王女、宣戦布告。
王城――それはこのフェルディア王国の政治と権力の中心。庶民にとっては雲の上、いや、別世界にすら感じられる空間だった。
俺、望月海翔は今、その真っ白な大理石の階段を、なぜか護衛に挟まれながら登っていた。
「なあ、ほんとに俺、なんか悪いことしたっけ?」
「黙れ、民間人」
両脇を固める騎士の一人が短く答える。よく訓練された無表情っぷり。セリシアさんの部下かと思ったが、どうやら違う。
どうしてこうなったかというと──
それは、例のクラリスとの一件の翌日だった。
ギルドで休んでいると、急な王命召喚が届いたのだ。発行者はなんと、第一王女アイリス・グレン殿下。
そして内容は、
『望月海翔を王宮に招集。王女直属の任務にあたらせる』
という、実に怪しい文面。
「……あの王女、やる気だな」
サラリとクラリスから渡された情報によれば、アイリス王女は俺の存在に興味を持ち、独断で接触を決定したらしい。
何のために?
――もちろん、「政略」だ。
「入れ」
重々しい扉が開く。目の前には、煌びやかな謁見の間――
そして、その玉座の前に立つ、一人の少女。
ブロンドの髪を後ろでまとめ、白銀のドレスに身を包むその姿は、まさに王女そのものだった。
「ようこそ、庶民の英雄さん♪」
■アイリス・グレン。17歳。王国第一王女。
高飛車・高圧的・政略家。
そして、自分が興味を持ったものは所有しないと気が済まない。
「え、えっと……お呼びだと伺ったのですが」
「ええ、あなたの噂、耳にしているわ。異世界から来た転移者で、今はギルド見習い。そして最近はセリシア様に懐いてるとか?」
「な、なんでそんな情報を……!」
「私の情報網をなめないことね?」
そう言って、アイリスは近づいてくる。
距離が……近い。
そして目が……妙にギラついてる。
「私、あなたに王族直属の特務を与えることにしたの。つまり──王族のお側に、常に仕えなさいってこと」
「え、いや、ちょっと待ってください。俺、そんなつもりは──」
「セリシア様に会いたいんでしょ? そのルート、私が管理してるわよ?」
くっ……これは完全に立場で押してきている。
「これ、受けなかったら……?」
「当然、国家に対する反逆と見なされるわね?」
「おかしいだろその論理!!」
アイリスは笑った。美しく、けれどどこか飢えた猛禽のような笑みで。
「でも大丈夫。私は寛大だから。あなたが従順であれば、優しくしてあげるわ。ほら──王族専属の従者として私と行動すれば、あなたは常に高貴な立場にいられるのよ?」
「いやいやいや! 俺はただセリシアさんに話したいだけであって──」
「ふふっ、ただ話したいね。ええ、なら条件をつけてあげる」
アイリスが手を振ると、後方から侍女が書類を持ってくる。そこには、『王族直属従者任命契約書』と書かれていた。
「これにサインすれば、セリシアとの接触を月一で許可するわ……破れば、王宮への立入を永久禁止にするけど♪」
ぐっ、なんだこのクソ悪質な契約は……!
しかも、完全に俺の弱みを見透かしてきてる。
そのときだった。
扉の向こうから、クラリスの影が現れた。
「海翔。時間切れよ。アイリスの命令は、まもなく王国令として発布される。拒否すれば、名指しで反逆者になる」
「なんでお前がここに……」
「……観察を続けているだけ。あと、ちょっとだけ、助け舟」
クラリスが俺の耳元でささやく。
「裏ルートで契約書の写しを入手した。空欄の一部を書き換えれば、セリシアとの接触を毎週に改変可能」
「……お前、味方か敵かどっちなんだよ……」
「今は、選ばせているだけ」
俺は、深く息を吸った。
そして──契約書を、堂々と受け取る。
「いいですよ、アイリス王女。俺、従者になります……ただし、条件付きで」
「ほう?」
「この契約の内容は、ちゃんと再確認させてもらいますよ。法の許す範囲でね」
アイリスは、目を細める。
「面白いわ。期待してる、庶民」
こうして、俺はセリシアとの接触権を守るために、王女直属従者という地雷ポジションに就くことになった。
果たしてこの立場が、俺の恋路を助けるのか、それともさらに泥沼に落とすのか──
――これはもう、完全に詰んでるんじゃないか?
