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沈黙の暗殺者、動く。

――静かな夜だった。


王都の街並みは、すでに灯火が消えかけている。昼間の喧騒が嘘のように、音も人影も薄れた石畳の道を、俺は一人歩いていた。


 


セリシアさんとの読書会から数日。


魔術師リリィの妨害(物理&魔法)を乗り越え、俺はようやく少しずつ彼女との距離を詰めていた。


今夜は、そんな彼女と王都外れの騎士訓練場での特別訓練に参加する約束があったのだ。


 


「よし……今日は妨害なしで行けそうだな」


 


この油断こそが、最大の敗因であることに、当時の俺はまだ気づいていなかった──


 




 


その約束場所に、セリシアの姿はなかった。


代わりにいたのは、ひとりの少女。


夜風になびく、漆黒の髪。

深紅の瞳に、無表情のまま立つ。


 


「……クラリス?」


 


■クラリス・ノアール。18歳。

元・暗殺ギルド所属。現在は情報屋。


感情をほとんど表に出さず、他人との距離感が異常に広い。だが、なぜか俺の周囲にだけは頻繁に現れる。


今回も、そうだ。


 


「望月海翔。セリシア・ルーンライトとの接触は、本日をもって中止となった」


 


「えっ?」


 


「対象は現在、王立騎士団の極秘任務中。安全保障上の観点から、情報非公開。市民である君との接触は危険因子と判定された」


 


早口で、事務的に、淡々と告げられる告知。


 


「は、はあ!? いやちょっと待て、それ本当か!?」


 


「質問を許可する。だが答える義務はない」


 


「そんな警備隊みたいなテンプレで納得できるか!」


 


「……私の役割は情報の中継と監視。感情による判断は不要。君がセリシアに近づき続ける限り、再三の調整が必要となる」


 


「調整……? まさか、俺が排除対象になってんのかよ……」


 


クラリスはその言葉にも動じず、真顔で返す。


 


「現時点では観察対象。だが……」


 


そこで彼女は、ほんの一瞬、口元をわずかに動かした。


 


「……もう少し、観察していたいとも思っている」


 


「ん?」


 


「……情報屋として。君の行動パターンは、興味深い。通常の恋愛行動とは逸脱した、極めて非合理的かつ執拗な接触意欲」


 


「なんだそれ、恋に真面目な人間をサイコみたいに言うな」


 


「だが、成功確率は依然として低い。セリシアは、君に対して職務以上の関係性を持っていない。現段階では」


 


「おい、そんな決めつけ……!」


 


クラリスは、俺の言葉を遮るように、薄く目を伏せた。


 


「……君が、何を本気で望んでいるかは、まだ読めていない」


 


「……どういう意味だよ」


 


「妨害されても、排除されても、君は止まらない。なら、私はその行動の根を知る必要がある――望月海翔。君は、なぜセリシアに恋をした?」


 


俺は、戸惑った。


それは、突拍子もない問いのようで、実は――とても、本質的だった。


 


「……なぜって……それは、あの人が……」


 


気高くて、まっすぐで、自分の信念に命をかけるような人で。


誰かのために、剣を振るえる人で。


初めて見た瞬間、心が持っていかれたみたいだった。


 


「……って言っても、お前に分かるような話じゃ――」


 


「理解はした。一目惚れという感情的衝動。恋愛ホルモンの初期衝動期に類似」


 


「やめろそういう言い方は!!」


 


クラリスは、少しだけ肩をすくめた。


それは、笑った――ようにも見えた。


 


「了解。だが、この件は私個人では対処できない。今後、セリシアに接触するには、『情報操作の包囲網』を突破する必要がある」


 


「……まさか、お前、情報を全部書き換えてるのか……?」


 


「その可能性を否定しない。特定の依頼人からセリシアとの接触を継続妨害せよとの契約が存在している」


 


「誰だ……その依頼人って」


 


クラリスは、首を横に振る。


 


「契約守秘義務。ただし、ひとつだけ言える。その者は、君をよく知っている」


 


俺は、背筋が凍るような感覚に包まれた。


まさか……ユミナか? それともアイリス?


いや、それすらも、クラリスが誘導してるのか?


