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第六章 

 「んで、これがそのとき撮った写真なの?」


 下北沢の居酒屋の一角で、写真を現像するともらえる紙製のアルバムを手に取りながら、岡田葵はギャラこと西島秀樹に尋ねた。


 「だー! ダメダメ! 誰にも見せないって、高藤先輩と約束してんだからっ」


 葵の手からアルバムをひったくると、ギャラは大事そうに胸に抱えた。


 「ぶー! 見せろよお」


 「やだ! 絶対見せない!」


 後ろを向いてアルバムが絶対に葵に奪われないように必死な様子のギャラを見て、葵は大きくため息をついた。


 「あんだよ、つまんねえな!」


 葵は慣れた様子で手を挙げて店員を呼び、ビールのお代わりを注文する。


 「お前も飲むんだろ?」


 「あ、俺にもジョッキ1つお願いします」


 店員が立ち去ると、葵が頬づえをついて目の前に座るギャラに聞いた。


 「それで、憧れの高藤先輩とドライブしてどうだったのさ? キスくらいしてきたのかよ?」


 ガターン!


 驚いてのけ反ったギャラは、背もたれのない椅子に座っていたのが災いして、そのまま床にひっくり返ってしまった。

 慌てた店員たちが集まって来ると、ギャラは大慌てで椅子を戻し、やって来た店員たちにぺこぺこと謝った。


 「ひゃーはっはっはっ!」


 ジョッキ片手に葵がおなかを押さえて大爆笑している。ギャラは恨みがましい目で葵を睨んだ。

 笑いの発作が収まるまで、しばらくかかった。葵は涙を拭いて鼻をかむと、ようやくギャラに謝った。


 「ごめんごめん。まさかこんなことになるなんて……ぶふっ!」


 葵が再び肩を震わして笑い出すと、ギャラが顔を真っ赤にして叫んだ。


 「お前がとんでもないこと言い出すからだろ! 高藤先輩にキ……キスなんてできるわけねえじゃん!」


 「悪い、悪い。そーだよなあ。ギャラだもんなあ」


 ジョッキのビールをごくごくと飲んでようやく落ち着いたらしく、葵がにっとギャラに笑いかけた。


 ウルフカットが決まっている葵の服装は、ダボっとした男性もののロックバンドが描かれたTシャツに履き古したジーンズだ。シルバーアクセサリーが大好きで、チェーンみたいなネックレスを首に巻き、両手の指にはごつごつとしたシルバーリングが何個もはまっている。

 まるでメリケンサックだなとギャラはいつも思っているが、葵にそれを言うと絶対殴ってくるので黙っていることにしている。

 化粧をして舞台に立つとぐっと可愛くなる葵は、追っかけがいるくらいの人気女優なのだが、普段は自分を女性らしく飾ることにまったく無頓着だ。

 ホント残念なヤツだよな、と思いながら、ギャラはぐびっとビールを飲み干した。



 「お、いい飲みっぷり! すみませーん、ジョッキ2つお願いします」


 葵が早速お代わりを注文した。ドンとテーブルになみなみと注がれたビールが置かれる。二人は泡がこぼれそうになっているジョッキに慌てて口を付けた。


 「はあ……好きすぎる」


 ビールの泡で口ひげができたギャラが切なそうに呟いた。


 「何? ビールはボクも大好きだよ」


 「だよね~……じゃ、ないっ!」


 ビシッと突っ込んだギャラに笑いながら葵が言った。


 「冗談だよ。で、何だよ?」


 「……高藤先輩だよ。今までは遠くから見ているだけで満足だったんだけど、二人っきりで遊べちゃったら、なんていうか、こう、もっと親しくなれないなかーって思うようになるっていうか、見ているだけはもう嫌だな~っていうか、でも先輩、高嶺の花過ぎて俺なんか相手にしてくれないよなーっていうか、就職活動で一生懸命だから邪魔したくないしな~っていうか……」


