17・日本人の心と言います
くどいけど言おう、この地域には入浴の習慣がなかった。つまり悲しいことにお風呂がないのだ。日々臭くなっていく(気がする)と思うと泣き叫びたくなる。私はまだアレの仲間入りなんてしたくないよ!
「おばちゃん、遊びに行ってきます」
「はいよ、行ってらっしゃい」
今日は日曜日でパン屋は休みだ。私特製ピザパンも今日は製造休止、外に遊びに行って良いよと言われた私ははりきって外出の用意をしたのだ。
パン屋兼住宅を出て門を目指す。今日は外に出て、川で体を洗うのだ。そのために垢すり代わりの麻布タオルも持ったし着替えもカバンの中だ。エメレンジャーは肩に乗ったりポケットにカンガルーの赤ちゃんしたりとび跳ねながらついて来たりして、まるで皆は私のボディーガードのよう――なんて言うはずがない。保母さんの気分というか、うん。
いったん立ち止まり周囲を見回した。パン屋は中央通りにあり、便利な場所にあることは確かだ。店の前の道をまっすぐ砦の中心へ向かえば城主の屋敷があるんだから。でもだからと言って私がお屋敷まで行ったことがあるかというと話は別で、普段はずっとパン屋で総菜パンを作るのに精を出しているとなれば覚えるのはパン屋からマサキさんの仕事場である砦の門への道順のみだ。街並みはヨーロッパ風、どの国が一番近いかと言えばドイツあたりだろうか? グリム童話の挿絵に似てるし。
城下町を囲む城壁は高く、今は平和だけどこの城が建てられた時はきっと危険だったんだろうなと思う。平和で良かった。私は衛兵さんことマサキさんに声をかける。
「マサキさんお疲れ様でーす」
「ああ、ナカコちゃんはまた探検かい?」
「はい。川に行ってきます」
「うん分かった。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
マサキさんは――日本人から見たら三十代に見える――今年二十歳になったばかりの青年だ。マリさんとヨシキさんの息子だとか。なかなか理知的な顔をした青年で、日記をつけののが趣味だとか。中世っぽいのにと思ったら、昔降臨された勝利の女神様の方針でこの国は識字率がほぼ百パーセントだと言う。――絶対異世界トリッパーだろ。
ただ、この世界にたどり着いたのは小学生だったんだろうか? 書かれてる文章はひらがなのみで漢字はない。あまりの読みにくさに、ハングルか貴様は! とか思ったのは仕方ないと思う。
ところで、私が今までにも異世界トリッパーがいたと確信している理由は『言葉が通じること』だ。国が違えば言葉が違うのが当然、ましてや世界なら異なっていて当たり前のはず。
また、カレンダーを見て週は七日、一か月は四週間前後、年は十二カ月だと知った。前の世界とあまりに同じ過ぎる。昔のワンマン帝政時代の王の我儘で元々ほぼ三十日ずつだった月を変えちゃったという経緯がある西暦と、どういった歴史があるのかは知らないけどこっちはこっちで独自の発展を遂げただろうこの世界の暦が一緒のはずがないのだ。
これはつまり私のいた世界から文化の流出があったということで、私のような人間がいままでにも何人かいたという事実を示している。
たとえばただカレンダーが流れ着いたとしても使い方が分かる人間がいないとただの裏紙の束だし、日本語で書かれた本があったとしても漢字仮名が読めなくちゃただの記号の羅列に過ぎない。
「ひゃっほー!」
しばらく歩くと流れの緩やかな――つい数日前まで並行して歩いてた河に着く。服をポンポンと脱ぎ河に飛び込んだ。
汗が流されていく気がする。うう、嬉しすぎて泣きそう。
「あー、でもこれがお湯やったらもっと良かってんやけどなぁ」
ミズキちゃん達がシンクロナイズドスイミングをしてる横で呟けば、金ちゃんとひーちゃんがお湯沸かせるよと主張しだした。
そう。私がどうやって煮沸した水を手に入れられてたかというと金ちゃんとひーちゃんによるものが大きい。金ちゃんに薬缶もどきになってもらい、それをひーちゃんが沸かしたのだ。あれは助かった。
「え、でも私が入るなったらドラム缶位の大きさ必要やし、多い水の分火力もいるで?」
『金ちゃん出来るもん!』
『大丈夫、薪があれば』
信じて薪を大量に集め、金ちゃんに変身してもらった。金ちゃんズは合体変身してドラム缶っぽいのになり、そこにミズキちゃんにお願いして水を張ってひーちゃんが沸かした。
「か、感動や……! 感動した! 偉い、金ちゃん!」
『えへへー、金ちゃん良い子ー』
「そうや、金ちゃん偉い! もちろんひーちゃんもミズキちゃんも偉い! ツッ君も凄いで?」
ツッ君にはドラム缶を支える竃を作ってもらったから。
『シロちゃんは?』
「…………」
何も言えなかった。
半月以上入れなかったお風呂は、感動のあまり涙が出るくらい気持ち良かったです。
「いつか大浴場で」と「臭い対策」が当面のナカコの目標。
とても切実。
11/12加筆