…ほらね?」
背後で羽音が戻り、エンフィーが姿を現す。
「あたしの言った通りでしょ?」
エンフィーは何故か嬉しそうにニヤニヤしている。
その背中の羽は、ほんのかすかな金色を帯びて、静かに光っていた。
小さな祝福のように。
第4話を読んでいただきありがとうございます。
この先の展開も楽しんでいただけると嬉しいです。
第5話は12/1の13時に公開予定です。




