第5話 風の乙女
「——私の名前は、アルマ・ニクス・フルワール。空と風の女神フルワール様の神使よ」
「アルマ、さん。……フルワール? 神使?」
「うん? そうだよ、神様の加護を授かるとその名を家名の次につけて名乗るのが決まりなの。神使っていうのは加護を授かった巫女などのことね。そういえば……、顔立ちは私と同じ東部地方生まれっぽいけど、言葉も通じなかったし、アーラント大陸の出身じゃないんだよね? ススムの国には加護持ちは居なかったの?」
アルマさんの話からするとここはアーラント大陸という大陸で、大陸全土の言語はアーラント語で統一されているようだ。アルマさんの顔立ちは日本人ぽいなとは思ってはいたが、大陸の東部地方には東洋系の顔立ちが多く、反対に東部地方以外には東洋人とはある程度違いがあるような人種がいるということだろう。
この感じだと出身について下手に隠しても、いずれは何処かでボロが出ると思い、思い切ってアルマさんに相談してみることにした。
先ほどの狼の群れとの戦闘や、アルマさんが放った風の魔法なども特に脅威では無かったこともあり、少し楽観的になっていた。
「実は——」
俺はアルマさんに、魔法など存在しない場所で暮らしていたこと。目覚めたら森の中にいてドラゴン達の争いに巻き込まれたこと。死にかけてもうダメだと思ったらドラゴン達が相打ちになったこと。魔導具?であるスマホを使用して、竜の力を魔法として取り込むことで生き延びたことなどを話した。
◇
「神代の魔導具どころか神造物だったんだね。それと、私に攻撃されても全く警戒心を抱いてなかった理由は、ドラゴンそのものを取り込んだから、か……。ドラゴンの性、強者の傲慢。実はね、ドラゴンほどの強い種族でも若い個体ほど相手を舐めてかかっているからか、とても罠に掛かりやすいの……、ミュー! 出て来ていいよ!」
アルマさんがそう呼びかけると、木の上から一体の獣が音も無く飛び降りてきて、アルマさんの横に座った。
その獣は沖縄の西表島を観光した時に見た、イリオモテヤマネコにとてもよく似ていた。体長は2mほどはあるだろうか、山猫にしてはあり得ない大きさで、内包する魔力も多くてかなり強そうだった。
山猫の魔力はアルマさんに繋がっているようだ。多分、召喚系の魔法なのだろう。召喚体でこの強さならば、アルマさんはそれ以上に強いのではないだろうか。
「この子は召喚獣のミュール。あなたに敵意や害意がなかったから素通り出来たみたいだけど、この子には水浴び中に敵意を持った相手を近づかせないように頼んでいたの。あ、私が風を飛ばしたのは覗き魔に対する制裁だからね。……ね? 気付かなかったでしょ? いくら強くても警戒してなければ危険なこともあるんだよ」
そう教えられて初めて、自分の中にある妙な自信や余裕、楽観的な思考や、好戦的な思考などの原因がはっきりと浮かび上がってくる。
ドラゴンの傲慢。
この世界の生物の危険さは、転移した直後に嫌というほど理解させられたはずなのに……。一度は戒めたはずのそれも、常に意識していなければ意味がないということなのだろう。改めてもう一度自戒することにした。
「そうですね。全く警戒してなかったです。すみません」
「謝る必要はないよ。あ、覗きについては反省してよね」
アルマさんは暗い雰囲気にしないためか、努めて明るい口調でそう言うと、山猫の頭を撫でてから、軽く佇まいを直して話を続けた。
「さて、本題に戻るね。……実は今までにも世界を越えて渡り人や迷い人、神々に招かれた勇者などが歴史上には何人も居たと言われているの。ただ、彼らの多くが良くも悪くも歴史に残るようなことを成してきたから、あなたが迷い人だと知られたら様々な人たちが利用しようと近づいてくるかもしれない。なるだけ知られないようにした方がいいと思う」
転移モノや召喚モノのテンプレ的な、甘い汁を吸おうとする三下お貴族様や、勇者を他国を攻めるための尖兵にしようとする欲深国王といった、この世界の人々からすると大変失礼な想像をしていると、アルマさんが続けてこう言った。
「それと二体のドラゴンについても、他の人には話さない方がいいよ。多分、白いドラゴンは大陸の南端にある霊峰の主で、黒いドラゴンはこの鎮守の森のさらに奥にある竜族の墓場、竜骨の谷の主だと思う。地域によっては信仰の対象になってる。相打ちで亡くなられた上に遺骸が全く残っていないなんてことが知られたら絶対に問題が起きるよ」
アルマさんはそこで一区切りした後、佇まいを直した。そして今までよりも真剣な顔をして、さらに予想だにしないことを言い放った。
「……ススム、実はあなたの瞳の色が一番問題なの。その金色の瞳は、世界中でも竜族の中のごく稀にしか存在しない竜王種の証し、竜族にとって特別な瞳の色なのよ」
「は? きんいろ?」
俺の瞳はいつの間にか金色になっていたらしい。
「神造物で二体の竜王を魔法として取り込んだからなのかな? うーん、どうしよう……、一人で街なんかに行ったりしたら、一発で訳アリだってバレちゃうだろうし——」
混乱して黙った俺を置いて、途中から一人小声で悩み出したアルマさんは、一頻り悩んでから宣言した。