俺は現在、王城の執務室の片隅で、書類の山と格闘していた。
横には王女・アイリスが椅子にふんぞり返り、紅茶を片手に俺を見下ろしている。
「どう? 王族直属の従者って、思った以上に華やかでしょう?」
「書類地獄と、パレードの護衛と、毎日目撃されるだけのセリシアさんの姿……のどこが華やかだって……!」
「契約に書いてあるでしょ。『王族のもとでの従事を最優先する』って……つまり、私と一緒にいないと違反よ?」
──クソッ、この契約、やっぱり悪魔か!
俺の週一接触修正案は通ったものの、同時に王女の監視も増していた。
たしかに、セリシアとの距離は以前より少し縮まっている。
けれどその度に、アイリスの視線が鋭くなるのだ。
「あなた、本気であの聖騎士副団長に惚れてるの?」
「……そりゃあ、はい」
「正直ね。でも、その誠実さが一番面倒なの。分かる? 政治的に、あなたは今私の側なのよ」
「恋愛に政治を持ち込まないでほしい……!」
アイリスは立ち上がり、俺の顔すれすれまで迫ってきた。
背筋が凍るような距離感。
「海翔、あなたってやっぱり変わってるわ。私に勝とうとする庶民なんて初めて見た」
「勝ちたいんじゃない……好きな人にちゃんと向き合いたいだけです」
アイリスは数秒沈黙し、ふっと目を伏せた。
「……甘いわ。でも、悪くない」
その言葉の真意は、まだ分からない。
翌日、セリシアと定められた面会日がやってきた。
王城中庭。監視つき。アイリス直属侍女まで待機中。
そんな中で、俺はセリシアと向き合っていた。
「久しぶりですね、海翔くん」
「うん……いや、ほんとは全然久しぶりじゃないけど。王女様にくっついてると、いろんな場面で見かけるから」
「そうでしたか……それは、お疲れさまです」
セリシアは少しだけ笑った。その表情が、たまらなく愛しくて──
俺は思わず口を開いた。
「セリシアさん。俺、やっぱり……あなたのことが、好きなんです」
一瞬、彼女の表情が止まる。
その沈黙を破ったのは、背後からの高らかな声だった。
「は~~~~い♪ 面会時間終了でーす!!」
アイリスだった。
しかも、わざわざ面会監督の役目を自分で引き受けたらしい。
「ちょ、まだ全然話して──」
「時間厳守。契約違反は認められませんよ? ……望月・従・者・殿♪」
くそぅ……こっちが告白しただけで終了させやがって!!
セリシアも少しだけ残念そうな顔をしていたが、俺の言葉を遮ることなく受け止めてくれたのが、せめてもの救いだった。
その夜。
王女の私室。豪奢なカーテンとシルクのソファ。
アイリスは、突然俺をそこへ呼び出した。
「今日の面会……本気だったのね」
「当たり前です」
「正直、驚いた。てっきり、権力に媚びる小心者かと思ってたのに」
アイリスは紅茶を置き、俺に近づいた。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「……でも、そんな正直な奴だからこそ、奪ってみたくなるのよ。わかる? この感情」
「王女様……」
「アイリス、でいいわ」
「……アイリス」
「ふふ、いい響きね」
微笑む彼女の顔は、まるで少女のようだった。
けれど、その背後には王家の影と次なる妨害者の足音が確かに迫っていた。
クラリスからの手紙。
『次は教会。癒しの顔をした、もっと根深い闇が来る』