 「『っていうか』ばっかり連呼してんじゃねえ! 結局お前はどうしたいんだよ?」


 「高藤先輩とお付き合いしたい!……けど、無理~!!」


 頭をかきむしるギャラに不思議そうに葵が尋ねる。


 「あんで? 告白したらワンチャンあるかもじゃん。玉砕覚悟でいけばいい」


 「玉砕しかないんよ」


 枝豆をぽりっとかじってギャラが言った。


 「だって俺年下でしょ。先輩は自分がおばさんだってすごく気にしてんだよ。俺、姉ちゃん二人いるから全然平気なんだけどなあ」


 「お姉ちゃんっていくつなの?」


 「上の姉ちゃんは28歳で、下の姉ちゃんは24歳。んでオレが20歳。ちょうど4歳違いなんだよ」


 ふーん、と答えてから、葵はちょっと考えてギャラに言った。


 「あのさ、本人から直接聞いたわけじゃないから間違ってるかもしんないけど、高藤先輩ってたぶん今26歳だよ」


 「んんん?」


 落っこちそうに眼を見開いてギャラが葵を見た。葵が続ける。


 「4年の先輩から聞いたんだよね。どうやら高藤先輩、大学受験に失敗して四浪したみたいなんだよ。二浪が決まったときにうつ病になったらしくて、そこからほとんど勉強できずに、4年目でやっとこの大学に入れたって話だよ。

 まあ、どこまでホントかわかんないけど……」


 「そうか……だから壁があるのかなあ」


 「壁?」


 向かい合って座るギャラの前で、葵はパントマイムの見えない壁を作った。両手で触ってこんこんと叩く振りをする。

 ギャラも調子を合わせて、見えない壁を手で精一杯押す振りをして二人で笑った。ギャラが続ける。


 「高藤先輩ってさ、話しているとフランクで優しくて仲良くなれた気がするんだけどさあ。

 ある程度深いところまでいくと、見えない壁があって、そこから先の自分を絶対に見せてくれない神秘的な感じがあるんだよね」


 「ああー、それわかる!」


 うんうんと頷いて葵が言った。


 「無理して仲良くしようとしてんのかな? って思ったことあったよ。

 本当はボクらと一緒にいるの嫌なんじゃないかなー。もっと頭のいい大学に行くつもりだったみたいだしって」


 「え? お前結構ひどくね?」


 ドン引きしたギャラに葵が笑って手を振った。


 「あははっ。そんなことをたまり場で話していたら、先輩たちから高藤先輩の過去を聞かされたってわけ。オフレコだよ、これ」


 人差し指を口に持っていって、しーっと言う葵にギャラは呆れたように言った。


 「そのデリカシーのなさ、お前ホントに気を付けろよ。そのうち恨まれることもあるかもだぞ」


 「へいへーい」



 あぶったスルメがテーブルに届いた。ギャラがあちちっと言いながらスルメを細かく裂き始める。ギャラに裂いてもらったスルメを早速手に取り、マヨネーズをたっぷり付けながら葵が言った。


 「お前と高藤先輩との関係って、あれに似てるな。『僕は死にましぇん』ってやつ」


 「ああ、『101回目のプロポーズ』ね」


 『101回目のプロポーズ』というのは去年の夏、フジテレビの月9枠で放送されたトレンディドラマだ。

 トレンディ女優の浅野温子の相手役として、かつて『3年B組金八先生』で名を馳せた武田鉄矢が抜擢されたのだが、トレンディとはかけ離れた武田の起用で当初は不人気だった。

