3-31 分かりやすすぎる想い
絵空さんをリビングに残して。
俺は霞音の部屋へと足を踏み入れた。
そこにつづくドアは、随分と重くつめたいものに感じられた。まるでここではない別の世界へと繋がる扉みたいに。
「……霞音」
部屋に入るとすぐに、ベッドの上に横たわる彼女のことを見つけた。
格好は制服のままで、フリルのほどこされた薄紅色の布団をかけられている。
まるで人形のようだ、と俺は思った。
とても精巧なつくりの人形。生気を感じられないほどに美しい少女。
心配になって近寄ると、小さく寝息を立てているのが分かってふと安心する。
呼吸に合わせて胸が僅かに上下している。規則的に。ゆっくりと。
――ずっと眠ったままなの。とてもしずかに。まるでこのまま目を覚まさないことを望んでいるみたいに。
絵空さんはそんなふうに言っていた。それならば。
一体きみは今、どんな夢を見ているのだろうか。
「……あ」
壁際の机が目に入った。
霞音の部屋に向かう前、絵空さんが言ってくれたことを思い出す。
――上から2番めの引き出し。そこに、霞音ちゃんのぜんぶがあるの。
俺は机に近寄って、その引き出しに手をかける。がたり。あかない。
「鍵がかかってるな」
取っ手の隣には4桁の数字のダイヤルがあった。何度か適当に回してみるが、外れる気配はない。
俺は諦めようとしたが……ふと思い立って。
とある4つの数字を入れてやる。がちゃり。
「……あいた」
すこし信じられない気持ちになりながらも、俺は唇の端をほのかに緩める。
息を短く吐いて、目をつむって。開いて。
引き出しの中を開くと――
「ん? ……日記、か」
そこには日記帳らしき冊子が入っていた。
ずいぶんと使い古されているようで、表紙はところどころが綻びくすんでいる。
俺はおそるおそる手に取って、中を開いてみた。
「あ……」
そこで俺もすべてを察した。
そういえば。
絵空さんははじめから。
――だって、あの子の見る夢、ユウくんのことばかりなのだもの。
などと。霞音の見る夢のことを予め知っている様子だった。
それはつまり、霞音が書いていた日記の内容を事前に見ていたからだろう。
俺の見慣れた、4桁の数字を使って。
「…………」
ぱらり。日記帳をめくる。
なんてことはない。そこには。
宇高悠兎――俺についてのことが。
びっしりと。
連なって。
書かれていた。
「っ……!」
ささいなことから、大きな出来事まで。あますことなく。
霞音の日常は――俺の色で染まっていた。
「かす、ね……っ」
ページをめくっていく。
そこにある文字を。言葉を。想いを。
俺は全身に染み渡らせるように読みすすめていく。
「っ! ……っ!」
霞音が俺に対して。
恋心を伝えられず悩んでいること。
構ってほしいがあまり。
つい冷たい言動をしてしまうこと。
緊張で思ってもないことを言ってしまうこと。
一緒に家庭教師を受けるために。
必死に1年先の分野まで勉強したこと。
ときどき俺の視線が絵空さんに向けられると。
尊敬する大好きな姉さんでも嫉妬をしてしまうこと。
学校でも悪態をついていないと。
ついついにやけてしまうこと。
せっかく連絡先を交換したのに。
なかなか連絡ができず画面の前で何度も指を震わせたこと。
そこで俺から連絡あると、飛び跳ねるくらい嬉しかったこと。
俺と言葉を交わすすべての瞬間が。
俺と一緒に過ごすすべての瞬間が。
かけがえもなく幸せに思うこと。
ずっとその瞬間を過ごしていたいと思うこと。
それでも――
どうしようもなく。
素直に、なれないこと。
今更、自分から『好きだ』とは言えなくなってしまったこと。
振られてしまうのが嫌で。拒否されるのが嫌で。
……今の関係が終わってしまうのが、嫌で。
想いを伝えられずにいること。
勇気を出せずにいること。
だけど。――だけど。
そんな彼が。俺が。自分がみる都合の良い〝夢〟の中じゃ。
自分に告白をしてくれること。たくさん好きだと言ってくれること。
自分のことをたくさん愛してくれること。かわいがってくれること。求めてくれること。
霞音はつづく言葉を。1ページを使って。大きな文字で書いてある。
『ああ――そんな夢でみるせんぱいのぜんぶが、現実だったらいいのに。』
「っ……!」
たまらず目頭をおさえる。
俺の胸の中に熱い感情が渦巻いていく。
ページをめくる手が震える。
変わらない。どのページも、俺のことばかりが書かれている。
霞音の想いが――溢れている。
「……あ」
ぴたり。ふと指を止めた。そのページの日付に見覚えがある。
霞音が事故を起こしてからしばらくして。
学校への復帰が決まった日のことだ。
そこには霞音の文字で。
――どこまでも喜びを押さえきれないように昂ぶった文字で。
『信じられないことが起きた。』
『いつか、この場所に書いたみたいに。』
『せんぱいが――私に好きだと言ってくれた。』
『こんなこと、まるで夢みたいだ。』
そんなことが、書かれていて。
「う、あ……霞音……っ!」
俺は文字を通したって伝わる熱い想いにあてられて。
もう。嗚咽を我慢することはできなかった。
「う……ああ……っ」
ぽたり。涙がページに落ちた。
慌ててそれを指先で拭って、日記帳をもとの場所へと戻す。
ダイヤルには見慣れた4桁の数字になったままだ。
「……ったく、霞音のやつ……」
俺は涙と一緒に唾を飲みこんでから、ひとつ嘆息する。
引き出しの鍵の暗証番号は、なんてことはない。
俺の誕生日の数字だったのだから。
――あの子、とっても分かりやすいのだもの。
絵空さんが言っていたことを思い出して、ふと口元が緩む。
それにしたって。
「最後の最後まで……あまりにも分かりやすすぎるぜ、蝴蝶霞音――っ」
目尻を服の袖口で拭いてから。俺は。
ベッドで眠りつづける霞音にむかって。
不器用で。素直じゃない。だけどどこまでも想いにあふれたお姫様に。
ゆっくりと。ゆっくりと。近寄ると。
彼女の霞のように淡い桜色の唇に――口寄せた。
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