猫耳少女の罠には気をつけろ!
「ふにゃああああ~っ! おにいちゃああああああんっっ!!」
耳がキーンと鳴った。
予備動作なし、距離計測なし。背後からの肉弾突撃を避けきれず、俺はそのまま石畳の上に押し倒された。
「ぐはっ! ミーナっ!? お前、急に……!」
「ふへへ~♪ ミーナ、今日も元気いっぱいにお兄ちゃん成分補給中~♡」
地面にうつ伏せの俺。その上に猫耳少女――ミーナ・フォールが乗っている。
彼女は俺の顔を覗き込み、ピタリと額を寄せた。
「お兄ちゃん、ちょっと体温高い? まさか発情期? ミーナが解決してあげよっか♡」
「してくれなくていい!! というか、ここ王都の中心部なんだが!?」
「……え? なにかマズいことしてる?」
猫耳ピクピク。しっぽフリフリ。
無自覚な破壊力の塊。しかも超近距離。
ミーナは獣人族の狩人。人間の数倍の聴力と嗅覚を持ち、身のこなしも軽い。しかも、俺を「お兄ちゃん」として慕っており、過剰なスキンシップで周囲から誤解を招きがちだ。
「……で、ミーナ。なんで今日に限って街中で突撃してきた?」
「うんっ! だって今日、お兄ちゃんが、デートって噂になってたから!」
「どこ情報!?」
「教会前のリンゴ屋さんが言ってたよ!あの黒髪の冒険者、騎士団の綺麗なお姉さんと会うらしいって!」
「また情報漏れてんのか俺……!」
やばい。この流れは、また妨害の流れだ。
事情を説明するため、俺たちは裏通りの屋台通りに入った。
そこなら人目も少なく、落ち着いて話せる。
「で、お願いだミーナ。今日は少しだけ、俺の自由にさせてくれないか?」
「やだっ♡」
「即答かよ!?」
「だって、お兄ちゃんが別の女の子と仲良くなったら、ミーナ……ミーナ……おなかすいちゃう……」
「論理飛躍にも程があるだろ!」
「うう……お兄ちゃん……ミーナのこと、もう撫でてくれないの……? 抱っこもなし……? 一緒に寝てくれないの……?」
「いやだから誤解招くって言ってんの!!」
彼女は無垢だ。たぶん、計算もない。
でも、だからこそ一番厄介だ。天性の甘えスキルと自然な妨害が、俺の正当な接近をことごとく邪魔する。
「ミーナ、聞いてくれ。俺、今本気で一人の女性を……セリシアさんを、想ってるんだ」
「……うう~……お兄ちゃんが、本気って言った……」
しょんぼり猫耳。垂れるしっぽ。まるで捨て猫のように落ち込むその姿に、罪悪感のナイフが心を刺す。
「……でも、そんなに大事な人なら……ミーナ、応援……」
「ほんとか!? ありがとうミーナ!」
「応援するけど……!」
「……けど?」
「今からお兄ちゃんの後ろにずーっとくっついて行動するね♡ 誤解されないように、二人きりには絶対させないから♡」
「やっぱ妨害じゃねぇかぁぁぁあああああ!!!」
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午後三時。
セリシアさんが立ち寄るとされる花市の通りに向かう。
問題はただ一つ――ミーナが背中にしがみついていることだ。
「重い……いや軽いけど、見た目の破壊力が重い……」
「お兄ちゃん、もうちょっとでセリシアさん来るかもよ~?」
「だからそれを避けたいんだよ! 今のお前のポジション、どう見ても彼女!」
「ミーナは妹だもんっ♪ ラブじゃなくて、ピュアなの! 合法的添い寝者!」
「余計マズいわ!!」
と、そこへ。
市場の向こうに、銀髪が揺れた。
セリシアさんだ。やはり美しい。凛々しい。微笑みながら民に手を振るその姿は、まさに騎士の鑑。
そして、こっちに気づいた。
「……あ」
目が合った。だがその瞬間、彼女の視線が下がる。
そして、俺の背中にくっつく猫耳少女を見た。
(……誤解されてる……完全に、妹じゃないと思われてる)
セリシアさんは一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、微笑みを消した。
(やばい、これはまずい!!)
俺はとっさにミーナを引き剥がし、地面に降ろした。
「ミーナ、ここは本当に、ちょっとだけ……! 離れてくれ!」
「やだっ♡」
次の瞬間、ミーナが俺の手を握って――
「お兄ちゃんっ、ミーナ、お嫁さんになってもいいよ~っ♡♡♡」
「爆発しろぉぉぉぉぉっ!!!」
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その日の夜。
俺はギルドの屋上で一人、頭を抱えていた。
またしてもセリシアさんに誤解された。いや、確定で変な人認定だ。
「……くそっ、次こそ……!」
すると、背後からひょっこり現れたミーナ。
「ねぇ、お兄ちゃん? お嫁さんはダメでも、ペットならOK?」
「黙って寝ろぉぉぉぉ!!」
夜の王都。風は冷たく、静寂に満ちていた。
ギルドの屋上から街を見下ろしながら、俺は思った。
(……やっちまった。完全にセリシアさんの前で爆死した……)
ミーナのお嫁さん発言がトドメだった。
いくら妹ポジションを主張しても、あれを真顔で信じる人はいない。
ましてや相手はあの聖騎士セリシア・ルーンライトだ。疑念ひとつで心の距離が生まれる。
「……せめて、誤解だけでも……」
でも、どうすれば?
