無表情の情報屋は、元・暗殺者。
「……また、すれ違いかよ……!」
王都・ルーデンハイトの中心広場で、俺――望月海翔は、うなだれていた。
この世界に転移して三日目。昨日は爆裂魔術で宿を破壊され、今日は一日かけてセリシアさんに会う算段を整えたのに――結果は、また空振り。
(昨日は、リリィに嘘の伝言をされて失敗。今日はこっちが情報を集めて万全の準備をしたのに、なんで……?)
セリシアさんは王国騎士団の副団長で、日々任務に追われてる。
だからスケジュール管理が超厳格で、彼女の動向はギルドや情報屋経由でしか知りようがない。
俺は昨日から、何枚ものコインをはたいて騎士団の出動予定、訓練スケジュール、巡回エリアを調べた。ギルド掲示板も見て、冒険者からも話を聞いた。
そのうえで「この日、この場所でならきっと会える!」と踏んで、朝から待機してたってのに――
「……情報が外れてた」
俺の足元には、王都外壁南門の警備予定表。
それに書かれていたセリシアの担当エリアには、結局現れなかった。
代わりに、見たことのない黒髪の騎士が「セリシア副団長は急遽配置を変えられた」とだけ言って通り過ぎていった。
(そんな変更、聞いてない。てか、ギルドの掲示板にも書いてなかった)
つまり――何者かによって、情報が意図的に操作されている。
胸の奥に、冷たい違和感が広がる。昨日のリリィの妨害は感情的だったが、これは違う。もっと計算されてる。冷たく緻密に。
そのときだった。
「……無駄な努力、ご苦労さま」
背後から、氷のような声がした。
「……誰?」
振り返ると、黒いローブに身を包んだ少女がいた。目深にフードをかぶり、両手を隠している。だがその隙間から見えた黒髪と、深い藍色の瞳がやけに印象的だった。
「クラリス・ノアール。情報屋。元・暗殺者」
「なに自己紹介で地雷踏んでるの!?」
「……事実を述べただけです。あなたが私を知らなくても、私はあなたの情報をほぼ把握しています」
「なんで!?」
「望月海翔。転移者。年齢十七歳。異世界出現後、王都南東で魔物に襲われ、セリシア・ルーンライトに保護される。現在、王都在住、冒険者見習い。感情の起伏が激しく、異常なほどセリシア様に執着している」
「待ってくれ、最後だけなんか悪意ない!?」
クラリスは無表情のまま、肩をすくめた。
「あなたのような行動パターンは、解析しやすいんです。だから……妨害も簡単です」
「は?」
「あなたが今日調べたすべての情報――それ、私があえて流した偽情報です」
「なっ……!」
「あなたがギルドの掲示板に目を向けた時点で、私は、あなたが何をしようとしているかを完全に読んでいました」
まるで将棋の先読みのような発言。だが、それが事実だと確信できた。
なぜなら――全部、その通りだったからだ。
「なんで、そこまでして妨害するんだよ。俺はただ、セリシアさんと話がしたいだけで……!」
「……任務です」
クラリスは少しだけ視線を落とし、静かに告げた。
「セリシア・ルーンライトに関わる可能性があるすべての異分子を監視し、接触を阻止せよ――私が王国から受けている任務のひとつです」
「そんな命令、あり得ない!」
「あなたがそう思っても、私は従うだけ。元・暗殺者に感情的反論は無意味です」
ピクリとも動かない彼女の表情。
だが――その瞳だけが、どこかで俺の動揺を探っているようだった。
まるで、観察しているように。
「……あなたは、面白い動きをします。前例にない。不規則で、予測困難」
「は?」
「通常、転移者は保護対象。だが、あなたは自己判断で騎士団に近づこうとする。セリシア副団長に個人的な興味を持ち、行動を起こす。それ自体が……変異です」
言葉が冷たい。だがどこかで――関心のようなものが混じっている気がした。
「だったら俺も、お前の予想を外してやるよ」
「……?」
「今度は、俺がお前の行動を先読みしてやる。どうせお前、俺が次にどこに向かうか、もう考えてるんだろ?」
「王立訓練場。三番通りを南に下って――正午前には到着する」
「へぇ、すごいな。じゃあ逆方向に行こう」
俺はニッと笑って、わざと逆側の路地へ歩き出した。
「今度はこっちから、クラリス・ノアールを観察させてもらうよ」
一瞬、クラリスの目がわずかに見開かれた。
そのわずかな人間味を見逃さず、俺は心の中でガッツポーズを作る。
(よし、少しは揺れたな)
たとえ元・暗殺者でも、完璧な機械じゃない。
情報と論理で俺を押しつぶそうとしてくるなら、俺は逆に直感と機転で揺さぶってやる。
「この恋は、譲るつもりないんでな」
背中越しに呟いて、俺は路地の奥へと姿を消した――
王都の裏通りを抜け、俺は迷いなく歩く。
目的地は、王都西側の小さな魔導具店。表向きは潰れかけた古道具屋だが、実はギルドの下請けをしている小型の情報屋――そして、とある人物の溜まり場でもある。
「来たか、カイト! やっぱりアンタだったか!」
扉を開けると、魔導の煙がもくもくと漂う部屋の奥から、爆発音とともに金髪ツインテールの少女が飛び出してきた。
「うおっ!? 火薬臭っ!」
「うっさいわねっ! 今、実験中だったのよっ! でもよかった、あんたから来るなんて、珍しくまともじゃない!」
そう叫んだのは――リリィ・ミストラル。
昨日の騒動の張本人であり、サブヒロイン妨害部門・爆裂魔法担当(?)