 だが、恋愛で不器用な役どころを武田が熱演し視聴率は急上昇。

 ダンプカーの前に武田が飛び出し、「僕は死にましぇん」と叫んだ回は大評判となり、バラエティ番組でマネされたりした有名ドラマなのである。


 細くて長いスルメと太くて短いスルメを両手で一本ずつ持って葵がしゃべる。


 「ほら、高藤先輩のシュッとした感じとさ、お前のもさっとした感じがさ、似てるじゃん。あのドラマの二人に」


 「ほっとけ!」


 スルメにマヨネーズと七味をつけながらギャラが吐き捨てた。畳みかけるように葵が話し続ける。


 「ギャラもさあ、あの主人公みたいに思い切ったことしないと、高藤先輩に何にも伝わんないと思うなあ。

 もっと攻めろよ、うらっ!」


 指にはめたシルバーリングのパンチを鼻先に当てられそうになって、ギャラは慌ててのけぞった。


 「っとアブねっ!」


 「ぎゃははっ! またこけそうになってるう!」


 ゲラゲラ笑いながら葵が席を立った。


 「トイレ行ってくるわあ」



 女子トイレは込み合っていて、順番待ちでしばらくかかった。葵が席に戻ってみると、ギャラがテーブルに突っ伏して眠っている。

 葵はギャラの肩をパンパンと叩いて、


 「お待たせ!」


と言ったが、ぐっすり眠ってしまって反応がなかった。


 「……ったく、しょうがねえなあ」


 席に着いた葵はまだジョッキに半分残っているビールに口を付けたが、ふと、にやりと笑って席を立ち、ギャラが足元に置いていたリュックから紙製のアルバムを引っ張り出した。


 「にっひっひ~。油断した君が悪いのですぞ、西島君!」


 嬉しそうに呟くと、葵は席に座りおもむろにアルバムを眺めはじめた。


 「……ふーん」


 最初の方は海や空、海水浴客が写るありきたりな風景写真が並んでいたが、途中から高藤先輩が砂浜の先の方を歩いている写真や、海を眺めながら髪をかき上げているうしろ姿が撮られているムーディーな写真に変わっていった。


 「やっぱ好きな人を撮ってるから、気合いが違うねえ。高藤先輩が入ってる写真、いい感じだわ」


 感心してページをめくっていくと、あと一見開きになった。ぱらっと最後のページを開いた葵の動きが止まる。


 「マジかよ」


 36枚撮りフィルムの最後の4枚はオレンジの世界になっていた。夕陽がきらめいて照り返す海水面をバックライトに、ロングヘアをたなびかせたバレリーナが砂浜を蹴って高くジャンプしている。

 両脚は前と後ろに精一杯開かれ、右手は天に向かい、左手は前方に向かっている。そして上向きの横顔は影になって半分も見えないが、光を宿した目が踊る喜びに満ち溢れ輝いていた。


 4枚中、ちゃんと撮れた写真はこの1枚だけ。きっとフィルムがもっとあったら、ギャラはこれだけでは済まさなかったろう。

 シンプルな黒のカットソーに緩めのグレーのジーンズを履いたフレンチカジュアルな着こなしをしている高藤先輩は、バレエのコスチュームに身を包んでいなくても、明らかにバレリーナとしてそこにいた。



 ふうっとため息をついて、葵はアルバムをギャラのリュックにそっと戻した。残ったビールを一気に飲み干してぽつりと呟く。


 「ったく、そんなに惚れ込んでいるなら、ちゃんと告白したらいいじゃん。きっと伝わるよ。こんなすごい写真が撮れるんだもん」


 葵は向かい側で眠りこけているギャラの顔を覗き込んでささやく。


 「それにたとえ失敗したって……ボクがそばにいるんだからさあ」


 ギャラが軽くいびきをかいていることに気がつくと、葵はいらっとして立ち上がり、ギャラの椅子の脚を思いっきり蹴飛ばした。


 「んぎゃっ! な、なんだ!?」


 寝ぼけて立ち上がったギャラに葵が叫んだ。


 「ったく、いつまでも寝てんじゃねえよ。もう帰るぞ!」


 伝票をぴらぴら振りながら、葵がすたすたと会計に歩いて行ってしまうのを見て、ギャラも慌てて後を追いかけた。

 テーブルの上には、ギャラが作った大きなよだれの水たまりだけが残った。

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