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第四章

 「今鍵開けますね」


 若葉マークが貼られた白いセダン型の車の鍵をガチャリと開けると、運転席に座ったギャラこと西島秀樹がエンジンをかけた。

 わたしこと高藤由美は反対側のドアを開け、恐る恐る助手席に滑り込んだ。息を吹き返したエンジンの動きで白い車体が小刻みに震えている。我が家には車がないので、自家用車に乗るのは久しぶりだ。わたしはちょっと緊張した。


 「この車、今年買い換えたんですけど、うちの親父ってカローラしか買わないんすよ。マツダのMX―6にしてほしいって頼み込んだんだけど、俺の意見なんてしかと! 街はカローラだらけなんだから、もっとカッコよくて目立つ車にしたらいいのに。先輩もそう思いません?」


 くるりとこっちを向いたギャラの顔が、思った以上に近くにあったから、 わたしはちょっとドキッとして答えた。


 「えっと、うちには車がないから、車を持っているだけでわたしにはカッコよく見えるよ。この車もわたしは好きだけどな」


 へえっという顔をしてギャラが言った。


 「車持ってないんすか。たしかお父さん社長でしたよね? なんか意外だなあ!」


 「10年前に手放してから買ってないのよね。お父さんが忙しくて車に乗る暇がないからもったいないって」


 「なるほど。高藤先輩は免許持ってるんすか?」


 わたしは首を横に振った。


 「持ってないよ。必要ないかなと思ってたから。でも就職活動をしていて気がついたんだけど、車の免許証って資格になるし、身分証明にもなるんだね。仕事が決まったら取ってみるのもいいかなって考えてるとこ」


 「おー、いいっすねえ!」


 にやりと笑ってギャラが言った。


 「そしたらこの車も交代で運転しましょう。楽しみだなあ!」


 わたしは付箋が何枚か立っている地図を開いた。大学の近くの地図を見つけてルートを確認する。


 「目的地は茅ヶ崎海岸だよね。まずはどっちに向かうの?」


 ギャラが助手席の背もたれに左手をつけて体をひねると、わたしの膝の上に置かれた地図を覗き込んだ。ギャラの頭がわたしの鼻先まで近づいた。ギャラが言う。


 「まずこのページの橋本五差路ってとこまでは、ほぼほぼ西に向かって一直線っす。で、129号に入ったら今度はずーっと南下。44号で右に曲がって相模川を渡ったら、こっちの45号へ。しばらく進めば茅ヶ崎に到着ですね」


 「そんなにたくさん曲がるわけじゃないのか」


 「はい。それでも知らない場所だと、どこで曲がったらいいかわからなくて、すげえ緊張しちゃうんすよ。曲がり角が近づいたときにしっかりナビしてもらえたら助かります! OKですか?」


 こくりと頷いたわたしを見て、満足そうに運転席のシートベルトをかちゃりとはめたギャラは、ハンドレバーを下げてから、ハンドルを両手で握り、声色を変えてこう叫んだ。


 「ギャラ、行きます!」


 『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイを真似ながら、ギャラがアクセルを踏み込んだ。駐車場の砂利を蹴散らして、車が左右にがたがた揺れる。

 わたしは素早く地図に目を通した。道路の案内板なんてまともに見たことがなかったから、国道の番号や交差点の名前が道路のどの辺に書かれているのかよくわからない。上手にナビするためにも、地図と道路をしっかり見比べなくちゃ。


 「そこを右に曲がって。うん、そう合ってるよ」


 しばらく車を走らせると交通ルールが呑み込めるようになって、わたしはギャラに落ち着いてナビができるようになっていた。


 「やっぱり高藤先輩にお願いできてよかった! 安心して運転できるわ!!」


 緊張してまっすぐ前を向いたままで、ギャラが言った。


 「そう? 役に立てたなら良かったよ」


 「はい! もーめっちゃ助かります。これなら海まですぐに行けちゃいますね!」


 赤信号になって車を停めたギャラは、ようやくわたしの方を向いて、にっこり笑った。そしてカーステレオをいじり始めると、突然カッコいい男性の英語のおしゃべりがスピーカーから流れだした。


