最終話 Remainer
――暗闇。
鼓動も、感覚もない虚無の中で、ただ胸の圧迫感だけが倫太郎を包んでいた。
(ああ……ここ、病院か。というか……俺、死んだのか。)
倫太郎の途切れそうな命を引き戻すために必死の心臓マッサージが続いていた。
モニターの波形は途切れ、無機質な警告音が響き続ける。
その一方で…
◇
異世界ヴェルグレイス
神殿の大扉が砕け散り、黒い風が吹き抜ける。
魔王がついにアリアとエンフィーの前へ姿を見せていた。
既に多くの天使も妖精も戦える状態にはなかった。
残るのはこの二人だけ。
空間ごと削るかのような魔力。呼吸すら痛い。
少しの間、魔王は何かを思うようにアリアを見つめた。
そして、口を開く。
「転送装置は、この奥か?」
静かに問う魔王、アリアは唇を噛みながら睨み返す。
「やっぱりあなたの狙いはアレだったのね。
でも、あなたが破壊しなくても勇者はもうこないわ」
「それは諜報より聞いている。
確かに…会ってみたかったものだ」
魔王の声は揺らがない。
怒りも焦りもなく、ただ目的だけがある。
「だが、それはもうどうでもいい。
俺は奴らの元に行ければいい」
「奴ら……?
もしかして 『上位存在 』のこと!?
どうしてあなたが…!?」
「アリア様、何なのよ奴らって!?」
エンフィーが叫ぶが、アリアは魔王から視線を離せず、その声は届かない。
しかし魔王はゆっくりと打ち明ける。
「昔、一度会ったことがある。
俺がこの世界に転生した時、あいつらは言葉ではなく、
意志と力を俺の中に送り込んだ。
その中に……あいつらの記憶の欠片があった」
「あなたが……転生者……!?
まさか――あなたが伝説の勇者……!?」
「記録に残らぬ元勇者…だ。
だが、それもどうでもいい。俺は転生装置に用がある。
俺の中にある上位存在の力と情報、
それに転送装置があれば…不可能ではない」
「させないわ!!」
「でもアリア様、こいつ、マジでやばいよ!?
もうあたしたち以外、戦える奴なんて…!」
絶望が近づいていた。
◇
倫太郎 深層心理
倫太郎の意識は闇に浮かんでいた。
人生を思い返す。
何も誇れるものがなく、
人に認められもせず、
流されるように生きてきた。
唯一の変化は、エンフィーとの出会いだった。
初めて人に必要とされ、初めて誰かのために動きたいと思った。
だが…ここで終わる。
ここで死ぬ。
「……なんだよ、それ。
結局俺、何もできなかったじゃないか。
やっぱり俺には……価値なんて……ない…」
ピーーーーーーー……
心電図がフラットを示す。
そしてその瞬間、闇が破れた。
「……え? 光……?」
眩い何かが倫太郎の深層意識へと流れ込む。
…『上位存在』の意志。
◇
異世界ヴェルグレイス ―― 神殿
アリアとエンフィーは倒れ、血に濡れていた。
魔王が静かに手を掲げる。
「終わりだ」
「アリア様!!」
「くっ……!」
その刹那――
世界は白光に染まった。
光が消えた中心に、一人の男が立っていた。
「……え? ここどこ?」
倫太郎の姿であった。
「そ、そんな…どうして彼が!?
