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第五章

 「わあ! 海だ!」


 駐車場からてくてく歩いて汗をかいていたわたしこと高藤由美は、真っ青な海と白い砂浜が目に飛び込んできて嬉しくなった。日射しはきついけれど、海風が爽やかに吹き抜けて気持ちいい。

 海水浴客が海に飛び込んで泳ぐのを眺めながら、わたしたち二人は砂浜に座り、1年前に販売されて大人気になった、カルピスウォーターの350ML缶のプルタブをプシュッと押し込み、キンキンに冷えた液体を喉に流し込んだ。


 するとギャラこと西島秀樹が手に持った一眼レフカメラで


 「ついに車で海まで来られた! やべえ、超嬉しい!」


と言いながら海の写真を撮り始めた。


 カルピスウォーターの青と白色の爽やかなデザインも夏の海によく似合う。水滴がついた缶を堤防に乗せて写真を撮っているギャラをぼんやり眺めていると、ふいにギャラがこっちを向いてわたしを撮ろうとした! 

 慌てて顔を手で隠したわたしを見て、不満げにギャラが言う。


 「えー、撮りましょうよ、先輩!」


 「いや! 変な顔になる!!」


 「そんなことないのになあ。美人なのにもったいない」


 急に褒められてどぎまぎしてしまい、わたしは全力で否定した。


 「美人じゃない! 全然ダメ! 年も取ってるし、おばさんだよ!」


 その言葉を聞いてギャラが噴き出した。


 「おばさんって! 先輩何歳でしたっけ? そんな話をこんな若い人にされたら、うちの母親だったら泣いちゃいますよ!」


 「もうっ!」


 カメラのレンズをこっちに向けてくるギャラに嫌気がさして、わたしは立ち上がると、くるりと後ろを向いた。


 カシャッ


 なんと後ろ姿を撮られてしまった。


 「ギャラ~」


 睨みつけると、ギャラがちょっと怯えたような仕草をして後ずさった。


 「いやいやいや! 高藤先輩、バレエやってたんですよね? 立っているだけなのに、背筋がピンと伸びて絵になるんすよ。

 それにほら、顔は撮ってないんだから、そんなに怒らないでください、ねっ?」


 「もう撮らないで!」


 わたしが念を押すと、


 「えー、どうしようかなあ。せっかく海に来たんだから、俺としてはモデルの入った写真を撮りたいんですよ。

 先輩の顔は撮らないようにするから、モデルやってもらえないすか?」


とお願いされ返されてしまった。


 海まで来て意固地になっている自分にもバカバカしさを感じて、わたしはため息をつきながら、


 「じゃあ、顔はなし」


と面白くなさそうに答えた。それを聞くと、ギャラは目をキラキラさせて


 「ありがとうございます! いい写真撮りますね!!」


と言って、にこりと笑った。



 そこからは、海を眺めながら二人で歩いては、ギャラが気になるポイントで写真を撮った。

 わたしは時々背景の一部になるように遠くに立ったり、後ろ姿で髪をかき上げたりして、モデル役をやってあげた。


 のんびり海辺を歩くのもたまにはいい。わたしは就職活動でくたびれた心が少しずつ元気を取り戻すのを感じていた。


 「そういえば、高藤先輩ってサークルで裏方しかしないのってどうしてですか? 

 女優をやってほしいって頼まれないとは思えないんすけど」


 ギャラがわたしに尋ねた。


 「恥ずかしいから人前には出たくないの。それに裏方って面白いじゃない? 

 舞台のセットを工夫して作ったり、照明の当て方を考えたり、ポスターをデザインしたり……やったことがないことばかりで楽しいから」


 砂浜に落ちているガラスのかけらを拾い上げて覗き込むと、深緑色で角が丸くなった破片を通して歪んだ海が見える。


 「『ガラスの仮面』」


 突然ギャラにそう言われて振り返ると、切なそうな目をしたギャラが立っていた。

 彼は言う。


 「俺の家、姉ちゃんがいるから少女漫画を子供の頃から読んでるんすけど。

 高藤先輩、『ガラスの仮面』の北島マヤに似てるって言われませんか。

 目が大きくてストレートのロングヘアで華奢な先輩が演劇サークルにいたから、俺びっくりしちゃって」


 頭をポリポリかいて、照れたようにギャラが笑って言った。


 「いくつも演劇サークルがあったけど、ここに入ったのは、憧れの高藤先輩と話してみたかったからなんです」


 へ? と思わず声にならない声を上げて、わたしはぽかんとギャラを見つめた。ギャラが慌てたように両手を振った。


 「もちろん、裏方で頑張っている先輩のすごさを俺もよくわかってますよ。入った当時はそう思ってた、ってことっす」


 「そうなんだ、全然知らなかった。わたしも『ガラスの仮面』は好きだけど、自分が似ているなんて思ったことなかったなあ。うーん、なんだか期待外れで申し訳ない」


 苦笑して頭をぽりぽりとかくわたしを見て、ぶんぶんと首を横に振りながらギャラが言った。


 「いえいえ! 俺が勝手にそう思っていただけの話なんで!!

 それに先輩はバレエをずっとやっていたんですよね? それを聞いてなんか納得しちゃいました。

 スタイルいいし、立ってるだけで様になるのも、バレエの鍛錬のおかげなんだろうなーって」



 段々と夕暮れが迫ってきた。海水浴客も少なくなり、海本来の姿が露になって来る。

 わたしは腕時計をちらりと見て、ギャラに言った。


 「そろそろ帰らない? もうすぐ夜になっちゃう」


 「はい。戻りましょう」


 二人で元来た道を歩き始めた。海は夕陽に照らされて黄金色に光り輝いている。白い砂浜もオレンジ色に染まっている。


 「きれいね」


 海に目を奪われたままわたしがぽつりとつぶやくと、突然ギャラが頭をかきむしって叫んだ。


 「ぐああ! ダメだ! 先輩! あと1個だけ! あと1個だけお願いがあります!!」


 びっくりしてギャラを見ると、カメラをわたしにまっすぐ向けて彼は叫んだ。


 「バレエで踊っているところを撮らせてください! 夕日に染まった茅ヶ崎海岸で踊るバレリーナ! 

 誰にも見せたりしないんで! 今日だけお願いします! 撮影させてください! 

 どうかどうかお願いしますっ!!」


 膝をついて頭を垂れてカメラを頭上に両手で掲げて必死にお願いする姿は、いたずらをしたときに怒られてしょんぼりしている我が家の愛犬・シュヴァルツ2世になぜだかよく似ていた。


 口元が勝手にほころび、くすっと笑ってしまう。ギャラはなんでわたしなんかに憧れているのだろう。そんな要素は何一つないのに。


 大体わたしは四浪していて、就職先すらまともに見つけられないような残念な女だ。こんな人間にここまで好意を寄せてくれる人はもう現れないのかもしれない。

 そう思うと、くすぐったいような泣きたいような感情が胸にこみ上げてきた。


 わたしは砂浜に膝をついている、オレンジ色の光に包まれたギャラの肩をぽんと叩き、苦笑いしながらこう言った。


 「もう、わかった。写真撮ろう。今回限りの出血大サービスだよ」

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