4-5 砂上彗太の現実
「よーっす! 悠兎!」
朝の登校の最中、下駄箱でスナガミに会った。
「……なんだ、スナガミか」
「なんだとはなんだ! 朝からオレに会えたんだぜ? もっとこう『きゃー』とか、『うっひゃー』とか。目をハートにするとか、あるだろーが」
「うひゃあ」と俺は何の感情もこもっていない無の声で言った。
「何の感情もこもってない無の声で言うなよな! 逆に傷つくだろーが!」とスナガミも突っ込んだ。
いつもと同じくだらないやり取りをしながら、俺たちは教室までの廊下を進む。
「なあ、悠兎」
「うん?」
「そういえばなんだけどよ」
進んでいると――スナガミが唐突にきいてきた。
「霞音姫とはもうヤッたのか?」
ぶふう、と俺は吹き出した。
「な、な、なっ!?」
咳こみながらも、スナガミを睨みつけてやる。
「いきなり何をきいてるんだ!」
「んあ? だからその〝ナニ〟のことだろーが」
「朝っぱらから話す内容じゃないだろ……!」
「他にどんなことを朝に話せばいーんだよ?」
「オールデイズ脳内ピンク色か!」
あまりの無神経っぷりに呆れていると、教室についた。
扉をあける。みんなの視線が一斉に俺に向けられた。
リリアとの一件があって以来、俺に向けられる視線は明確に変わった。
まさにメディアを通して世界中を巻き込んだ様々なことがあったのだが――
結果としては。
あの世界一の偶像である御伽乃リリアを振り。
学園一の【絶対零度の美姫】である霞音とお付き合いをはじめたのだ。
そんなものは、目の前の【歩く恋話拡散器】として知られるスナガミが広めなくとも、瞬く間に学内中に知れ渡った。
しばらくはありとあらゆる質問攻めにあったり、ファンクラブの連中からは嫉妬や恨みの視線(――と、過激派からのいくらか心無い誹謗中傷)も向けられたりはしたが。
それでも俺が『霞音とあくまで真剣に交際をしている』ということが、普段の態度などからも伝わったらしく、様々な反応も羨望や称賛を含めたポジティブなものに変わった。
(噂によると霞音の学園非公式ファンクラブも『蝴蝶霞音(と宇高悠兎)の幸せを見守る会』にその呼称を変えたとか。活動内容がひどく気になるところだが……なんだか背筋がぞくぞくもするので、あえて深入りするのはやめておこうと思っている)
「で――悠兎は霞音姫とヤったのか? ヤってないのか!?」
窓際の俺の席に座る間にも、スナガミはしつこくきいてきた。
「静かにしてくれ。朝から『脳内ピンク恋話』をするような仲間には思われたくない……」
しかし時すでに遅し。
仮にもここは高等学校――『ヤッた』『ヤッてない』などという単語には世界で一番敏感な思春期真っ只中の少年少女の巣窟なのだ。
教室中からはすでに数多の聞き耳を立てられているのが分かる。
「どうなんだ? ――霞音姫の王子様の悠兎さんよー……!」
ずい、と圧をかけてくるスナガミに向かって。
俺はやれやれとため息を吐いたあと、言ってやる。
「……ノーコメントだ」
スナガミは鬼の首を取ったかのように、「ははーん! 自ら尻尾を出しやがったな!? ノーコメントってことは、『ヤッた』ってことじゃねーか! もし違ったら『まだしてない』みてーに否定すればいいだけの話だもんな?」
嬉々とした様子のスナガミに、俺は追撃してやる。
「それについても、ノーコメントだ」
「……あん?」
「今後お前からの霞音に関する質問は、すべからく『ノーコメント』だ。どうせお前のことだ。俺がここで『ヤッた』『ヤッてない』のどちらで答えようが、面白おかしくまわりに言いふらすだろうからな。だから俺はどんな質問に対しても『ノーコメント』を貫き通させてもらうぞ――これで真実はどこまでも藪の中、だ」
「なっ! ずるいぞ、悠兎……!」
ずるいもなにもない。
あいにく俺は、霞音との恋愛事情を得意げに外に公開して喜ぶような性質ではないのだ。
他のやつらがどう夢を見てもらっても構わないが。
俺と霞音の現実は――あくまで俺たちふたりだけの秘密でありたい。
「はー。悠兎はいいよなー。これまでの恋愛初心者から、一気に勝ち組だもんなー」
「そもそも、恋愛するしないで勝ち負けなんてないと思うけどな」
「それが勝者の台詞なんだよ。ったくよー……オレにも霞音姫をわけてくれー。あ、ラインを3往復だけするってのはどうだ!?」
「断固として拒否する」
霞音のことは絶対に誰にも渡さない。たとえその一欠片でも、だ。
――なんてことを。俺は王子様らしく思う。
そのあともスナガミは『ちくしょー! オレの青春はどこにいっちまったんだー!』などと叫び宙を仰いでいた。話を聞いたところによると、スナガミはとうとう複数の女性と同時に付き合っていたことがバレて(ちなみにそれをスナガミは決して『浮気』とは呼ばず、『同時多発的な純愛』だと主張していた)、その悪評の結果、今は恋人がひとりもいない状況がつづいているらしい。やれやれ。どこまでも自業自得じゃないか。
「ふう……あ」
本日何度目かのため息をついて窓の外を眺めていると、その中から見知った顔を見つけた。
どれだけ離れていたって。どれほどの雑踏に紛れていたって。
俺は一瞬で彼女のことを見つけだすことができる。
――霞音だ。
ちょうど校舎に向かって、ひとりで登校しているところだった。
相変わらずまわりには、彼女の美貌に少しでもあやかろうと人だかりができている。
そんな霞音と――ふと目があった。
「……っ」
そうだ。そうなのだ。
どんな状況にあったって、相手を見つけられるのは霞音だって同じなのだ。
霞音が今いる場所から見上げれば、鉄筋コンクリートの無機質な校舎に、規則的に並ぶ窓ガラスに映った人影のひとつでしかないかもしれないが。
俺が制服に身を包み登校する数多の生徒たちの中から、一瞬できみを見つけたように。
霞音だって。
コピー&ペーストのように無機質に連なる校舎の窓辺から、きみを見下ろす俺のことを一瞬で見つけてくれた。
「霞音……」俺の口からきみの名前がこぼれる。
『せん、ぱい――』霞音の唇が、水晶でできた鈴のように震えた。
予鈴のチャイムが鳴った。
遅刻しないようにとまわりが忙しなく動き始める。
そんないくつもの雑音の中で。
彼女は俺にだけ見えるように――霞かに笑んだ。
「……」「……」
ふたりの世界は、今ここに確かに在った。




