動き出す影、運命の選択
──静かな時間が、ほんの束の間、流れていた。
セリシアとの想いが通じてから、数日。
騎士団本部の一室で、俺は彼女と穏やかな時間を過ごしていた。
「不思議ですね……まさか、自分が誰かとこんな時間を過ごすなんて」
「俺は……ずっと、こういう時間が欲しかったんだと思う」
小さな灯りの下。
二人だけの時間が流れる。
けれど、それは嵐の前の静けさだった。
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王都・影街──
そこは貴族たちですら足を踏み入れない、情報と策略が交差する暗黒地帯。
その一角にある、廃教会の地下。
「──すべての妨害を突破した? 海翔が?」
呆れと嘲笑を混ぜた声が、冷たい石の床に響く。
その声の主は、ユミナ・クロス。
海翔の元同級生であり、異世界転移のもう一人。
彼女の眼差しは、深淵のような黒。
そこに宿るのは、執着。そして──異常なまでの独占欲。
「私がいなきゃ、生きていけない子なのに……なに、あの女」
彼女の傍らにいた黒衣の男が、ひざまずいた。
「……次の段階へ移行しますか?」
ユミナは小さく頷いた。
「あの時の記憶を、解放しましょう。望月海翔に──真実と痛みを、思い出させてあげる」
その日の夕刻。
騎士団本部の中庭に、レオン団長が訪れた。
「……望月。お前に、伝えねばならんことがある」
レオンの顔は険しく、口調もいつになく重い。
「王都内部に、何者かによる転移魔法の痕跡が確認された。それも……お前と同じ、異世界由来の魔法だ」
「異世界……それってまさか──ユミナ……?」
レオンは頷いた。
「王都の民がひとり、影に呑まれる事件が起きた。その現場にいた少年が、空に浮かぶ目を見たと言っている」
──浮かぶ目。
異世界転移の時、最後に見た空間の裂け目。
俺とユミナが巻き込まれた、あの禍々しい光景。
あれが、再び開こうとしている──?
「セリシアさんは……?」
「彼女には、まだ知らせていない。今は……お前に、選択を迫る」
レオンは言った。
「この件に関わるということは、今まで以上に深い闇に踏み込むことになる。セリシアと平穏を選ぶか、戦いに身を投じるか──選べ、望月海翔」
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その夜。
俺はセリシアと月の下、二人きりで語り合った。
「……実は、話があるんだ」
俺は、ユミナのこと。影街のこと。異世界転移の真実を、すべて打ち明けた。
セリシアは、しばらく黙っていた。
やがて──静かに、俺の手を握る。
「あなたがどんな過去を背負っていても、私は信じます。でも……もし、あなたが再び戦うと決めたなら──私は副団長として、ではなく」
彼女の瞳が、そっと揺れる。
「……一人の女として、あなたの隣に立ちたい」
その言葉に、俺の決意が定まった。
「……ありがとう、セリシアさん。俺は、もう逃げない。過去と向き合う。そして……ユミナと、決着をつける」
月が静かに、雲の切れ間から顔を出す。
その光に照らされ、俺たちの影が重なっていた。
王都・影街。
その廃教会の地下深く、巨大な転移陣が鈍く脈打っていた。
陣の中心に立つのは──ユミナ・クロス。
黒のローブを纏い、胸元に埋め込まれた闇晶が淡く輝く。
「いよいよね……海翔。あなたがセリシアなんて女と結ばれたって……私は、認めない」
ユミナの足元で、闇の影が形を成していく。
それは誰かの顔を模した黒いシルエット。
それは、望月海翔自身──影のような分身体だった。
「あなたはね……あの時、私に言ったのよ。ユミナがいないと、生きていけないって──覚えてる?」
彼女の瞳が細くなる。
「私はあの言葉を、信じてここまで来た。あの世界で、誰も私たちを見向きもしなかった。だけど、あなたは、私を見てくれた。だから、全部……壊すの」
転移陣の周囲に集まった闇の使徒たちが、一斉に跪く。
「向こうの世界と、こっちの世界をつなぐ扉。もう一度、開くわよ──そして、海翔を取り戻す」
その頃。
俺とセリシアは、レオン団長と共に地下への通路を進んでいた。
「……俺は、ずっとユミナに助けられてた。でも、同時に気づいてた……あいつが、俺を閉じ込めようとしてたことに」
セリシアは頷く。
「きっと……彼女も、必死だったんですね。でもそれは、正しい形じゃない。奪うことでしか愛せないのなら──それは、誰のためにもならない」
階段の先には、巨大な石扉。
そこから、異様な魔力の圧が漏れ出していた。
「ここが……決戦の場所か」
レオンが剣を抜き、俺に言った。
「海翔。お前が進む道の先に何があろうと……その覚悟、見せてみろ」
石扉を開けた瞬間──黒い魔力の奔流が吹き抜けた。
そこには、闇の陣の中心に立つユミナの姿。
彼女の背後には、異界の扉が半分開きかけていた。
「──来たのね、海翔」
「ユミナ……やめろ、その扉を開いたら──元の世界すら巻き込まれる!」
「いいじゃない……! どうせ、あなたは戻らないんでしょ!?だったら、全部壊してやるのよ!!」
ユミナの叫びと同時に、黒い影が具現化する。
それは俺自身の姿をした、闇の分身体だった。
「それが……俺?」
レオンが一歩踏み出すも、セリシアがそれを制した。
「……これは、彼の戦いです」
俺は剣を抜き、影の自分と対峙する。
もう一人の俺は、あの時の絶望──無力、喪失、孤独、恐怖──すべてを具現化した存在。
俺は叫ぶ。
「──過去の俺に、負けるもんかよ!!」
剣が交わる。心がぶつかる。
それは、己の弱さとの戦いだった。
俺は叫ぶ──
「俺はもう、誰かに縋るだけの人間じゃない!!セリシアさんと出会って、みんなと関わって、今の俺がいる!!」
最後の一撃が影を貫く。
黒い俺が崩れ落ち、霧散する。
──勝った。
だがその時、ユミナが扉へと歩み寄った。
「……だったら、私は──影の中で生きる」
「やめろ、ユミナ!!」
セリシアが走る。
レオンが魔法陣を構築する。
そして──扉が完全に開きかけた、その瞬間。
ユミナの背後に誰かが現れた。
それは──黒衣を纏った男。
「よくやった、ユミナ。これで観測は完了だ。あとは──次元融合を開始する」
「お前は……誰だ?」
「私か? 名乗るほどのものではない。だが、君たちは私を管理者と呼ぶといい」
その男の眼には、異界の光が宿っていた。
まるで、神の視点を持つ何者かのように──