転送装置は作動したないはず。
たがらの転生の儀式も起きないはずなのに……
……彼らの意志が動いたというの!?」
倫太郎は辺りを見渡す
「魔王っぽい人に……女神っぽい人……
それに…エンフィー!?」
倫太郎はボロボロのエンフィーへ駆け寄った。
「大丈夫か!? なんだよこれ、ボロボロじゃないか!」
「り、倫太郎……あんたがここにいるってことは……」
「やっぱりか。ここが……ヴェルグレイスなんだな」
エンフィーは泣きながら胸元を握りしめる。
「目標持って生きろって言ったのに……
何で死んじゃうんだよ……バカ……」
「ごめんな。やっぱ俺……ほんとに役立たずだったわ……」
倫太郎の胸の奥で、後悔と未練が渦巻く。
しかし、その感情を無視するかのように魔王が口を開く。
「貴様が奴らに選ばれし勇者か。
なるほど…よく似ている…哀れなくらいに」
「え?」
倫太郎は魔王に目を向ける
「……同情すらする。
だが、お前を殺すことも奴らへの否定となるだろう」
「倫太郎…逃げて!!」
泣きながらも自分を心配するエンフィーを見て、後悔や未練は覚悟に変わる。
倫太郎は優しく笑う。
そして、彼女の髪を軽く撫でる。
「安心しろ。なんとかしてやる」
「え?」
「…だって俺、勇者なんだろ?」
倫太郎はゆっくりと立ち上がり、魔王を見据えた。
その姿に頼もしさすら感じるが、申し訳なさそうに水をさすエンフィー
「あ、あの…ごめんね倫太郎?
あんたもう普通の人間だし、大した力はないよ?」
「…へ?…まじ?」
倫太郎のキメ顔が間抜けに歪む。
だが魔王に慈悲はない。
「圧倒的な力で消し飛ばしてくれるわ!!」
魔王が全力魔力を放つ。
空間が焼け、神殿が揺れ、爆炎が倫太郎を飲み込む。
「倫太郎ぉぉ!!」
エンフィーの叫びは轟音に掻き消される。
爆発音が弱まる中、呟くような声
「圧倒的な力ねぇ…」
激しい土煙が少しずつ晴れていき、
その中心から現れたのは無傷の倫太郎だった。
「……で、それだけ?」
その場にいる全員、事態を理解できず騒然となる。
「ば、ばかな!!何故死なぬ!!」
「な、何!?どーいうこと!?!?」
アリアは手鏡を開き、現実世界の倫太郎を見る。
そこには救命処置を受ける倫太郎の姿。
「こ、これは……!」
「アリア様!?なにそれ!」
エンフィーがアリアの元に近付き覗き込む。
「し、死者蘇生の……失われた禁術……!」
アリアは小さく息を呑む。
「倫太郎は死の間際、おそらく自問自答を続け
自己の価値をゼロまで落としてしまった。
本来なら思考は死と共に止まる……
でも彼はまだ死んでない。でも生きてもいない」
「…前に倫太郎の言ってた、半分死んでる状態…!」
「生きているから意志を持ち、
死んでいるから自分の価値を永遠に下げ続けている……
つまり今の彼の力は……無限大…!」
倫太郎は自分の手を見つめる。
「俺、喧嘩とかしたことないけど……
こういう時、多分アニメとかなら…」
拳を握りしめる
「こうだよな!」
「ま、まさか!!」
エンフィーは予感する、いやエンフィーには分かった。
「くらえ!!
シャイニング!
オーバー!!
ドラーイブ!!!」
「やっぱりだったー!!」
突き出した右手から放たれる光が神殿全体を貫き、
魔王を飲み込んだ。
「ぐあああああああ!!」
空気が震え、世界が沈黙する。
◇
しばらくの間の静寂。
その静寂を破るように歓喜とも叫びともいえない声が倫太郎へと向けられた。
「ゆ゛う゛じ ゃ゛ざ ま゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
少女のように泣き崩れ座り込むアリア。
「り゛ん゛だ ろ゛お゛お゛お゛〜!!」
エンフィーはぼたぼた涙と鼻水をたらし抱きついてくる。
「やめろぉ!鼻水!鼻水!」
彼らがじゃれあっているその時、
倫太郎の頭上に光が降りた。
「これは……?」
呼吸を整えるアリア
「ぐすっ…どうやら現世でのあなたが……
復活しつつあるようですね…」
「ほんと!?
