03・要説明、要寝床
森の中を歩く時は何かしらの音を立てて進むべきだ、と聞いたことがある。熊避けの鈴とかラジオとかで、近付いてますから逃げてね、と野生動物のみなさんに教えるんだとか。遭遇しない限り襲われることはないし、音を立ててたら蛇も熊も逃げてくれる――らしい。本当だろうか。疑わしい。
太陽は地平線に差し掛かり、空を見上げれば橙色に染まっている。そうするともう二時間は歩いたことになるんだろうか? 猛獣が倒れたあと気付けば寝てたらしく、起きた時は既に三時を回ったくらいの空だった。あそこで一晩明かして明日から動いても良かったのかもしれない。でも私の脳内には崖から遠吠えする狼のイメージが浮かんで、あの場にいたらまた何かしらに襲われそうな気がして離れることにした。
ロングスカートと膝丈の靴下、そしてスパッツ――この三つは私の救世主だ。葉っぱで脚の皮膚を切ることがないからとっても安心できる。傘を振り回しながら残酷な天使のテーゼを歌い傷だらけのツバサを歌い、おジャ魔女の歴代エンディングを順番にさらいつつ森の中を分け入る。大声で歌っているおかげか今のところ『野獣さんと(望まぬ)エンカウント』というのは回避されてる。
「ナゾナゾ、みたいに、地球儀を解き明かしたら」
某神様な女子高生とそれに巻き込まれる実名の出ない青年のアニメの歌をノリノリで歌ってると、私のまあまあ良い聴覚がドッドッドッドッド……という音を聞きつけた。口を閉じて音源を探す。左側だ。
制カバンの持ち手を肩にかけて、走るように進んだ。森で迷ったら下流に行けって本で読んだことがある。やっと見つけた川につい歩く速度が速まる。
「――あ」
森がひらけて小規模な滝が飛び込んできた。水は透き通り砂利が一つ一つまではっきり見え、魚も悠々と泳いでる。釣りなんてしたことがないから魚釣りは無理っぽい。
一応ペットボトルにお茶が入ってはいるけど飲み水は確保しておいた方が良いだろう。水道水に慣れた私みたいなのがいきなり生水なんて飲んだら腹を壊すに違いない、煮沸してろ過するべきだと思う――んだけど、鍋もなけりゃ火もない。食料としてあるのはおやつのつもりで持ってた飴とアスパラガスクッキー、お弁当、お茶。ご飯以外にはタオル、ハンカチ、教科書ノート筆記用具、ホッチキスや鋏の入った道具入れ、読みかけの小説。
太陽の光はもう橙を越して赤く染まっている。森の中で野宿する時は、野犬とかに襲われないため焚き火をするべきだと、どっかの本で読んだ気がする。さて、火種をどうしよう。
「まず薪やんな……そこらへんにたくさん落ちとったっけ」
ここに来るまでの間、枯れ枝がそこかしこに落ちていた気がする。先ずはそれを拾い集めた方が良いよね。火種のことは後から悩めば良いんだ。
荷物を置いて森に引き返す。親指ほどの太さの枝がさあ拾え! とばかりに落ちてたから、すぐに抱えるほど集めることができた。これだけじゃ足りないのは分かるんだけど、もう太陽が沈みそうだ。早く引き返さなくちゃ。
授業中のラキガキに使ってたルーズリーフを五枚ほど捻って棒状にした。さあ、火種について悩む時が来たのだ。着火剤があってもライターがなくちゃ意味がないようなもんだ、火の点きやすい紙があったって火がなくちゃ燃えるわけがない。
「燃えへんかな……」
ルーズリーフを手に、ため息を吐きながらつい呟いた。言っただけで燃えたら江戸の華はもっと頻繁だったよね。
でも。ジジ……という音を立ててルーズリーフの先端が燃え始めた。レンズの実験をしたわけでもライターで火を点けたわけでもないのに。
「も、燃え……た?」
だんだんと火がルーズリーフを侵食していくのを見て、慌てて放り投げる。あのまま持ってたら火傷するところだった。舐めるような火がルーズリーフを灰にしていくのを呆然と見つめる。アレは、私が『燃えろ』と言ったから燃えたんじゃないか? ルーズリーフが自然発火するはずがない。私が燃えて欲しいと言った瞬間燃えだすなんてタイムリーな。
そういえば、考えないようにしていたけど、あの猛獣が木に叩きつけられた時も私は『来るな』と言わなかったか。あの風はまるで、猛獣を私に近づけさせないために吹いたようじゃないか?
まさかと決めつけて知らんぷりしてしまうには、この森の中は怖すぎる。歌いながら歩いたのだって、半ばヤケクソだったんだ。もし私が自分の身を守れる力を持ってるなら把握しておくべきだと思う。ルーズリーフを一個取り、言う。
「燃えろ」
果たしてルーズリーフは燃えだした。その火種を枯れ枝を組んだ下に差し込む。じっと待ってると枝にも火が燃え移り赤々とした炎が上がった。
「なんつーファンタジーや……」
三角座りして膝を抱える。認めなくちゃいけない――ここは日本でも外国でもない、異世界だと。