魔法少女、時間を止める。
「――時間よ、止まれッ!」
その声が響いた瞬間、世界が止まった。
風の音が消え、人々の動きが凍りつく。空に舞う花びらまでもが、空中で静止していた。
その中で、ただ一人、赤い魔術師装束をまとった少女だけが自由に動く。
「ふんっ、これであの女との時間は全部、リリィのものなんだから……!」
――数時間前。
王都の大図書館前。
俺は久々に緊張していた。
今日は、セリシアさんと読書会をする約束があったのだ。騎士団の業務記録から魔導理論まで、幅広く興味を持っている彼女に誘われての、いわば文化的デート。
いままでの妨害だらけの地獄絵図とは違う、平和な一日になる……予定だった。
「はあ……セリシアさん、もうすぐ来るはずだよな……」
ぎこちなくスーツ風の服を整え、鏡代わりに窓を見てネクタイの位置を確認する。
そのときだった。
「――やっほー、バカ翔」
背後から、冷ややかかつ甘ったるい声が響いた。
振り返ればそこには、宮廷魔術師見習い・リリィ・ミストラル。
肩までの銀髪をツインテールに結び、赤紫の魔術装束に身を包んだ少女が、こちらを睨むように見ていた。
「な、なんだよリリィ。今日は……って、お前、爆裂魔法の実験日じゃなかったか?」
「キャンセルしたのっ!」
「なんでだよ!?」
「……言わせる気?」
リリィがすっと指を突きつけた。
「バカ翔が、あのセリシアとデートするって噂が流れてたからよっ!」
「またか!? 俺の情報はどこから漏れてるんだっ!」
「まったく……ふん。あんな女に鼻の下のばして……正義感こじらせたガチガチ聖騎士なんて、絶対向いてないわよ、バカ翔には!」
「いや、お前の好みの話じゃねーよ!」
彼女は昔から俺にちょっかいをかけてくる幼馴染だ。ツンデレというより、もはや妨害デレ。
だが、今回ばかりは本気っぽい。
「ってことでぇ……止めさせてもらうわ♡ 爆裂魔法と時間魔術の力でねっ!」
「やめろぉぉぉっ!? 本当にやばいやつじゃねぇかっ!!」
――現在。図書館前の広場。
時間を止めたリリィは、優雅に俺の腕を引いた。
「さ、こっちよ。セリシアが来る前に、別の場所で話しよっ♡」
彼女が連れてきたのは、図書館裏の小さな魔術研究室。
時間停止魔法の影響か、そこだけが完全な異空間のように静まり返っていた。
「……リリィ。マジで何してんだよ……」
「だから言ったでしょ? リリィは翔の恋を邪魔するつもりなんてないのよ」
「……え?」
「ただ、セリシア以外の選択肢ってことを、ちゃんと見せてあげたいだけ」
リリィは珍しく、少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「翔が、ちゃんと気づかないから……リリィ、いつも爆裂して終わっちゃうのよ……」
「リリィ……」
その顔が、思った以上に近くにあった。
今までの暴走や爆発が嘘のように、真剣な目をしていて。
……思わずドキッとしてしまった自分が悔しい。
「……で、何が選択肢だって?」
「ふふ……それは、これから見せてあげる」
リリィが指を鳴らすと、空間に魔法陣が浮かび、幻想のようなもしもの未来映像が浮かび上がった。
「これが、リリィと一緒に生きた未来。そして……」
別の映像には、セリシアとの未来が現れた。だが、そこには冷たい別れのシーンが。
「え、ちょっ、おいこれ加工してない!?」
「現実とは限らないけどぉ~……翔にはこう見えてるってことよ♡」
「くそっ……!」
俺は拳を握る。
このままじゃ、何も始まらない。
「……リリィ。お前が何を考えてるかは知らない。けど、俺は諦めない。セリシアさんに、ちゃんと……想いを伝えたいんだ」
「へぇ……じゃあ、試してみる?」
リリィが微笑んだ。
次の瞬間、空間が一気に歪み――
「じゃあ、時の檻から抜け出してみなさい、翔!」
時間の牢獄に閉じ込められた俺は、精神と記憶の迷路をさまようことになる。
――ここはどこだ?
目を開けると、そこは無限に続く時計の歯車空間だった。
空も地面も、音も時間も、全てが狂ったようにずれている。
まるで夢のようで、悪夢のようでもある。
「リリィ……これは、お前の仕業か……?」
『正解っ♪』
脳内に直接響くような声。それは紛れもなく、リリィのものだった。
『ここは時間牢よ。翔の心と記憶が混ざった、魔法の世界……あたしの魔法の中で作った閉じた時間』
「ふざけるなっ! 俺をこんなとこに閉じ込めて……!」
『閉じ込めてるんじゃないわ。選ばせてるのよ』
「選ばせる……?」
『そう。翔が本当に進みたい未来を……』
その瞬間、周囲の風景が一変する。
目の前に現れたのは――
セリシアさんと笑い合う俺。
騎士団の訓練場で剣を交わし、言葉を交わし、時には肩を寄せ合う、穏やかな日常。
……理想の未来。いや、願望だ。
「これが……」
だが――次の瞬間、それは歪む。
セリシアが、俺の目の前から離れていく幻影へと変わった。
背を向け、王族の騎士としての誇りを選び、俺とは別の道を歩んでいく姿に。
『それが現実。理想だけじゃ届かない。分かるでしょ、翔?』
声が響く。リリィのものだ。
『その未来には、あたしもいない。ミーナもいない。クラリスもアイリスもユミナも……みんな、翔を想ってるのに、届かない。傷つく。消える』
「それでも……」
『それでもって言うの? セリシアを選ぶために、皆の気持ちを捨てるの?』
心を抉るような言葉が突き刺さる。
だが――
「違う。俺は、捨てるために進むんじゃない。誰も捨てたくなんかない。だけど、俺の心は――」
言葉と同時に、景色が変わる。
今度は、リリィと過ごすもしもの未来。
魔術の研究室で背中を預け合い、バカみたいな口喧嘩をしながらも支え合って生きていく姿。
あたたかくて、どこか懐かしい。
……でも。
「違う。これは俺の道じゃない。俺の心は――」
強く、胸に手を当てて。
「セリシアさんに、恋をしたんだ!」
その叫びと共に、空間が砕けた。
時の牢獄が、軋みながら崩れていく。
歯車が音を立てて壊れ、現実の風が俺の頬をなでた。
目を開けると、そこは王都の図書館裏。
目の前には、リリィがいた。
彼女の顔は、蒼白だった。
「……そっか。そう、なんだ……」
呆然とした表情で、でも――涙を堪えた顔だった。
「リリィ……」
「ふふ。負けちゃったわね、リリィ……翔の本気に……」
ツインテールが揺れる。
いつものように爆発も叫びもなく、彼女は静かに、でも確かに微笑んでいた。
「いいよ……行ってきなさいよ、バカ翔。セリシアのところへ」
「……ありがとう」
俺はそう言い残し、図書館前へ駆け出した。
セリシアさんは、そこにいた。
本を抱え、きょろきょろと周囲を見渡している。
「望月くん……?」
「ごめんなさいっ、遅れました!」
「いえ、こちらこそ。少し、早く来すぎてしまったようで……」
俺は息を整えながら、笑った。
その瞬間、セリシアさんも――小さく笑った。
それは、今までで一番やさしい、笑顔だった。
その夜、ギルドに戻ると。
部屋の壁には、大きく魔法で刻まれた文字があった。
《【魔術師同盟声明】:これよりセリシア落とし作戦に関わる者は、リリィに許可を取ること》
「いや、許可制かよッ!!」