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第十二章

 五日後。日照大学の人事担当から電話が来て、面接の日程が告げられた。弘子おばさんのコネが効いたらしい。朝食を食べながらわたしこと高藤由美がその報告をすると、お父さんとお母さんは大喜びした。


 「これで由美の就職も安心だな」


 お父さんがコーヒーを片手に満足げな笑みを浮かべてお母さんに目配せした。お母さんはその視線を受け止め、にっこり笑って言う。


 「弘子さんにお礼をしないといけませんね。何かお贈りしたいわ。デパートで探しておきますね」


 嬉しそうな両親を見て、わたしは言った。


 「うーん。面接はこれからだから、喜ぶのはまだ早くない?」


 お父さんとお母さんが同時にわたしを見た。お父さんが笑って言う。


 「大丈夫だよ。これはコネ入社なんだから。面接だって形式的なモノさ。もう入れることは決まっているんだから、就職先にご挨拶に行くと思っていていいんだよ」


 「そうよ」


とお母さんも相槌を打つ。


 「お父さんの言う通りにしておけば間違いないわ。由美は安心していなさいな」


 手放しで喜ぶ両親の姿を見て、わたしは慎重に言葉を選びながら答えた。


 「そうだね。ようやく安心できそうだよ。お父さん、お母さん、協力してくれてどうもありがとう。

 無事に就職できそうだって、『お兄ちゃん』にも伝えられたらいいのに……」


 途端に家の中の空気が少し冷え込んだ。お父さんが不機嫌になって言う。


 「おいおい! いつもあいつの話はするなと言っているだろう!」


 「そうよ!」


 お母さんも眉をしかめて言った。


 「家出してもう10年以上経つじゃない。『探さないでください』って書かれた手紙を残していなくなってしまって……。一度も連絡を寄越さないし、どこかで元気にやっているんだろうから、放っておけばいいのよ!」


 「お母さんの言う通りだ」


 お父さんが畳みかける。


 「あのとき警察や探偵にも随分協力してもらったが、どうしても哲治を見つけることができなかった。あいつが自分の意志で姿を消してしまった以上、こちらはどうすることもできない。

 由美、この話はもう何度もしているだろう。大体、今さらどうして哲治なんだ?」


 不審そうなお父さんに向かって、わたしはこの前弘子おばさんと話した内容を伝えた。二人ともびっくりしたが、決して喜びはしなかった。


 「そうか、生きていたか……」


 お父さんはちょっと安心したような顔をしたが、同時に怒ってもいた。


 「どうして弘子が知っていて、僕たちが何も知らないんだ? 由美、弘子は誰からこの話を聞いたと言っていたんだ?」


 「それが、教えてくれなくて……」


 「きっと夜のお仕事で耳にしたんじゃないかしら?」


とお母さんが頬杖をついて考えながら言った。


 「弘子さん、銀座でバーを経営しているでしょ? 顔も広いでしょうし、たまたま知ったから教えてくれたのよ」


 「そうか、僕はてっきりおふくろがついに哲治を探し当てたのかと思ったよ」


 お父さんが腕組みをして言った。お母さんが不思議そうに言う。


 「たしかに行方不明になった哲治を探すとき、お義母さまは必死になっていましたけど。でも、1年経った頃には探偵を雇うのを止めてらっしゃいましたよ。今さら探し直すなんてこと、あるのかしら?」


 「たしかにそうだな。ちょっと不自然か」


 お父さんが思い直したように話を続ける。


 「いずれにせよ、哲治ももう28歳になるだろう。一人前の大人になっている年齢なんだから、今さら保護者に頼りたくないはずだ。連絡をしたがらないなら、そうっとしておくのが一番じゃないか?」


 「そうよ。こちらから探し回るのはいいこととは思えないわ。だってまた昔みたいにもめるかもしれないし……。お互いに離れて生きるのがちょうどいいのよ」


 まっすぐ目を見つめてわたしに話しかけるお母さんは、更にこう言った。


 「そもそも、哲治と話すことなんて、今さら何もないことくらい、あなたにもわかるでしょ? 

 ほら、あの子が入院していたときに、『あんたなんかオレの母親じゃない!』って怒鳴って私にお皿を投げつけてきたじゃない?

 あんな風にずうっと家族とのかかわりを拒絶し続けていたのはあの子の方なのよ!