 「これってFEN?」


 FENというのは太平洋戦争中に米軍兵士を激励するためのラジオ放送を起源としているAMラジオだ。FEN(Far East Network:極東放送網)という放送局名で1945年(昭和20年)9月から在日米軍向けに放送が行われている。

 町田では横田基地の放送が受信できたので、わたしは中学生の頃から英語の勉強も兼ねて自分の部屋のCDラジカセで流しっぱなしにしていたのだ。


 「いえ、これJ―WAVEと言うんです。FMで3、4年前に始まった放送局で、今しゃべっているのがクリス・ペプラー。かっこいい声でしょ?」


 「たしかに! あ、日本の曲も流すんだ」


 おしゃべりが終わると、聞いたことがない曲が流れ始めた。すると嬉しそうにギャラが叫んだ。


 「ピチカートファイブだ! 俺大好き!」


 洋楽っぽいおしゃれなサウンドに乗せて、透き通った女性の声が響く。日本語の短いフレーズが畳みかけるように続く歌で、ボーカルの女性の発音は明瞭でとても聞きやすいけど、なんだかその人らしさが感じられない不思議な声だ。

 サビで盛り上がるわけでもなく、淡々とポップに進む曲調のせいで、歌っている人がうまいのか下手なのかも判断しづらい。

 ふと、同じフレーズを繰り返し繰り返し歌っていることに気がついて、ギャラに尋ねた。


 「この曲のタイトルって、もしかして『大人になりましょう』?」


 ギャラが肩を震わせて笑った。


 「正解っす! ずーっと同じフレーズだからわかりやすいんですよね」


 「は~、やっぱそうなんだ」


 車のシートに沈み込んで、フロントガラスを流れる景色を眺める。単調で軽快でファッショナブルな曲に包まれると、外の景色がフランス映画のように見えてくる。

 運転しながらギャラが言った。


 「そうそう、ピチカートファイブの曲、この前の舞台で流したの覚えてます?」


 「え? あったっけ…」


 サークルの舞台では、わたしはいつも裏方だ。そのせいで知らないのかな? と首をかしげているとギャラが言った。


 「朝のシーンで、音楽に合わせて『おはよう』ってやたらに連呼している曲があったの、覚えてないすか? あれもこの人たちの曲なんですよ」


 「ああ! あれ!」


 舞台でぼさぼさ頭のギャラがベッドから起き上がって、朝ごはんを食べたり、金魚に餌をやったりしながらダンスするシーンに流れていた曲のことだ。ボーカルの声質が同じだったことを、ギャラに言われてようやく気がついた。


 「不思議な曲だなって思っていたんだけど、このバンドの歌だったんだ」


 「ええ。『大人になりましょう』も『お早う』も、彼らが去年発売した『女性上位時代』というアルバムの曲なんです。ボーカルの野宮真貴がすごくいいんすよ! 

 もともと葵から教えてもらったんだけど、今じゃ俺の方が熱心なファンで、CDも全部持ってます。聞きたかったらアルバム貸すので言ってください!」


 「ありがとう。じゃあ今度おススメ貸してほしいな」


 話しているうちに、茅ヶ崎が近づいてきた。周りに今まで見えていた小高い丘がぐっと減り、先の方は延々と平地が続いている。



 ところが茅ヶ崎市の中央までやって来たところで、道が混雑して車が前に進まなくなってしまった。どうやら渋滞にはまってしまったらしい。

 ふと見渡すと、市内を歩いているたくさんの人たちは、浮き輪やござなどの海水浴用の荷物を抱えるように持っていた。

 わたしはギャラに話しかけた。


 「ひょっとして、海水浴の人たちがたくさん集まって渋滞しているんじゃない?」


 ギャラがおでこに手を当てて呻いた。


 「うわあ! そうだと思います。夏休みだもんな~。平日でも混んじゃうのかあ。失敗したなあ……」


 じりじりとしか進まない車にいつまでも乗っていてもらちが明かなそうだ。わたしたちは相談して、車を駐車場に停めて海まで歩くことにした。

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