だが今は彼女の力を逆に利用する時だ。
「な、なによ。ニヤニヤして……まさか、またセリシアさんに会いに行くつもりなんじゃ……っ!」
「逆。妨害の妨害に、協力してほしい」
「は? はあああっ!? 何言って……は?」
「事情を話す。黙って聞け。これは、お前にとっても得だ」
「……なるほど。つまり、クラリスって子に見張られてるんでしょ。しかも超論理系、感情なしの鉄壁観察女……」
「そのとおり。だから、俺の行動を読ませない必要がある。お前の爆裂な性格が役に立つ」
「……ふふん。つまりあんた、やっとあたしの価値が分かったってワケね?」
「そうとも言える」
「……ふん。いいわ。協力してあげる。ただし、報酬はデート三回分でいいわよね?」
「交渉が早いな!」
「女の子に頼るなら、対価は払ってもらわないと。じゃないと爆☆裂☆嫉妬が発動しちゃうから♪」
……こいつもこいつで厄介だけど、今は使える。
俺はリリィと手分けして王都の東西にダミーの行動をばら撒いた。噂話、ギルド掲示板への書き込み、意味不明な買い物。
クラリスの観察能力がどれほど優れていても、一度に十以上の行動パターンを処理するのは不可能だ。
「行ける……今なら、セリシアさんの巡回ルートに接近できる」
午後三時。騎士団が王城南区を巡回するルートを、正規の情報筋から再確認。
偽情報で溢れる今、信じられるのは、昨日の目撃情報と今日の隊列報告だけ。逆に、それだけはクラリスも改ざんできなかった。
(この時間、この通りなら……セリシアさんが通る!)
巡回路に沿って、俺は民家の影に身を潜める。
十秒……二十秒……風の中に、鉄の音が混じる。
「……来た」
一列の騎士団。その中央、銀色の髪が揺れる。
まっすぐで、凛として――でも、どこか疲れたような、優しげな横顔。
(間違いない。セリシアさんだ……!)
声をかけようと、身を乗り出したその瞬間だった。
「……失敗です」
「――っ!?」
不意に背後から、吐息のような声が耳をかすめた。
振り返ると、そこにはやっぱりいた。
黒衣の情報屋。クラリス・ノアール。
「一手足りませんでした。あなたが情報を撹乱したのは理解しています。でも、あなたの焦りまでは計算済み」
「な……!」
「あなたは、セリシア様が通るのを見て、必ず動く。そのタイミングを測って、ここで待っていました」
「くっ……!」
確かに、俺は動いた。どうしても顔を見たかった。その一歩が――読まれていた。
「……でも、一つだけ誤算だったな」
「……?」
俺は、不敵に笑った。
「お前が、俺の視線まで読めないってことだよ」
「……!」
その瞬間、反対側の屋根から――爆発音が鳴り響いた!
「ぎゃあああっ!? ってちょっと! タイミング早いってばバカァッ!」
煙の中から現れたのは、派手に爆裂魔法を撃ったリリィ。見た目は完全に、恋する魔術師が暴走しただけの大騒ぎ。
周囲の目が爆音に集まり、クラリスも咄嗟に反応せざるを得なかった。
その隙を――俺は見逃さなかった。
「セリシアさんっ!!」
「えっ……?」
銀髪が、こちらを振り向いた。
驚きと――少しだけ、嬉しそうな表情。
「望月……君?」
「はい! 少しだけ、話せますか!?」
騎士団の他の団員が制止しようとするが、セリシアさんがそれを手で制した。
彼女は小さく頷き、俺に歩み寄る。
「まさか、ここで会えるなんて思わなかったわ……ずっと、会いたいって思ってたの」
「お、俺もっ……! 話したいこと、山ほどあるんです! 昨日から、色々あって……!」
その瞬間、背後から風が吹いた。
冷たい、鋭い気配。
「……接触失敗。対象回収」
「えっ?」
ふと見ると――セリシアの足元に、一本のナイフが突き刺さっていた。
警告。けん制。だが、精密なコントロールで絶対に傷はつかないようになっている。
俺は振り返る。そこに、クラリスがいた。
今度は、仮面のような無表情ではなかった。
――眉が、わずかに震えている。
「……セリシア様。あなたに不審者が接近しました。任務により、排除対象と判断」
「……クラリス。あなた、それはやりすぎよ」
「任務です。私情はありません」
だが、その言葉には――確かに、迷いが混じっていた。
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「……ふう。今日の任務、終わったわ」
その夜、セリシアは屋上から王都を眺めていた。
脳裏に浮かぶのは、先ほどの少年の顔。
純粋で、まっすぐで、危なっかしくて――でも、なぜか放っておけない。
その隣には、闇の中から彼女を見下ろす影。
クラリス・ノアール。
無表情で、だが、なぜかそっと言葉を漏らす。
「……観察対象。変数発生。心拍数、異常上昇……これは、どういう感情……?」
クラリスの仮面が、ほんの少しだけ――揺らいでいた。