第二十一章
「ギャラ! ちょっと待って!」
キャンパス中を走り回っていた岡田葵は、大学のバスターミナルからバスに乗り込もうとしていた西島秀樹ことギャラを発見すると、バスのタラップから力任せにギャラを引きずり下ろした。
「うわわ! 何するんだよ!」
よろけたギャラを葵ががしっと捕まえる。運転手が
「もう発車しますよ?」
と聞いてきたので、葵が
「はい、行ってください!」
と答えると、バスはたくさんの学生を乗せて出発してしまった。
がらんとして誰もいなくなったターミナルで、ギャラは葵の腕を振りほどき、ちょっと怒って言った。
「なんで降ろすんだよ? この時間はあと30分しないとバスが来ないのに!」
「だって……」
元気のない葵の声に気がついて、葵の顔を見たギャラは驚いた。葵の頬を涙がつたっていたからだ。
「え? どうしたの? なんで葵が泣いてるの?」
「ごめんよ、ギャラ……。ボクがあおったばっかりに、あんなことになっちゃって……」
大きなため息をついてギャラがベンチに葵を座らせる。自分も隣に腰かけながらギャラが言った。
「いいよ。ずっと告白できなかった俺がいけなかったんだ。
それにしても、いきなりキスしたのはまずかったなあ……。高藤先輩どんな様子だった? きっとショック受けたよね?
次に会ったとき、どんな顔したらいいか、わかんないや……」
冬の雲一つない青空を見上げながら、ふうっと白い息を吐いたギャラに、葵が抱きついた。
「えっ!? あ、葵?」
ドギマギして固まっているギャラの首に両腕を回して、葵はギャラの首元に顔をうずめた。
ギャラの体温を間近で感じて、走りっぱなしで飛び跳ねていた心臓が、ますます激しい音を立てる。
「好き……」
蚊の鳴くような声で葵が告白した。ギャラがはっとする。葵は顔を上げてギャラの顔を真正面から見た。
「好きなんだ、ギャラのこと」
抱きつかれたギャラは、葵のいい匂いにくらっとした。胸がドキンドキンとうるさいくらいに音を立てる。
鼻と鼻がくっつきそうな距離で、涙をいっぱいに溜めた葵の瞳が宝石のようにきらめく。ギャラは言葉を失って、美しい葵の顔に見入った。
しばらく見つめ合った後、視線を外した葵の目尻からぽろりと一粒涙がこぼれた。葵がささやくようにつぶやく。
「やっぱりボクじゃ、ダメだよね」
その言葉で我に返ったギャラの手が、思わず葵の頭を撫でた。
「そうじゃない。葵があんまりきれいで、つい見とれてた」
途端に葵は首まで真っ赤になって、ギャラからぱっと離れた。
「き、きれいってなんだよ! こっちは死にそうな思いで告白したってのに! フツーは告白の返事を考えてるもんだろ! 人の顔見て、ぼんやりしてんじゃねえよ!!」
「ははははっ!」
ギャラはおなかを抱えて笑い出した。夫婦漫才みたいな葵とのやり取りはやっぱり最高だ。高藤先輩とこんな風に気楽に会話するのは絶対に無理だろう。
これまで葵のことは、きれいだと思っていたけれど、恋愛対象として見たことがなかった。だってあんまりにもがさつで、あけっぴろげだから。家で俺の上に君臨するあの横暴な姉ちゃんたちそっくりなのも、ギャラの気持ちをなえさせた。
そしてこんな態度しか取らない葵の方も、当然自分のことを友だちとしか見てないと思っていたのに。
ギャラは改めて葵を見た。ウルフカットでスレンダー、気さくでちょっと気の強い女の子。きれいだと言われて、真っ赤になって照れる可愛いところがあるなんて、今日初めて知った。
「あんだよ……」
視線に落ち着かなくなった葵がこっちを睨みつけてきた。ギャラはニッと笑って言った。
「なあ、いつから俺のこと好きになったの?」
「!!」
葵がまた真っ赤になった。ニヤニヤしながら見ていると、ふくれっ面で葵が白状した。
「新歓のカラオケ」
「え? 2年前じゃん」
「そーだよ!」
ぶーたれたまま葵が続ける。
「僕、歌うの苦手だろ? 最初のコンパのときはみんなわかってなくて、無理やり歌わされたことがあったんだよ」
「ああ! そんなこともあったねえ」
それは葵とギャラが新入生だったころの、サークルの新入生歓迎コンパのことだった。2次会はカラオケボックスと相場が決まっていて、新入生は1曲ずつ歌を披露することになっていた。
ギャラは小泉今日子が去年リバイバルヒットさせた『学園天国』で場を大いに盛り上げたのだが、男性部員に囲まれた葵は絶対にマイクを手に取ろうとしなかった。
先輩が工藤静香の『くちびるから媚薬』を入れて、葵にマイクを手に取らせた。しぶしぶ、という格好で立ち上がった葵に、みんなの熱い視線が注ぐ。だが……。
「僕って、破滅的な音痴だろ? ワンフレーズ歌った途端に場の空気が凍り付いちゃって、もーその場で死にたくなったんだ!
でも、そのときにお前が!」
と言って、葵がギャラの鼻先をぴしっと指さした。
「もう一本のマイクをONにして、工藤静香のモノマネしながら、めちゃくちゃ上手に歌い上げて、みんなを盛り上げてくれたじゃない?」
「うん、あのときのことはよく覚えてるよ! 美人なのにとんでもない音痴な子がいたから、俺もびっくりした」
「ふん!」
そっぽを向いた葵がぼつっと呟いた。
「歌い終わってホッとして席についたとき、お前、僕を見てニコッと優しく笑っただろ。それから気になるようになっちゃったんだよ」
「そうだったのかあ」
ベンチに座りなおして、ギャラは大きく伸びをした。バス停の屋根の向こうにはどこまでも透き通った青い空が広がっている。
葵がしびれを切らしたように言った。
「で、どうなんだよ? 返事は」
ギャラの心は決まっていた。葵に向き直り、両手で葵の手をぎゅっと握る。細くて白い葵の手が緊張したのが伝わってきた。
「葵、告白してくれてありがとう。
生まれて初めて告白されたから、驚いたけど、めちゃくちゃ嬉しかった。
それで、えーと……。
ごほん。
夫婦漫才の続きにしかならないかもだけど。
こちらこそ付き合ってください。
よろしくお願いします!」
緊張でこわばっていた葵の表情が溶けて、満面の笑顔になった。
「ギャラ~!!!」
再びギャラの首に腕を回し、葵がギャラをぎゅっと抱きしめた。ギャラもおそるおそる葵を抱きしめ返す。
顔を上げた葵がギャラの唇にそうっと自分の唇を重ねた。
ギャラの手が葵を強く抱きしめる。
二人はじっと動かなくなった。