「——乙女の水浴びを覗くのはいただけないけど、右も左も分からない未成年の迷い人を無責任に放り出すのは大人としても神使としてもダメだよね。……よし、決めた。空と風の女神フルワール様に誓って、あなたが一人で旅立てるようになるまで私が導きましょう」
こうして俺は、最後まで無自覚に爆弾を投げ続けたドヤ顔の風神の巫女によって、いつの間にか保護されることになったらしい。
◇◆
俺は川のほとりに立ち、水面に映る自分の姿を見ていた。
十二、三歳ぐらいだろうか、明らかに幼くなっている自分の姿に驚く。頭の痛いことに今頃になって目線が低くなっていることにも気付いた。
「確かに金色だ……。それより、小学生高学年ぐらいに見える。なんでだ? どうして……、一体いつ?」
瞳の色にも驚いたが、実は年齢についての方がショックが強かった。
光に照らされ美しかったアルマさんの姿が脳裏を過ぎる。今の自分とアルマさんとの見た目の年齢差についてや、若返ったのは転移した時なのか、竜になった時なのか……。答えの出ない悩みに陥っていると、荷物を取りに行っていたアルマさんが、山猫と一緒に小さな仔猫を連れて戻って来た。
「携帯食になるけど食事をしたら森を抜けるために移動するよ。あ、そうだ、先にこの仔猫の紹介をしなきゃね。この仔猫は召喚獣のルーナ。戦闘能力は殆ど無いんだけど荷物を守って貰うにはちょうど良いの」
アルマさんによると、召喚系の魔法は召喚主と召喚体の属性が完全に一致していると、お互いがお互いの魔法(能力)をある程度自由に使用出来るらしい。仔猫はそういった運用のために、創造した召喚獣なんだそうだ。
◇
アルマさんは、小さなポット型の魔導具に水を入れたりと昼食の準備を始めた。俺は手伝いを申し出たが、お湯を沸かす以外に特にやることが無いと断られたため、川辺で猫達が戯れるのを眺めていた。山猫が仔猫の前で尻尾を振ると、仔猫は夢中になってそれに飛びつく。山猫は一切嫌がることなく、目を細めると再び尻尾を振り仔猫の相手を続けた。可愛い。
「はい、どうぞ」
そう言ってアルマさんが俺に差し出したのは、5cmほどの長方形の形をしたシリアルバーのような食べ物と、湯気が出ているマグカップだった。
「今から向かう村のそばに湖があるんだけど、そこで取れる湖草の寒天とこの鎮守の森で採れた蜂蜜や木の実などで作ったシリアルバー。こっちは湖草と森林猪のベーコンが入ったスープだよ」
マグカップを覗いてみると、澄んだ色のスープの中に緑色のワカメのような物と、薄切りされたベーコンが入っていた。湖草というのがワカメっぽい物のことだろう。寒天の元が海藻ではなく、淡水藻で作られてるのは異世界だからなのだろうか。色々と疑問は尽きないが、取り敢えずスープから食べてみることにした。
「あ、美味しい。湖草がコリコリしててベーコンの塩味もちょうど良いです」
「ありがとう。そのベーコンも村の特産品なんだよ。年に一度、村人総出で森林猪を狩るの」
その後も戯れている山猫と仔猫を眺めながら、アルマさんと食事を続けていると、またもや頭の中に通知が響いた。
『実績が解除されました。報酬が与えられます。』
突然の通知にもいい加減慣れてきた俺は、スマホを取り出して画面を確認した。
〈Magic Convection〉
「えぇ?」
「ススム? どうしたの?」
「あ、いや、ちょ、ちょっと待ってください」
慌ててアプリを確認すると、対流熱伝達式調理アプリだということが分かった。……もう一度確認してみたが結果は変わらない。対流熱伝達式調理アプリだ。
アプリのカメラで撮影した食材を、魔力で包み込んで対流する熱で調理するアプリらしい。温度だけでは無く、水分量まで調節出来るため、茶碗蒸しやプリンなんかも作れるみたいだ。
確かにコンベクションオーブンや、スチームオーブンには興味があったが、俺のチートは一体どうなっているのだろうか。
◇
心配するアルマさんに、軽く説明してから残りの昼食を食べ終えると、川の流れを見ながら食休みをしていた。
「さあ、そろそろ行こうか。日が高いうちに森を抜けるよ」
そういえば、ふと実年齢について言いそびれたのを思い出したが、水面に未練を残しながらも、先を進むアルマさんと猫たちの後を追って歩き出した。
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▼《Tips》
〈Magic Translator〉
二種類の異世界言語を用いた会話を一定量聞いたことに対する実績解除による報酬。
神造物でもあり異能の一部でもあるTranscend Smartphone内にアプリとして付与された。
自動翻訳アプリ。
スマホをしまっていても常に自動で双方向の音声を双方が分かりやすい言葉に変換してくれる。文字を読むにはアプリを通してカメラ映像で見る必要有り。筆記はアプリ内にて日本語で入力することで、ペンを持つ手が自動で翻訳して代筆を行う。
主人公は神代竜語とアーラント語が開放済み。今後も新しい言語に触れるたびに解放(解放直後はグレイアウト)されることだろう。