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アポイント帳に記された名。
紙の上では、レオン・トゥシュ。
見た目はヒューマン。少なくとも表面上は。
背が高く、肩幅もある。短く刈られた黒髪。強く結ばれた顎は、ポーズではなく習慣からくる静けさだった。細身だが、柔ではない。壊すことを心得ている手つきの男。
スーツは上質だが目立たず、目は読めない。
灰色の中折れ帽が素手の手にぶらさがっていた。もう片方の手には、黒革の手袋。細身のブリーフケースを持っていた。
彼は帽子を置いた。何気ないようで、丁寧だった。続いてブリーフケースも机の上へ。その手は、一瞬だけ長く留まってから、離れた。
「トゥシュ様、どうぞおかけください」と、女性が言った。
もう彼は座っていた。
許可は必要なかった。ただ一度、軽くうなずき、待つ。
女性はそのまま退出しようとした。
「待て!」ティヴンが鋭く叫ぶ。「お前は——残れ。……そこに立ってろ。何かあったら呼ぶ」
「は、はい」彼女は戸惑いつつ、ドアの脇に立ったまま動かない。
男は何も言わなかった。ただ、微笑んだ。
ティヴンは椅子で身をよじり、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。沈黙は長く、重く続いた。
ついに、議員のほうが折れた。
「ト、トゥシュ氏……いったい、何の……ご用件で?」
男はブリーフケースを開け、薄いフォルダーを一枚取り出した。それを机の上に滑らせる。
「これについてです」
ティヴンはフォルダーを開いた。最初の一行を読んで、動きが止まる。
充血した目。震える唇。
「ぼ、僕には……これは署名できない……!」
男はまばたきひとつしない。
「ですが、署名していただかないと困りますよ、ティヴン議員」
「奴らに殺される……」
男はゆっくりともたれ、指を組んだ。
「……誰に?」
ティヴンは突然立ち上がり、両手で机を叩いた。
「“サーペント”だッ!」叫んだ。「わかってないな! こんな書類に署名したら、俺は終わりなんだよ!」
その動きで書類が舞い、積み重ねた紙の下から、隠していた拳銃が覗いた。
ドアのそばにいた女性が驚いて一歩引いた。
だが、男はまったく動かない。ティヴンを見つめたまま、落ち着いていた。まるで、駄々をこねる子どもを眺めているかのように。
ティヴンの身体は震えていた。目は真っ赤に充血し、シャツは汗で濡れている。
男の声は低く、静かだった。
「どのみち、議員……あなたは独りですよ」
ほんのわずかに身を乗り出す。
「……あるいは、スーザンと、ちいさなティミーと一緒に」
そのあとの沈黙は、空気が潰れるほど重かった。
ティヴンはまるで時が止まったかのように固まった。
口を開けるが、声は出ない。
顔全体が崩れ、椅子に崩れ落ちる。片手で口元を覆い、涙が静かに頬を伝った。
「お願いだ……やめてくれ……」
男の口調は変わらなかった。
「泣くことはありませんよ、議員。あなたは取引した。そのとき、どちらの側につくか選んだ。これがその代償です」
「たった一度だけだったんだ……知らなかったんだ……こんなことになるなんて……」
「もう関係ありません」男は言った。「運命はあなた自身のもの。署名するか……その死んだ手で書かせるかです」
ティヴンは、彼を見た。——いや、ようやく本当に見た。
その静けさこそが、脅しよりも恐ろしいのだと、気づいた。
「ノーだ!」ティヴンは叫ぶ。「もし俺が死ねば、警察が、連邦が、これを見つける! お前も終わりだ!」
男は、くすりと笑った。
「勘弁してくださいよ、議員。警察がもう買収されてないとでも? あなたが買われるなら、奴らが買われていない理由は何です?」
ティヴンの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。震える手でサインを走り書きすると、紙に涙のしずくが落ちてにじんだ。
終わった。
男は無言で紙を手に取り、それをブリーフケースへと滑らせた。
ティヴンは、魂までインクに吸い取られたかのように、椅子に沈み込んだ。
「この街は……罪の街……カルダーダム……」
ひび割れた声で、苦々しくつぶやいた。
「燃えてしまえ……四十日四十夜の炎でな……」
男は机の端に置いた帽子を拾い、片手で埃を払った。まるで、汚れた場所を歩き慣れている者のように。
ドアへと向かい、女性のそばで立ち止まる。彼女は顔色を変えなかったが、翼は微かに震えていた。
男は肩越しに一言。
「たしか……それは古い聖典からの言葉でしたね。四十日間の炎」
ティヴンの声は、もはや力のない、空虚な叫びだった。
「いつか……エンジェルはデーモンを追放し……ネフィリムを根絶し……ヒューマンをこの苦しみから解放するんだ……!」
男はドアの前で半身だけ振り返る。冷たく、静かな目で。
「自分すら救えないエンジェルが、ヒューマンを救えるとでも?」
男は答えを待たずに去った。
ドアが、音もなく閉まった。




