4-9 夢のあとさき
「せんぱい……お待たせしました」
俺の目の前にやってきた霞音がおずおずと言った。
その姿を見て――俺は息を呑む。
「せんぱいのお望み通りに、浴衣を着てきてあげました」
まさしく。今の霞音は浴衣姿だった。
白を基調にした布地に、大きな赤い花の文様が華やかで。髪の毛は金色の簪で頭上でまとめられている。黒い木編みの手提げ鞄に、歩くたびにかぽかぽと可愛らしく音がなる下駄はおろしたてだろうか、夜でも分かるくらいに表面が輝いていた。
「せっかくの、花火大会なのですから」
霞音は鞄を前に持ち直して言った。
今日は何年かぶりに行われる地元の花火大会――その当日だった。
待ち合わせ場所にした駅前の広場は、同じく花火大会に向かうであろう人々で混雑していた。
ほかに浴衣姿の人たちも大勢いる。(ちなみに俺も親父のお古を借りた)
「……なにもないのですか?」霞音が頬を膨らませて言った。「彼女の浴衣姿ですのに」
「あ……す、すまん。見とれていた」
「見とれ……?」
俺はうなずいて、「あまりに可愛かったから、ついな」
「……!」
自分で催促しておいて、照れくさそうにしている。
「ほんとう、ですか? えへへ――」
霞音はそこでくるりと振り返り後ろ姿も見せてくれた。「後ろの帯も素敵なのですよ」
しかし、いち思春期男子である俺の視線はアップヘアーの下で、白金のように輝くうなじに釘付けになってしまう。
「……せんぱい?」
「あ、ああ。そうだな。うしろも、カワイイナ」
「なんだか怪しいです……またなにかへんたいさんなことでも考えていたのではないでしょうか」
「そ、そんなことないかもしれないぞ!」完璧には否定できなかったのが悔しい。
「……ま、いいですけれど」
霞音は『ふう』と息を吐いて、いぶかしげな視線を崩したあと。
「せんぱいも、とても似合っていますよ」と俺の浴衣姿も褒めてくれた。
「ん……そうか。さんきゅ」
なんだか気恥ずかしくなって頬をかいていると。
霞音が掌を俺に向けて『どうぞ』と差し出してきた。
「……うん?」
「繋がないのですか?」
「あ、いや――繋ぐんだが。霞音のほうから催促してくれて、……びっくりしたというか、嬉しかったというか……」
霞音は口元を緩めて言った。「はい。たまには」
「たまには、か」と俺は霞音の手を握り返す。「じゃあ――この次は俺の番、だな」
霞音は頭上の髪の毛をぴこんと動かして、満足そうに微笑んだ。
「期待していますね――私のことが大好きな彼氏さん」
近くの空でいくつかの短い花火があがった。どうやらあと1時間ほどで始まるようだ。
花火大会の日には周辺の地域から数多の人々が押し寄せてくる。その流れに乗るようにして、俺たちは会場へと歩いていった。
途中には屋台も多くでていた。その中から林檎飴をひとつ買って、霞音へと渡す。『ひとつでよかったのか?』と尋ねると、『はい――ふたりで分けっこしながら食べましょうね、せんぱい』などといって、飴のせいでいつもより赤くなった舌をちろりとだした。たまらず心臓が大きく高鳴る。
まったく。
夢から覚めて恋愛に積極的になったお姫様とのデートは、心臓がいくつあっても足りなさそうだ。
少なくとも恋愛初心者で思春期男子の俺には荷が重すぎる。
♡ ♡ ♡
「とっても感動をしました……!」
霞音が目をきらめかせて言った。
「あんなにも近くで見たのははじめてです……! 音が『ぱあん』となるたびに身体が震えて、花火の熱も感じられるくらいの大迫力で……!」
「ああ、思いがけず良い場所で見られたな」と喜んでいる霞音のことを見つめながら俺も同調する。
どこか座れる場所はないかと川辺の土手を歩いていたところ、場所取りをしていた人たちから『ここの端っこのスペース空いてるから使っていいよ』と声を掛けられ、お言葉に甘えることにした。感謝を伝えると、『いいのいいの、青春だねえ』とアルコールが入った人たちに囃したてられた。『せんぱいと私は青春、なのでしょうか』と霞音がぽつりと言った。『ああ、青春だ』と俺は答えた。『思う存分楽しもうじゃあないか』
行きよりも帰りの方が道は混雑していた。『近くの駅は混雑でパンク状態なので、この先の別の駅や路線をご利用ください』などと蛍光色のキャップを被った係員が拡声器で告げていた。
「ふむ……しかたない。霞音、歩けるか?」
「はい。むしろ、せんぱいとおさんぽの時間が増えてうれしいです」と霞音は下駄をかぽかぽ鳴らしながら言った。
「ならいいが……足が疲れたら遠慮無く言えよ?」
「? お伝えしたらどうなるのです?」
「そりゃ、どこかに止まって休憩したりとかな」
「ですが……この人混みでは休憩できる場所は探せそうにありません」
「む……」俺はしばらく思案したあと、言ってやる。「その時は、だっこでもおんぶでもしてやろう」
霞音は一瞬目を見開いてから言った。「は、はずかしいので結構です。ここではあまりに人が多すぎます」
「まあそう言うな。王子様とお姫様みたいでいいだろ?」
「……その時に備えて、ダイエットが必要です。そういうことは3ヶ月前に言ってください」
それ以上体重を減らしてどうするつもりだ、なんてことを俺は思ったが。霞音は霞音なりに『お姫様』でありたいようだった。
「とはいえ……まだまだ先は長そうだな」
俺は行列の先を見渡して言った。
隣の駅までの道を、花火客がひしめき合うように渋滞している。ぶつかり合うほどではないが……進む速度はゆっくりだ。それに商機を見いだしたのか、道の左右に並んだ屋台の人たちは最後のかきいれどきだと言わんばかりに大声をあげている。道行く人たちも、食べ歩きのように屋台で買ったものをつまんでいた。
「俺たちもなにか買うか……ん?」
なにか小腹にでも入れようと考えていると、ちょうど霞音が足を止めて店先を見ていた。
「お。なにか食べたいものでもあったか? ――あ」
霞音の視線の先に目をやると、そこには花火開始までの待ち時間を潰す用と思われるトランプなどホビー用品のならびに、とってつけたかのように手持ちの花火セットが売られていた。
「花火のあとに花火、か――いや、それもいいかもしれないな」
俺は小さく呟いてからそれを手にとって店員に渡す。お釣りと一緒にマッチと蝋燭もくれた。
家に帰ってから庭でやろうとも思ったが……俺はそこでひとつひらめいて、霞音の手を引き、駅までの列から外れた。
「せんぱい? 駅の方角はあちらですよ――?」
「良いことを思いついたんだ。歩く時間は増えるかもしれないが……あ、まだ疲れてないか? こっちの道なら混雑も少ないからな。人目を気にする必要もない。ちゃんと霞音のことをおぶってやろう。王子様みたいにな」
体重のことはひとまず差し置いて、俺は霞音姫に言った。
いよいよ次回、最終話です……!




