ep.06
当てもなくこの街をさ迷い歩くなんて無駄なことはしたくない。『情報屋』のプライド──なんてくだらないものではなく、理由はもっとシンプルだ。疲れる。
とはいえ、このままではそうするしかないというのも事実。紅々縷がカメラを避けているのであれば、監視網はほぼ意味をなさない。対象を切り替えて高瀬を探すのもひとつの手だが、人ごみに紛れてしまいそうな凡庸な女を映像の中から探すというのも面倒くさい。
『物臭なこと言ってたら、いつまで経っても見つからないと思うんですけどぉ』
イヤホン越しに不服そうな恭の声がする。
「仕方ないでしょ。聞き込みなんてしたところで、対象が動き回っているんじゃいたちごっこだ。そんな疲れることしたくない」
『じゃあ、どうするんですか?』
「情報を撒く」
スマホを取り出して、事前に作っておいた複数のアカウントを開く。短い一文を打ち込み、送信する。あとは、時間の問題だ。噂好きの人間たちが、好きなように拾って話を広めてくれる。
──噂話の真偽なんて気にせず、妙に饒舌になるんだから、本当、人間ってくだらない。
SNSで見かける噂やニュースは、どこか遠い場所での出来事のように捉えられる。だからこそ、誰もが好きに噂を口にする。言葉の形が変わり、誰の発信かもわからないように、自然な世間話に紛れ込むことだろう。
下準備としてはこれくらいだろう。
問題は、どこに誘き出すかだったわけだけど……紅々縷が高瀬の命を狙っているだろうということを考えると、人目のないところがいいだろう。かつ、是永美咲がいても不自然じゃない場所──仮に噂に違和感を抱いたところで、ターゲットのふたりが気にするとも思えないけれども。
紅々縷は情報の真偽を気にしないだろうし、高瀬は裏社会のことなんて毛の先ほども知らない一般人だ。これまでの相手に比べたら、誘い出すこと自体はなにも難しくない。
問題は、その先だ。俺も恭も、実戦向きじゃない。万一、紅々縷と戦り合うことになったら、圧倒的にこちらの分が悪い。しかも、お荷物である高瀬を庇いながらとなると、なおさらだ。
高瀬沙織を三兎月紅々縷に殺させない──ではなく、その事実を是永美咲から隠すという依頼であればよかったのに。情報を操るだけのほうが余程気が楽だ。それが、改竄や捏造と言われるものであっても。
最悪、そっちの方向で処理するしかないな。
「恭、とりあえず例のライブハウスの裏口に向かって」
場所の指示をして恭を先に向かわせる。俺も場所を移動しつつ、再度スマホに指を滑らせる。
念には念を──というわけじゃないが、保険はかけておくべきかもしれない。なにがあるかわからないからね。
§
「あそこのライブハウス。休業日のときって、やくざが取引に使ってるらしいよ」
「えー、やだー。こわーい」
スマホを手に、少女たちは言葉を交わす。
「鳳龍会に可愛い顔した人がいるって知ってる?」
「なんか、そこで見かけた人がいるんだって」
「イケメンならちょっと見てみたいかも」
「ねー」
その『情報』に込められた意味など、知らないまま。ただ、噂話を口にする。
§
ビルの隙間を抜けた夜風が、香水とタバコ、それにアルコールの匂いを混ぜて流れていく。
目的のライブハウスは倉庫街の端に建っていた。表側はネオンと若者で賑わっているが、裏手に回れば別世界だ。錆びたシャッター、落書きまみれの壁、そして楽器搬入口に繋がる鉄扉。照明は少なく、影が濃い。
停まっているのは、荷台に何が入っているのかわからない古びたトラックが一台。運転席に人影はない。
今日は休業日だ。普段は騒がしいが、ここで暴力沙汰を誰かに見られたら面倒くさい。ある程度火消しができたとしても、人の口に戸は立てられない。記憶を弄るなんて芸当ができればいいんだろうが、生憎と、俺にそういった特殊能力なんてものはない。
ひとりふたりなら、見たものを気のせいだと思わせられる。しかし群衆相手じゃ通用しない。俺にできるのは、せいぜい糸を引くふりをすることくらいだ。これだって、真偽を確かめないやつらが、都合よく解釈して踊ってるだけだ。
恭は既に到着していた。扉から少し離れた暗がりに立ち、周囲をうかがっている。こちらに気づくと、のんきに余った袖を振っている。緊張感のない女だな。コートのポケットの中で、指先が煙草の箱を捉えた。
──条件は揃っている。あとは、エサに食いつくのを待つだけだ。
重たい空気の中に、静かな靴音が混ざる。視界の端に入り込む人影に、細く息を吐く。どうやら、一服する暇は与えてくれないらしい。
暗がりに一瞥を放る。俺の視線に気付いた恭の表情は、真剣なものから一転し、気の抜けるような笑みへと変わる。
ポケットに隠された彼女の手に何が握られているのか──考えるまでもないか。
さて、最初に現れたのは──どちらだろうな。