 


「このままでは、セリシアとの再接触は困難。君がどう動くか、観察を続ける」


 


そう言って、クラリスは背を向ける。


夜の闇に、黒髪が溶けていくようだった。


 


「……なあ、クラリス」


 


彼女は立ち止まる。


 


「もし、お前が妨害する側じゃなかったら……俺の味方になってくれたりするのか?」


 


クラリスは答えない。


だが――小さく、見えないほど微かに、首を縦に動かした。


 


それは、言葉よりも確かなノイズ。


俺はそれを、心に刻んだ。


 




 


その翌日から、俺は王都中の連絡網、掲示板、ギルド内の情報網――すべてからセリシアに関する情報が一切見えなくなった。


まるで、この世に存在しない人間のように、彼女の情報が霧散していく。


 


俺とセリシアの仲を妨害するため、クラリスは情報屋としての本気の封鎖戦術を開始したのだった。


 

 


情報が消えた。


 


王都ギルドの任務報告板から、騎士団の巡回ルート、果てはセリシアさんの住まいに関する話題までも──一切が、まるで最初から存在しなかったかのように消えていた。


これがクラリスの本気──情報封鎖。


 


「……こっちがダメなら、裏からだ」


 


俺は情報屋ミラのところを訪ねた。


ギルドのカウンター裏に座るミラは、俺の顔を見た瞬間、眉をひそめた。


 


「……あんた、またセリシアさんのこと?」


 


「そうだけど、まさかミラまで……?」


 


「いや、私は味方だよ。でも、変なのよ。最近セリシアさんの情報を登録すると、ギルドの記録石が全部エラーになるの。システムレベルで書き換えられてるって感じ……普通じゃない」


 


「やっぱり、クラリスか……!」


 


ミラは一枚のメモをこっそり渡してくれた。


それは旧訓練場の清掃依頼──依頼者は匿名。だが、日付と時間が、セリシアの非公式訓練日と一致していた。


 


「もしかしたら、ここに……!」


 




 


その日の夜。


旧訓練場。人の気配がない、荒れた屋外施設。半壊した建物と、風に揺れる草の音だけが響く。


俺は物陰に隠れ、呼吸を整えていた。


 


「……来るなら、今しかない」


 


その時だった。


静かに、誰かが現れた。


 


──セリシア・ルーンライト。


騎士団副団長の彼女は、誰もいないはずの場所で、一人、剣を振っていた。


薄明かりの中で、汗と共に剣閃が舞い、その姿に、思わず見惚れる。


 


「セリシアさん……」


 


その一瞬。


背後に殺気。


 


「……甘いな」


 


「クラリスッ!」


 


振り向くと、そこにいたのはフード姿のクラリス。手には、投擲用のナイフ。俺の肩をかすめ、壁に突き刺さる。


 


「君がここに来ることも、情報を拾うルートも、全部読んでいた」


 


「……っ、なんでそこまで!」


 


「任務だから。依頼されたから……それだけじゃ、ないけど」


 


「それだけじゃない?」


 


クラリスはナイフを構え直した。


 


「君の感情は、破綻している。無謀で、非効率で、誰も得をしない。その衝動が、なぜ続くのか……」


 


その目が、一瞬揺れた。


 


「――私には、理解できない。でも、知りたい」


 


「知りたいなら、妨害なんてやめて、俺に協力しろよ!!」


 


「できない……私は、敵だから」


 


その言葉と共に、クラリスが跳ぶ。だが──


 


「セリシアさんっ!!」


 


俺の叫びに気づき、セリシアがこちらに振り向いた。


その瞬間、クラリスの動きが、止まった。


 


「……っ、しまった……」


 


クラリスが振り返ったとき、そこにいたのは剣を構えたセリシア。


 


「どういうことですか、クラリス。なぜ、海翔くんに刃を向けていたのです?」


 


「……任務でした」


 


「誰の?」


 


「答えられません」


 


セリシアは沈黙し、やがて小さく首を振った。


 


「あなたには、借りも恩もある。けれど──私も、大切な人を守らなければなりません」


 


その言葉に、クラリスは数秒黙った。


そして、ふいにナイフを落とした。


 


「今回の妨害は、これで終わり。だが、依頼はまだ続く……次はもっと、厄介な連中が動く」


 


「クラリス……」


 


「私は敵。でも、味方にもなりたい。矛盾してるけど、これが今の私の結論」


 


そのまま、クラリスは夜の闇に紛れて去っていった。


 




 


「海翔くん、大丈夫ですか?」


 


「う、うん……セリシアさんこそ」


 


「……まさか、こんな場所であなたと再会するとは思いませんでした」


 


ほんの少しだけ、セリシアが笑う。


俺の中の何かが、その笑みに溶けていくのを感じた。


 




 


数日後。


クラリスから届いたメッセージ。


《次は権力者が動く。覚悟しておけ》


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