 十数年ぶりに消息がわかったからといって、今さら会ってくれるとは期待しない方がいいわ。

 由美、お前も弘子おばさんの話で驚いたのかもしれないけど、あの子のことなんて気にしなくていいのよ。今は自分がやるべきことに集中しなさいね!」


 お母さんがしたり顔でわたしを熱心に説得する。


・・・


 途端に私は大学受験に失敗した最初の年のことをありありと思い出した。

 お父さんが願った通りに東京大学文科一類を第一志望にしていたわたしは、これまたお父さんの忠告に従って、私立で最も偏差値の高い早稲田大学と慶應義塾大学だけを受験していた。

 猛勉強するわたしにお母さんは毎晩夜食を作ってくれた。二人の期待を一身に受けて、気負いすぎていたのかもしれない。

 合格判定がA判定だったにも関わらず、緊張のあまりおなかを壊すことが増えていたわたしは、受験当日も激しい腹痛と便意に耐えながら試験に臨む羽目になり、全敗してしまったのだ。

 焦って二次募集を探し始めたわたしを見て、お父さんとお母さんは今日みたいに二人で食卓に並んで座り、お互いに目配せをしながらわたしを説得し始めた。


 「おまえは東大に受かる実力はあるんだ。今回は体調が悪かったからやむを得ないだろう。

 お父さんの友人のご子息も通っていた東大合格率90%の予備校があるから、そこに一年通って万全を期せばいい。三流の大学に焦って入ったらお前の将来が台無しだ」


 「そうよ、お父さんの言う通りよ。これからの時代は女性でも学歴が大切なの。男女雇用機会均等法ができて、女性でも責任のある仕事ができるようになったのだから、お前はいい大学に入っていい企業に行って出世すべきなのよ!」



 そして一浪して二度目の受験。今回は絶対大学に入りたいから、滑り止めの大学も受けておきたい、と両親に相談すると、父は途端に不機嫌になった。


 「ダメだ、ダメだ! 何を言っているんだ! 

 由美、お前は僕に似て勉強ができるんだから、東大の滑り止めに早慶があれば十分だろう! 模試の成績だって十分じゃないか。もっと自信を持ちなさい!」


 「そうよ!」


 お母さんも熱心にわたしを説得する。


 「お前にはお父さん譲りの頭脳があるわ! それにわたしに似て美人になったって近所でも評判なのよ! 

 女性としてこれ以上ないくらいに才能と美貌に恵まれているんですもの。今まで通りお父さんの言うことを聞いていたら絶対大丈夫よ!」


 「でもっ!」


 わたしは思わず反論した。


 「本番に向けた練習として滑り止めを受けるのは普通だと思うの。だから…」


 「おいおい、レベルの低い大学なんか受験したら恥ずかしいだろうが」


 お父さんから出てきた言葉にわたしはびっくりした。


 「そうよ。娘を一浪させて、あげくに偏差値の低い大学を受験させているなんて知られたら恥ずかしくって恥ずかしくって……」


 ため息をついたお母さんを見て、心臓がきゅうっと痛くなった。心細い気持ちになりながら、わたしは尋ねた。


 「『恥ずかしい』っていうのはお父さんとお母さんが恥ずかしいってことなの?」


 「当り前じゃないの」


 お母さんが真顔で答えた。


 「由美、お前は私たちが育てているんだもの、そんなの当然よ。お前の評価がこの家族の評価にもなるんだから、頑張ってもらわなくちゃ! ねえ?」


と、お母さんがお父さんの方を向いて尋ねると、お父さんも深くうなずいた。


 「現役だったときより勉強時間も増えたし、模試の成績も安定している。今年こそ合格できるよ。不必要な大学を受験してお前のブランドを下げる必要はないんだ。わかったね」


 わたしの不安な気持ちをまったく考えてくれない両親の顔を見つめながら、わたしは体温がどんどん下がって胸が痛いほどドキドキしてくるのを感じた。呼吸が速くなり、手のひらにじっとりと汗がにじみ出す。


 滑り止めを受けられないなんて! これで失敗したらどうしよう……。

 いや、合格するしかない。二浪なんて、女性で聞いたことがない。そんなことになったら人生が終わってしまうかもしれないのだ。

 ああ、どうしよう、どうしよう。頑張らないと、頑張らないと!!


 そこから受験当日まで、わたしは死ぬ気で勉強した。睡眠時間は毎日4時間。他の時間は食事中も入浴中もトイレの時間さえも勉強に当てた。

 ストレスでおなかの痛みは激しくなり、食欲が落ちて体重が10キロ以上減った。

 それでもわたしは勉強をし続けるしかなかった。両親に恥ずかしい子と思われない、ただそれだけのために必死になって勉強したのだ。


 時々、寝不足でぼんやりとした頭に、中学生だったお兄ちゃんの姿が浮かんできた。勉強ができなくて毎日塾に行かされていた、ピリピリしているお兄ちゃんの後ろ姿を。


 あの頃のお兄ちゃんも、きっと今のわたしと同じ気持ちだったんじゃないだろうか……。


 ねえ、お兄ちゃん。わたし、お兄ちゃんに会いたいよ。

 あの頃、お兄ちゃんは一体何を考えていたの?

 わたしの気持ちを聞いてほしい。

 この世界でわかり合えるのは、お兄ちゃんだけだと思うから……。


・・・

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