セリシアさんに直接釈明するにも、タイミングと機会が問題だ。
そう思っていると、背後で「ふにゃ~」という聞き慣れた声が響いた。
「お兄ちゃ~ん、まだ起きてたの?」
「ミーナか……」
屋上の手すりにちょこんと座るミーナ。手には大きな布包みが。
「はいっ、これ。今日の反省……じゃなくて、詫びごはんっ!」
包みを開けると、焼き魚、野菜スープ、そしておにぎり。
どうやらギルド厨房の見習いに頼んで、こっそり作ってもらったらしい。
「……ありがとな」
「お兄ちゃん、怒ってる?」
「怒ってない……いや、ちょっとだけ」
「うぅ……ごめんね。ミーナ、応援するって決めたのに、つい……」
ミーナはしゅんとうなだれた耳をぺたんと寝かせた。
その姿に、怒りがすっと消える。
(……ミーナなりに、ちゃんと考えてくれてたんだな)
「なあ、ミーナ。俺、本気なんだ」
「うん……知ってる。ミーナ、お兄ちゃんのそういうとこ、好きだよ」
「だったら……今日は手を貸してくれないか?」
ミーナの猫目がぱちぱちと瞬く。
「え?」
「もう一回、セリシアさんに会いに行く。できるなら、ちゃんと誤解を解きたい。だから、ミーナ――俺に協力してくれ」
数秒の沈黙。
そして、ミーナはにっこり笑った。
「うんっ、わかったよっ! ミーナ、お兄ちゃんのためなら猫耳フル回転っ♪」
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翌朝。王都西門の広場。
セリシアさんが騎士団の警備巡回に出るタイミングを狙い、俺はそのルートの一角に立っていた。
もちろん、今回の妨害者――いや、協力者のミーナも一緒だ。
「本当に、大丈夫なのか? さすがに近づくと門前払いされそうなんだが……」
「へへ~。任せてって! ミーナ、ちゃーんと作戦考えてきたから!」
「作戦……?」
ミーナがぽんっと袋を差し出す。
中には……紙芝居とポンポン。
「……これで、どうするんだ?」
「ミーナが、お兄ちゃんはやましい関係じゃありません劇をやって、通行人の注目を集めて、セリシアさんの気を引くの!」
「全力で恥ずかしいんだが……!?」
「大丈夫っ! セリシアさんはきっと優しいよ!」
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数分後。
本当にやってる俺がいた。
紙芝居で、義妹が兄の恋を応援する心温まるストーリーを演じる猫耳少女。その隣で、棒立ちの俺。
通行人の「え? なにこの寸劇……」という目線が痛い。
だが、その甲斐あって。
巡回中のセリシアさんが、俺たちの前で足を止めた。
「……これは、いったい……?」
ミーナがにぱっと笑った。
「セリシアさんっ! ミーナ、誤解を解きたくてっ!」
「誤解……?」
俺が前に出た。
「昨日のことです! あれは、違うんです! ミーナは俺の……妹みたいな存在で、恋愛感情とか、そういうのは!」
「お兄ちゃんっ! ミーナ、お兄ちゃんを応援してるのっ!!」
通行人の拍手(?)がまばらに響く。
セリシアさんは驚いたように目を瞬き、そして――ふっと笑った。
「そう……ふふ。あなたたち、ずいぶん仲良しなのね」
「いえ、あの、ほんとに違うんです!」
「でも……その気持ちは、ちゃんと伝わったわ」
セリシアさんは、俺をまっすぐに見た。
その瞳には、少しだけ……ほんの少しだけ、柔らかい光が宿っていた。
「それじゃあ、私、巡回に戻るわ。またね、望月くん……それと、ミーナちゃん」
「はぁ~いっ!」
彼女が去ったあと、俺はその場に崩れ落ちた。
「……終わった……社会的な意味で……」
「でも、お兄ちゃん! ちゃんと笑ってくれたよ!」
「……確かにな」
それがどんなに些細な一歩でも。
俺にとって、それは確かな前進だった。
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その夜。
「お兄ちゃん、寝る前にぎゅーってして!」
「却下だ! 今日は協力者だろ!?」
「協力者は報酬が必要なのですぅ~♡」
「やっぱ敵だわお前ぇぇぇぇぇぇ!!!」