倫太郎死なないの!?」
「ええ。……ただし」
アリアは静かに言う。
「本来、上位存在を認知できる者は限られています。
この世界では私だけ。
魔王という例外もあったけど…」
「また出た…
アリア様、何なんですか、その上位存在って?」
アリアは空を見上げる
「このヴェルグレイスを含む全ての世界を監視している存在。 女神として彼らに生み出された私にすら、
あれの本質は視えない。
触れることも、問うことも許されていない。
ただ、存在だけがある」
「なんかよく分からないけど、宇宙みたいな感じだな」
「…そうですね、その解釈は案外正しいかもしれません。
触れられても、掴めない。見えていても、理解できない。
壮大で、恐ろしい…
そして彼らは異世界間における干渉には厳しい判断を下す」
「要する、どういうこと?」
「倫太郎、おそらく現世に戻ったら
あなたの記憶は消去されるでしょう」
「……そうか」
エンフィーはアリアの陰に隠れ、ぐすっと鼻を鳴らす。
「泣いてんのかよ、らしくねぇな、お前……」
「だって……」
アリアの後ろからは、鼻をすする音が聞こえる。
「ふふ、エンフィーったら、よっぽど彼のこと…」
「…っ!!」
慌てて飛び出すエンフィー
「ち、違う、違うってばアリア様!!」
「ははは、なんか、急にお前らしくなったな!」
「あぁ、もぅ、このバカぁ!」
倫太郎の胸に突進しポカポカと叩くエンフィー
しばらくすると、その手は止まり、ぎゅっと倫太郎の胸元を掴む
「…頑張れよ…絶対死ぬなよ!!」
「…ありがとな。
…記憶は消えるかもしれないけどさ。
お前にもらった 生きる目標だけは…絶対消えないから」
「倫太郎……!」
世界が光に包まれていく。
「じゃあな、エンフィー!!」
「……バイバイ、倫太郎!!」
◇
数日後。
倫太郎は病室で窓の外の空を見ていた。
面会に訪れたのは、彼が助けた子どもとその母親だった。
「本当に……本当にありがとうございました……!」
母は何度も頭を下げた。
子どもは目を輝かせて言った。
「お兄ちゃんありがとう!看護師ってかっこいいんだね!
ぼくも誰かを守る人になる!」
「はは……でも、トラックに飛び込むのはナシな」
倫太郎は柔らかく笑った。
窓の外には澄んだ青空。
その中を一枚の羽根が光りながら舞い落ちる。
◇
ヴェルグレイス・光の泉
「アリア様、結局 projectR の “R” って何だったんですか?」
「そうね…」
アリアは少しの間を置き物思いにふけるように答える。
「…『Remain』
本当は この世界を残すって意味だったのだけど」
「けど?」
「今は別の意味も含んでるわ」
アリアが空へ視線を向ける。
その瞳には、確かにひとつの光が残っていた。
ーーー
神殿の残光が消えていく。
闇に沈む世界に、現世を歩く一人の青年の影が重なる。
彼は勇者ではない。
特別な人間でもない。
それでも…
その場所に、留まり続けた。
死にたくない。
それが生きる理由だった。
でも今は違う。
大切なものができた。
生きる目標ができた。
そして…
確かに、何かを残した。
⸻
Remainer ―― 完
Remainer を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
この作品の出発点は、異世界転生ものへのアンチテーゼそんな、ちょっとひねくれた思いつきでした。
最初は完全にギャグ路線で、定番への皮肉を楽しむだけのつもりだったのですが、世界観やキャラクターを形作っていくうちに、物語を笑いだけで終わらせるのは惜しいと感じるようになりました。
執筆自体が初めてだったこともあり、至らない点は多かったと思いますが、それでもここまで書き切れたのは読んでくださった皆さまのおかげです。
次回作も近日中に投稿予定です。今作のRemainerでテンポを優先したため省いた設定の補完を行いつつ、とあるキャラクターに焦点を当てた物語になります。
それとは別に長編作品も制作中です。そちらも形になり次第、皆さまにお届けできればと思います。
んご。




