第二章
夏休みに入った早朝のキャンパスは人の姿がほとんどなかった。真っ青な空に大きな入道雲が浮かび、大学の白い建物と道路が太陽光の反射でまぶしく、まともに目が開けられない。
わたしこと高藤由美はアブラゼミがうるさく鳴いているなか、下を向いたまま広いキャンパスを横断し、就職センターのドアを開いた。
クーラーの効いた広い部屋に入ると、大きな掲示板が目に飛び込んでくる。ここには企業からの求人票が貼られており、学生は気になる求人票を持って就職センターの事務員さんと話をすることになっていた。
壁際の本棚の方は、溢れんばかりにぎっしりと分厚いファイルが並べられている。中身はこの大学で就職活動をした先輩たちの10年分の体験談集だ。
1枚1枚めくっていると、一流企業の名前がいくつも出てきて、面接で聞かれた質問内容などが事細かく書かれている。とても貴重な情報ばかりだけど、今年についてはほとんど役に立たない。だって、そもそも面接をしてもらえないんだから。
大量のファイルの山から顔を上げると、学生がぽつぽつやってきていた。今から面接に向かうところなのか、就職活動のマニュアル本として大人気の『面接の達人』を真剣に読みながら、自分が書いた自己PRを見直しているリクルートスーツ姿の人もいる。
わたしは受付をしている事務員に近づいた。
「面談をお願いします」
「はい。ではリストに名前を書いて、必要事項を用紙に書いてお待ちください」
言われた通り、受付にある一覧表に学部と名前を書き、受け取った用紙に今日の相談内容を記入した。書き終わった頃に、恰幅のいい50代の男性の事務員が受付でわたしの名前を呼んだ。
可動式の壁に囲まれた小さなスペースにはテーブルが一つあり、そのテーブルを挟むように折り畳み式の椅子が2脚置かれている。原沢という名前の事務員は、席に着くと長袖のワイシャツの腕をまくりながら、わたしが手渡した用紙をクリップボードに挟んだ。
「経済学部の高藤さんですね。今日はどんな相談ですか?」
ワイシャツのポケットから3色ボールペンを引き抜きながら、落ち着いた物腰で原沢さんは尋ねた。
わたしは背筋をぴんと伸ばし、咳払いをして答えた。
「就職活動がうまく進まないので、ご相談に来ました。エントリーシートを出しても次の段階に行くことができず行き詰っています。どうしたらいいかアドバイスをお願いします」
原沢さんはわたしの用紙をじっくりと眺めて言った。
「金融関係に絞っていますね? 総合職を希望していますか?」
「はい。わたしの父が金融関係の出版社の社長なので、わたしも昔から金融に興味を持っていました。
グローバルな業務内容に挑戦心が湧きますし、企業にお金という形で輸血をすることで、企業の成長の手助けをできるという役割に惹きつけられています」
わたしの回答を聞きながら、ボールペンで用紙に何やら書き込んだ原沢さんは、さらにこう尋ねてきた。
「高藤さんが志望している都市銀行や大手生命保険会社や証券会社は、残念ながら今年の採用がほぼ終わっています。もう少し目線を変える必要があると思いますよ。
例えば、クレジットカード会社などの消費者金融は検討しましたか?」
わたしは思わず俯いた。ごくりと唾を飲み込み、わたしは答えた。
「あの……実は検討していませんでした。バブルが崩壊して中小の金融機関が次々と破綻し始めているから、自己資本比率がBIS規制の8%を大幅に下回っているところは辞めておきなさいと父から言われていまして」
「ふうむ……」
腕を組んで原沢さんがわたしを見た。
「BISねえ……。お父様が仰ることもごもっともだと思うけど……。
高藤さん自身の考えも同じですか?」
「はい」
「そうですかあ……」
原沢さんがため息交じりの声を出して天井を見上げた。しばらく間があって、原沢さんが上げていた顎を引き、わたしを見て言った。
「ちょっと厳しい話をしますよ。高藤さんの考え方だと就職はできないと思います。あなたの大学での成績は非常に優秀です。でも四浪されていて今26歳ですよね。
大手都市銀行はそもそも四浪した人をよほどの理由がない限り採らないと思うので、まず第一志望から都市銀行を外してください」
そう言って、原沢さんはクリップボードがわたしにも見えるようにしてから、就職希望に上げていた企業のリストをざくざくと線を引いて削り始めた。ほとんど削られたところで原沢さんが言った。
「現状の就職情報を見ている立場からお話しますが、採用意欲が旺盛なのは消費者金融会社です。あとはリース会社。また中小企業ですが、専門商社で経理関係を担当する道もありますよ」
固まっているわたしを気の毒そうに見て原沢さんが言った。
「お父様は最近の就職状況についてご存知ないのではないですか?
就職浪人をするのはあなたの年齢的にもお勧めできません。ここは高藤さん自身が社会に出て何をしたいかを改めて見直さないと、先に進むことができないと思いますよ」
「一体わたしはどうしたら……」
書類を返しながら原沢さんが答えた。
「まずは先ほどお勧めした業界の求人票や先輩たちの体験談を見てみましょう。案外気になる企業が出てくるかもしれません」
「わかりました。そうします」
受け取った書類を持つ手がびしょびしょになっているのに気がつきながら、わたしは席を立った。
求人票が貼られた掲示板を眺めてみる。春には大量の求人票に埋め尽くされていた掲示板も、夏休みの今はスカスカで寂しい限りになっていた。
しかしよくよく業種を確認すると、原沢さんが言った通り、消費者金融会社やリース会社、専門商社の求人票が何社かある。
わたしは企業名のメモを取り、先輩たちの体験談を探してみることにした。